本当に笑うために~心を開く心理学~

人はなぜ笑うのでしょう。

可笑しいとき、うれしいとき、楽しいとき、私たちは自然な感情表現として笑います。いっぽうで私たちは哀しいとき、寂しいとき、腹が立つときにも笑顔を浮かべることもあります。相反する心理を背景にしながらも、同じ「笑顔」という表現をとるのはなぜなのでしょう?
「笑う」ということに潜んだ心理を考察し、思いっきり笑うにはどうすればいいか?についてお話をします。

◎リクエストを頂きました◎
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先日、TVのバラエティ番組を見ていて笑っていた時、ふとどうして人は笑うんだろう、ということが知りたくなりました。

例えば漫才などを聞いて可笑しくて笑ってしまう、子供や動物のかわいらしい仕草を見て思わず笑ってしまう、というのは何故なんでしょう。
一種の喜びの表現なのでしょうか?

また笑いは笑いでも、心が明るくなる笑いと、嘲笑のような、人を馬鹿にした笑いなど、ベースになる心理はいろいろあるのかなと思いますが、笑いはどういう心理の時に起きる現象なのでしょうか。

また、人によって笑いのツボが違ったりしますが、それはなぜなのでしょうか。
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◆笑顔は成功のパスポート

人はなぜ笑うのでしょう。

楽しいことや、嬉しいこと、面白いことがあった時に私たちは感情表現のひとつとして笑います。

けれど時に私たちは、哀しいとき、腹が立つとき、苦しいとき、凡そ笑顔が不似合いな場面にあっても、なぜだか笑ってしまうことがあります。

笑い、というのは必ずしも、楽しさや喜びの感情を表すものではないようです。

「笑顔は成功パスポート」とは、私が新入社員の頃に受けた営業トレーニングのテキスト表紙に書かれたコピーです。

営業スマイル、と言われるように笑顔は時にビジネスツールの必需品のように考えられます。確かに、無愛想なセールスマンより笑顔で愛想の好いセールスマンから買いたいと思うのは自然な心理でしょう。

いっぽう、その笑顔が心から溢れてくるような自然な笑顔か、または作り笑いなのか?を私たちは敏感に察知します。

愛想笑いというのは時として、無愛想よりもネガティブな感情を相手に抱かせることがあるので注意が必要です。

喜びや豊かさ、楽しさのシンボルでありながら、時に哀しみや欠乏感、苦しみをも表現してしまう。「笑い」って何なのでしょう。

◆笑いという感情表現

笑いに限らず、私たちが外に向けて感情を表現する場合。そこには何か伝えたい情報があるものです。

泣くという感情表現には悲しみや怒り、不安や恐れという情報が含まれているのとが多いでしょうし、笑いには喜びや楽しさ、面白さ、という情報が込められているでしょう。

喜びや悲しみ、怒りや不安が泣く笑うという表現を通して表現されると、そこには何らかの共感作用が生まれる場合があります。もらい泣きがその代表的な例ですが、私たちはこうして他者と感情を共有することで安心感や充足感を得ることができます。

それは、私たちの心に潜んでいる仲間が欲しいという心理、集団欲が共感を通じて満たされるからかもしれませんが、自分の気持ちに共感してくれる相手がいることの安心感は、多くの方が経験されていることでしょう。

私たちが笑うとき。その背景には喜びや、面白いという感情があります。そしてまた、そんなポジティブな感情を使って他者と繋がろうという隠れた試みもあるのかもしれません。

楽しい経験や、うれしい出来事は友達や家族に伝えたくなるものですが、もしあなたが笑顔で今日の出来事を彼氏に話したとしたら、彼にはどんな表情で聞いて欲しいでしょうか?もちろん笑顔で聞いて欲しいでしょう。そして彼の笑顔をみながらあなたはきっと、彼とのつながりを再確認することでしょう。

一方、自分の気持ちに共感が得られないというのはとても寂しいものです。もしも彼があなたの話に無関心で興味を示さなかったら?不安になったり腹が立ってきたりするのではないでしょうか?

笑っていても、泣いていても、その感情に共感し、理解を注いでくれる相手がいなければ、感情は行き場を無くして未消化のまま取り残されてしまいます。

淋しいのに笑ったり、可笑しいのに笑わなかったり、

感情とその表現がミスマッチな時というのは、「どうせ誰もわかってなんかくれないよ」と、理解されることをあきらめていたり、拒んでいるときなのかもしれません。

◆本当に笑うためには

私たちには時として、悲しいことがあってもそんな感情には眼もくれず、ただガムシャラに頑張らなければならない時があります。

楽しそうに笑い合っている人達を横目に、ひとり孤独と闘わなければならないこともあるかもしれません。

そんな時私たちの感情は、心から切り離されて「感じない状態」(感情を抑圧した状態)にすることで辛さや寂しさを遠ざけようとしてしまいます。けれど、抑圧された悲しみや寂しさは、やがて私たちの心を覆いつくし、嬉しい時、可笑しい時、面白い時に自然に笑うという感情表現を奪っていくことがあります。

哀しいのに泣けない、可笑しいのに笑えない。

そんな時あなたは、誰にも理解されない感情を抱えているのかもしれません。また、あなた自身気づいていない感情に心が埋めつくされているのかもしれません。

『思い切り泣けない人は、思い切り笑うこともできない』(ゴルダ・メイア 元イスラエル首相)

悲しみや寂しさを感じるということは決して気分の良いことではありません。けれど、そんな感情も充分に感じることで初めて私たちは、笑いたいときに笑う、という自然な感情表現を手に入れられるのかもしれません。

そしてもしあなたが「誰も分かってくれない」という心の壁を越え、あるがままに自分の感情を表現できたとき、あなたの対人関係にも変化が生まれるのかも知れません。

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