優しさや、思いやりからしてあげたつもりだったのに犠牲になってしまうとあなたが損をしてしまいます。
本当は嫌なことだけど、嫌われたくないから何かしてしまうことって
ありませんか?
恋愛においてはよくあることです。
恋愛のみならずありとあらゆる対人関係でこのようなことはありがちです。
また、相手を悲しませたくない、相手を喜ばせてあげたいと相手の気持ちを
さっするあまり、自分の気持ちとしては本位ではないのだが、
嫌な気持ちを我慢したり、自分の希望をあきらめたり、
自分の気持ちを押し殺して相手の為にしてあげることはありませんか?
これは心理学では“犠牲”といいます。
◆ 犠牲の愛 ◆
ひとつの愛の形として、自分を犠牲にして相手に与えてあげる(やさしさや、
お金、SEX、等)ことがあります。
これも、ひとつの愛の形なんでしょうが、あまり良い形には思えません。
なぜなら、相手に与えてあげたいという気持ちは、良いことなんですが、
あなた自身を大切にしていないからです。
特に日本人はこの犠牲の愛という形にはまりがちなようです。
恋人関係の場合、あなたが彼(彼女)の為に苦しいけど我慢して彼(彼女)に
つくしてあげて彼が喜んだとしても、あなたは本当に幸せでしょうか?
報われた感じはするかもしれませんが、あなたは苦しい思いをしていますから
本当に幸せとは、いいがたいでしょう。
片方幸せでも、もう片方が幸せでないなら二人の関係はよい関係とはいえません。
恋人ですから、二人ともが幸せということが大切です。
もし、あなたが犠牲をしていて、あなたのつらそうな顔を
彼(彼女)が何十年も見続けるとしたら、彼は幸せと言えるでしょうか?
本当に幸せとは言えないですね。
いくら彼(彼女)が嬉しい思いをしても、あなたのつらそうな顔をみるのは、
彼(彼女)にとってはつらいことです。
これでは、二人とも幸せだとは思えません。
犠牲の愛は本当の幸せをつかめません。
ちょっと、想像してみてくださいね。
あなたの彼(彼女)は、とても叶えたい自分の夢を持っていると思って
みてください。
しかし、彼(彼女)は、あなたと結婚する為にその夢をあきらめたと
思ってみてください。
しかも彼(彼女)は納得してその夢をあきらめたわけではなく、
あなたの為に犠牲している感じをもちながらあきらめたと思ってみてください。
この犠牲の感じを持ちながらあなたと結婚生活に入ったと思ってみてください。
5年後彼はどんな気持ちでいると思いますか?
5年後の彼(彼女)をあなたはどんな気持ちで見ていますか?
10年後彼はどんな気持ちでいると思いますか?
10年後の彼(彼女)をあなたはどんな気持ちで見ていますか?
どんな気持ちになりましたか?
こんどは彼(彼女)を、あなたに置き換えて、
あなたを彼(彼女)に置き換えて想像してみてください。
どんな気持ちになりましたか?
気分が悪くなった方もいるかも知れませんね。
犠牲になってしまうと、どちらもしんどくなってしまいます。
最初は幸せを感じるかもしれませんが、
いつかは破綻がきてしまいます。
どちらも幸せではありませんね。
恋人バージョンで犠牲のお話をしましたが家族関係でも一緒でしょう。
家族の一人が犠牲をしていて、つらそうな顔をしていたら、
つらそうな顔をみている他の家族もつらくなってしまいます。
例えば、家族の中でお母さんって、ご飯を作ったり、洗濯をしたり、
その上、パートに出かけたりと一生懸命に働いてくれています。
もちろん、お父さんの為、子供の為、家族の為と愛情からやって
おられると思います。
そのお母さんが、もし家族の犠牲になっていると感じながら
ご飯を作っていたとしたら、
あなたはどんな気持ちでご飯を食べると思います。
心底、「おいしい」って喜びながらご飯を食べられますか?
楽しみながら、食卓を囲めますか?
心のどこかで申し訳ない気持ちを感じながら、ご飯を食べることになる
でしょう。
もし、お母さんが家族の犠牲になっていると感じながら、
毎日を過ごしていたら、あなたはどんな気持ちになりますか?
嫌な気持ちになりますね。
罪悪感や、無力感といった気持ちでいっぱいになるかもしれません。
逆もいえるでしょう。
もしあなたが、家族の犠牲ならなければと思ったとしたら、
家族はどんな気持ちであなたを見ているんでしょうか?
家族の中で一人でも犠牲をしていると他の家族も、
幸せな気持ちになれません。
犠牲の愛は、痛みを産み出します。
もし、あなたが犠牲の愛を与えていると感じたら誰かが痛みを感じます。
誰もが幸せな気持ちでいられる、真実の愛が必要です。
それには、あなたが犠牲しないことが大切です。
自分の気持ちを大切にしながら、相手の気持ちを大切にしようと思ってみて
ください。
自分の気持ちを尊重しながら、相手に愛を与えてください。
そうすることで、痛みを産み出しません。
あなたも、相手も幸せな気持ちでいられるでしょう。
◆ 犠牲にしたすえに・・・ ◆
恋人のことを思って、家族のことを思って、友人のことを思って、
犠牲してしまうことはあると思います。
それは、思いやりからすることでしょう。
相手のことを考えてしてあげることでしょう。
例えば、家族の笑顔を見たくてあなたが身を粉にして、家族の為に
尽くしたとしましょうね。
経済状況を助ける為だったり、家族関係をとりもつ為だったり、
なんらかの為にあなたが家族の為に尽くしたと思ってみてくださいね。
恋をあきらめ、したい仕事をあきらめ、自分らしさを押し殺して、
家族の為に尽くしたとしましょう。
家族の為にそうしなければならないと思って頑張ったと思ってみてください。
10年後あなたはどうなってますか?
疲れきっていませんか?
家族に腹を立ててませんか?
人生が狂ってしまったと思っていませんか?
あの時、ああしていれば・・・こうしなければ・・・と思っていませんか?
そんなあなたを家族はどんな顔をして見ていると思いますか?
家族の笑顔を見たいから頑張ったはずなのに、
得られる結果がこれでは、あなた自身があまりにも可愛そうだと
思いませんか?
そうしなければいけないと思ってしまうと犠牲にはまってしまいます。
そうすべきだからとと思ってしまうと犠牲にはまってしまいます。
それは苦しいものです。
そうしなければ、そうすべきだからではなく、
そうしたいからしてあげる、そうしたいからするという気持ちを持ちましょう
あなたが自分の選択意思で選んだと思うことができれば、
犠牲した気持ちにはまらずにすみます。
例え同じように家族の為に尽くしたとしても、
本当にそうしたいから家族の為に尽くしたと思えれば犠牲した感じはでません。
家族の為に頑張った自分を誇りに思えることでしょう。
同じようなことをしても、犠牲した時に感じることと
そうしたいからすると自分の選択意思で選べた時とでは、
感じることがちがってきます。
なかには状況がそうさせてしまった、犠牲をしざるおえなかった場合も
あるでしょう。
それはとても苦しいことです。
でも、もし自分が選択して行ったと考えることができれば、
犠牲の苦しみから解放されていきます。
でも、どうしても、そうは考えられないこともあると思います。
そこには、痛みが隠れているかもしれません、そんな時はまずはその痛みを
手放そうと思ってみてください。そう思うだけでも痛みは解放に向かって
いけます。
あなたが心から誰かの笑顔をみたいと思ったから頑張った。
あなたが心から誰かを助けたいと思ったから頑張った
家族の笑顔を見たくて、喜ぶ声が聞きたくて、頑張ろうと思った。
誰かの役に立ちたいと思ってこの仕事についた。
そう思ってこの人生を選択した。
そう思うことができれば自分のことを誇らしく思えると思いませんか?