働くことは、私たちにとって大切なことですし、必要なことです。
ですが、働き過ぎて身体を壊したり、家庭をかえりみないとなると、問題となってしまいます。
働き過ぎて、まったく休まないというとき、そこには働くことで、感じなくていい感情があるのかもしれません。
私たちは、自分のことを悪いと思っていたり、価値がないと思っていたりすると、それを償い補うために、補償行為として働き過ぎてしまうことがあるのです。
私たちは「過ぎてしまう」ことがあります。
過ぎてしまうと、もれなく「やってしまった・・・」と罪悪感を感じるものですね。
今回の心理学講座は、そんな「過ぎる」心理について、いくつかお話しさせていただこうと思います。
今回は、働き過ぎてしまう心理についてです。
働くことは、素晴らしいことですし、私たちには必要なことであり、大切なことでもあります。
ですが、いわゆるハードワーカーと呼ばれる人たちのように、働き過ぎてしまうことがあります。
熱があっても、骨が折れていても、病気になっても、苦しくても仕事を休まない。
趣味や遊びには、見向きもせず、ただひたすらに働く。
働き過ぎて、健康を害してしまったり、家族と関係が悪くなる人も少なくないので、働き過ぎるというのも、一つの問題なのかもしれません。
働き過ぎる人というのは、働いている間は、感じたくない感情を感じなくて済むということがあります。
例えば、「自分は役立たずだ」というあまり感じたくない感情があるとします。
そすると、働くことで、役立たずだという感情を感じなくて済みます。
ですが、病気や怪我などで働けない時間があると、途端に「自分は役立たずだ」という感情を感じるはめに陥ります。
本当は、何らかの事情で働けなくても、役立たずでもなんでもないのです。
でも、役立たずな自分を責める気持ちが強ければ強いほど、休むということができなくなって、働き過ぎてしまうのです。
「自分は役立たずだ」という感情だけでなく、「自分は悪い人間だ」「自分はダメな人間だ」など自分を否定するような感情を感じないで済むように、働き過ぎている人もいます。
補償行為と言われる、ダメな自分を償うために、価値のない自分を補うために仕事をしていると、働かないではいられなくなるのです。
そうしていないと、ダメな自分、価値のない自分を感じてしまいますからね。
また、自分の感情だけでなく、「働いているときだけ、家族の不仲を見なくて済む」などのように、働き過ぎることで、何かから目をそらすというのもあります。
本当は、解決しなくてはいけない問題があるのだけれど、そこから目をそらすために、働いていると、やはり休むとその問題に目を向けざるを得なくなりますから、働き過ぎるということになるのです。
働き過ぎてしまうとき、仕事が補償行為になっていないか?を確かめてみてください。
もし、補償行為だけで働いているのであれば、働く動機を見直していく必要があります。
また、解決が困難だと感じて、目をそらせている問題があるのであれば、誰かの力を借りて、じっくり向き合ってみる必要があります。
何かから目をそらせていたり、向き合わないでいると、そんな自分に罪悪感をもちます。
そして、罪悪感を償うために、また補償行為として働くという悪循環になってしまいますからね。
>>>『様々な過ぎてしまう心理(4)~飲み過ぎてしまう心理~』へ続く