自由になろう!

自由とは何だろう?どうして自由になれないのか?はたまたどうしたら自由になれるのか?を考えます。

「自由になろう!」というと抽象的で漠然とした感じがしますが、みなさんは「自由」に対してどんなイメージをお持ちでしょうか?

「伸び伸びして楽な感じ」というポジティブなイメージをお持ちの方もいれば、「欲しいけど手に入らないもの…」というネガティブなイメージをお持ちの方もいらっしゃるでしょう。

「自由っていいよね♪」「自由が欲しい」というのを聞くことはありますが、「何で私は自由なんだ!(怒)」とか「自由なんかいらない」というのはあまり聞いたことがありません。

多くの人を惹き付ける「自由」の性質や魅力を知ることで「自由」を身近に感じていただいて、「自由」を手に入れて満喫していただきたいと思います。

●「自由」の持つ魅力

「自由」の持つ魅力について見てみましょう。

自由であるということは、自分の好きなように選んで好きなように決めることができます。
何を選ぼうが、何に決めようがあなたの気持ち次第の状態です。
それをいつ選んでいつ決めるのかということも、あなたの気持ち次第です。

例えば、仕事に関して自由になることができると、仕事をするのもしないのも自分の気持ち次第ですし、どんな仕事をするのかを選ぶのも自分の気持ち次第で選んで決めることができます。

自分の気が向いて自分の好きな仕事をしようと思った時に、したいと思った分だけ仕事をする、というのは自由な感じがしますよね。
この状態で仕事をすると、ストレスを感じることは少ないでしょう。

「嫌だな」「しんどいな」と思った瞬間にやめることができる仕事、「またやってみようかな」と思うまでやらなくていい仕事というのは素敵だと思いませんか?

このように、「自由」というのは、あなたの気持ちや、好き嫌いや、欲求というのをとても大切にしてくれます。
これが「自由」の持つ魅力になります。

この魅力に惹かれて、多くの人は自由を求めるのではないでしょうか?

●「自由」を自分から遠ざけてしまう理由

「自由」にはこのような魅力があり、多くの人が手に入れたいと思います。
その一方で求めている「自由」を潜在的に嫌って自分から遠ざけようとしてしまうことがあります。

どうしてこんなことをしてしまうのでしょうか?

「自由」を遠ざけてしまう理由として挙げられることが多いのが「責任」です。
先程の「自由」の持つ魅力のところで
「自分の好きなように選んで好きなように決めることができる」
と書きましたが、自分の好きなように選んで好きなように決めるというのは、選んで決めたこと、そしてその結果に対して自分で責任を持つことになります。

この責任が怖くて好きなように選べなくなったり、好きなように決められなかったりします。

「自由に生きるとは、全て自分で選んで決めて、それに対して自分で責任を持つ」

と言われると、「自由」の持つ魅力の輝きが少し曇るような感じがしませんか?

自由に選んで決めた結果が良い結果ならばいいのですが、その結果が悪い結果だった時、その責任が自分にあるとなると、自分を責めてしまうことになります。
自分で自分のことを責めたい人などいないので、その責任を何かのせいや誰かのせいにしたくなるのは自然なことです。

自由に付いてくる責任や攻撃を怖れて避けるために、自由を遠ざけて、傷つくことから身を守っているのです。
こうして自己攻撃の強い人はこの怖れがより強くなるので、自由を遠ざける傾向が強くなります。

例えば、Aさんが「彼氏の束縛が強くて自由がない」という問題を持っていて、彼氏の束縛に不満を感じながらも、そのことを彼に言えないでいるという状況があったとします。

Aさんは彼氏に「束縛が強いのが辛いからやめて欲しい」と言うことができずにいるのにはいろいろな理由があるのでしょうが、「それを言ったら嫌われてしまう」ということや、「その結果二人の関係が悪くなって別れてしまうことになる」という怖れがあります。

そして、この一言を言うことで別れてしまうことがあった時、(実際はそうではないにも関わらず)「私がこの一言を言ったから別れることになったんだ」と、別れてしまうことが全部自分の責任のように感じるのです。

彼のことが好きで別れたくないにもかかわらず、自分の責任で別れることになったとしたら、そうしてしまった自分のこと一杯責めたくなっちゃいますよね?
それは本当に辛くて苦しくて悲しいことだと思います。

それを避けるために、自由よりも、束縛と不満を選んでしまうことがあります。

次に、自分だけ自由になることに関して罪悪感を感じる時、自由を遠ざけてしまうことがあります。

もし仮に、自分だけが自由になってその自由を満喫して楽しんで良い気分でいたとしたら、それを見たまわりの人に何と言われるでしょうか?

まわりの人に、

「いいわね~、あなただけ自由で」
「あなただけ楽そうでいいわね~」
「あなたは自由だからいいよね。でも私は…」

などと言われると、自分が自由であることや自由を楽しんでいることが申し訳ないような感じがして、自由であることが悪いような気になってしまいます。

この嫉妬や妬みというまわりの人からの攻撃と、罪悪感を感じることを避けるために、自由を遠ざけてしまうことがあります。

●「自由」はどうしたら手に入るか?

「自由」は、自分が好きなように選んで好きなように決めることができた時に手に入ります。
すごくシンプルで簡単なことです。
しかし、私達は逆に(感情的に)複雑化し、難しいものにしまっていることが多いのです。

「複雑で難しくてよくわからないくて面倒くさいし、自分には無理」
と、そのままにしておくのではなく、この複雑で難しくなってしまっている部分を解きほぐしてみることが、「自由」を手に入れる第一歩になるでしょう。

好きなように選んで好きなように決める時に必要なのは、より多くの選択肢と、自分の好みを把握することです。

選択肢がないと、選ぶことができません。
自分の好みがわからないと、やっぱり選ぶことができません。
選べないと決められないんですね。

ですから、まずは、選択肢を増やすこと、そして自分自身の好み(好きなもの)を探してみましょう。

次に、選んだものを決める時に必要なのが、“自信”と“勇気”と選んだ結果への“信頼”です。

「責任」について書きましたが、自信がないと自分で責任を取ることに抵抗を感じます。
結果が良いものになるのか、悪いものになるのかは、選んで決める時点ではわかりません。
自分の責任で選ぶこと、どうなるかわからない状態で良い結果を信頼するのは勇気がいります。

そこで、これらの
「選択肢がない」
「何が好きなのかわからない」
「自信がなくて決められない」
「良い結果につながるとは思えない」
という状態の時に感じる不安や怖れや罪悪感や絶望や無意味感などのネガティブな感情を処理することで、自由は手に入れやすくなります。

このように、自分が「自由ではないな」と感じた時には、「自由」を遠ざけることで避けている『何か』を探してみてください。

それが感情的なものであれば、カウンセリングやセラピーを使うことで解放していくことができますし、何より、『何か』の正体がわかるだけでも安心することができますからね。

●「自由」が「自由」を呼ぶ

自分だけ自由になった時のまわりからの嫉妬や妬みについて書きましたが、自分に罪悪感がある時に、嫉妬や妬みといったものや攻撃を感じます。

自由であることに罪悪感を感じない時には、まわりの人に

「いいわね~、あなただけ自由で」
「あなただけ楽そうでいいわね~」
「あなたは自由だからいいよね。でも私は…」

と言われると、

「自由はいいよ~♪」
「うん、楽しいよ~♪」
「あなたも自由になろうよ。あなたにも自由を楽しんで欲しいな!」

と答えることができます。
そして、自分のまわりにいる人を自由の世界に招待してみんなで自由を楽しむことができます。

そうして「自由」が「自由」を呼んで、広がっていきます。

ちょっと想像してみていただきたいのですが、とっても自由で楽しそうな人が、あなたに「この自由な世界へおいでよ!」と誘われるとどんな感じがしますか?
「私には無理。。。」と、その誘いをお断りしたとしても、「そんなことないよ!私が自由になれたのだから、あなたも自由になれるよ!あなたと一緒に自由を楽しみたいの!」と、屈託の無い笑顔で言われると、どんな気分になりますか?
そして、これまでの人生の中でそんな人に出会っていたとしたら、それからの人生は今の人生と比べてどんな人生になっているでしょうか?

今あなたが自由でないとしたら、今まであなたのまわりにそんな人がいなかったのかもしれませんね。

あなたのまわりにそんな人がいなかったかもしれませんが、あなたが『その人』になることもできます。

あなたが自由になることで、あなただけではなく、あなたのまわりの人をも自由にしてあげることができます。
それは大きな喜びになるでしょうし、そんなことができる自分って素敵だと思いませんか?

●「自由」がもたらすもの

「自由」というのは、あなたの気持ちや、好き嫌いや、欲求というのをとても大切にしてくれます。

「自由」はそういった「あなたらしさ」や、伸び伸びとして開放的で楽な感じや、良い気分をあなたにもたらせます。

「自由」を求めることも選ぶこともあなたの自由です(笑)

あなたがあなたらしくあるために、伸び伸びとして開放的で楽で良い気分でいるために、自由になっていただきたいと思います。

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