「あれが欲しい」「これが欲しい」と思い、努力して手に入れたとしても、満たされない気持ちを感じることがあります。
そんなときは、もしかしたら「本当に欲しいものではない」のかもしれません。
例えば本当に欲しいものが、何らかの感情であったとして、その感情を感じることができるだろうと物質を手に入れたとしても、私たちの心は満足できないのです。
本当に欲しものは何かを知ること。そしてそれが得られなかったという誤解を解いていくことが大切です。
また、「足りない」ではなく「満たされている」と物事をとらえていくためには、足りないものに目を向けるのではなく、「あるもの」に目を向けていくことも必要です。
そして、あることに感謝し、誰かに与えていく気持ちを持つことも、自分の心を満たしていくには必要なことなのです。
◎リクエストを頂きました◎
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「満たされない心」についてお願いします。
数年前に欲しいと望んでいた物は、現在だいたい手に入ったと思っています。
具体的には、車、家、自由にできる仕事に自分の時間など。
一時期は「時間」「お金」の不足感を強く感じていたのですが、自分のために時間を使ったり、お金を使ったりすることでその物理的な不足感は今はほとんど感じなくなりました。
それなのにまだ「満たされない」感覚というのが強く残っているのです。
今まで、足りないものをがむしゃらに求めて行動してきたと思っています。
これまで何か行動する動機は不安や恐怖などのネガティブなものだったように思います。
「足りている」というものが心の前提になるように変えられれば「満たされない」という感覚は解消されていく気がするのですが、私の捉え方はあっていますでしょうか?
また、その前提を変えるにはどうしたらうまくいくのでしょうか?
(一部、頂いた内容を編集させていただきました)
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リクエストありがとうございます。
今回、担当させていただく大門昌代です。どうぞ、よろしくお願いします。
私たちが「あれが欲しい」「これが欲しい」と思うとき、その欲しいものが「ない」という思いが心のどこかにあります。
「ない」からこそ「欲しい」と思うわけですね。
では、それら「ない」ものが手に入ったら、この欲求はなくなるはずですよね。
ところが、そうはならないことが多くあります。
「これがあれば幸せになれる」ということは、反対に捉えると「これがなければ不幸である」ということになりますね。
動機が怖れになります。
怖れから行動するとき、私たちには余裕がありません。
怖れから逃げるように、がむしゃらにそれらを手に入れるための行動を起こします。
でも、手に入ってもなんだか満たされない・・・
私達には、欲しいものがたくさんあります。
車・家・お金・時間・自由・パートナー・子供・・・・・
「これがあれば幸せになれるだろう」そう思い、そしてそれらが自分には「ない」と思うので、欲求が生まれます。
でも、それらが手に入ったにも関わらず満たされない場合、それらは本当に欲しいものではなかったのかもしれません。
それら欲しいものがあれば何を感じなくてすむのか?を、考えてみると本当に欲しいものがわかるかもしれません。
例えば、「車が手に入れば、成功した気持ちになれ、失敗者ということを感じなくて済む」とか「家が手に入れば、幸せになった気持ちになれて、家庭に恵まれていないことを感じなくて済む」
こんな感じです。
もし例に出したような状態なのだとしたら、車を手に入れることで感じなくて済むのは、失敗者という感情。
ということは、本当に欲しいのは、成功者という感情であり、それによって認められていると感じることができるということです。
でも満たされないのですから、車=認められているではないということですよね。
では、いったい誰に認められたかったのでしょうか?
どうして、認めてもらえていないと思ったのでしょうか?
そこには、誤解や傷ついた経験があるかもしれません。
それによって、自分は認められていないと思い込んでしまったのかもしれません。
いくら手に入れても、満たされたという感じがしないとき、本当に欲しいのは、物質的なものではなく、何らかの感情であるということは少なくありません。
承認されているという感情が欲しのに、車を手に入れても本当の意味では満たされませんよね。
本当に欲しいものの正体を探って、そこに潜む傷をいやし、誤解を解いていくことが必要になってきます。
確かに「足りている」という物事の見方ができれば、私たちの心は不足を感じませんので、満たされていないとは思いませんね。
よくコップに半分入った水に対して、「半部しかない」とみるか、「半分もある」とみるかというお話を聞きますが、足りているとみるのは、「半分もある」とみているということです。
でも、足りていると見ようとしても、どうしても不足を感じてしまうこともあります。
それは、心のどこかに「今はいいけれど、いつかなくなるのでは?」とか「もしも、その半分もなくなってしまったら誰も助けてくれないぞ」という怖れがあるからです。
どうしてそのような怖れを持つか?
「何らかがなくなってしまった経験」や「誰も助けてくれなかった経験」が怖れを作るのです。
ですから、いくら「足りている」「半分もある」と思おうとしても、できないのです。
こういった怖れをなくしていくには、自分から与えるということが必要になります。
誰かを大切に思うとか、誰かに親切にする、誰かにやさしくする、誰かを応援する。
そうやって、自分から誰かに何かを与えていくことで、心の中は怖れではなく、余裕が生まれてきます。
その余裕を通して、コップの水をみると「半分もある」ととらえることができるのです。
外から何かを調達するのではなく、必要なものは自分の中にあるという実感を持つことができれば、「足りない」「満たされない」という感覚はなくなっていくでしょう。
不足しているという怖れからではなく、「ある」ものに目を向けること、感謝することも大切です。
自分にはなにが「あるのか?」に目を向けてみましょう。
家族・友達・時間・趣味・知識・行動力・・・
たくさんのものを持っていることに気付けるかもしれませんね。
そして、それらを持っていることに感謝するのです。
「ありがたいな」と感謝することで、これもまた心の余裕が生まれます。
ぜひ、お試しいただければと思います。
(完)