相手に不快感を与えない話し方

相談者名
もも
よく周りに、さらっとおもしろく、聞いている方に不快を与えないように自分の失敗とか、愚痴とか、人の悪口とか言える人っていますよね。私は、そういう風にいえないのでそういう人ってうらやましいって思ってしまいます。私が話すと、なんか深刻に聞かれてしまうんですよ。
というか、私自身話すときにおもしろそうに話すというよりは、「すっごい頭くる」って勢いで話すからだと思うんです。怒りをぶつけてしまうというか。それがちょっとなら許せるだろうけど、毎回だとやっぱり聞いている方もつらいですよね。

家族に仕事の愚痴とか話すのですが、私が愚痴をいうと「お前と話すとつまらないな。話が深刻になりすぎるんだよ。他の人と話すけどもっとみんな楽しく愚痴とか話すよ」って言われました。

確かにそうなんです。私の友達で私よりも大変な事態に巻き込まれたとしても「今日、こんなことあってさ~。困っちゃうよ」っておもしろく話してくれる人っています。どうしてこうも違うのかなって考えてしまいます。

その友だちは、やっぱり話していて楽しいんですよ。だからいつもみんなに好かれています。万国共通の好かれる人っていますよね。

彼女と私ではどう違うのでしょうか。彼女みたいになりたいって思っています。
宜しくお願いします。

カウンセラー
根本裕幸(退会)
ももさん、こんばんわ。根本です。
ご相談ありがとうございました。> よく周りに、さらっとおもしろく、聞いている方に不快を与えないように自分の失敗とか、愚痴とか、人の悪口とか言える人っていますよね。私は、そういう風にいえないのでそういう人ってうらやましいって思ってしまいます。

そうですね。僕も実はももさんと同じで、失敗とか愚痴とかを話すと深刻に捉えてましたし、
悪口を言ったら、それが思った以上に広がって恥ずかしい思いをしたり、そんな人たちが
ずっと羨ましかったです。

それは感情のたまり具合によるものじゃないかなあ?って今では思ってます。

例えば、心の中に「怒りタンク」なるものがあったと思って下さい。
そのタンクは怒り燃料という怒りの感情が入っているところで、何らかの方法(愚痴や悪口なんかも一つの方法)で吐き出されるまではずっと溜まったまんまだと思って下さい。
で、当然怒り燃料なるものはとてもパワフルで危険度の高いガスみたいなものだとしてみましょう。

そこで、Aさんのタンクはほとんど空で、Bさんのは常にある一定以上溜まってるとします。
その場面でどちらも同じ量の怒り燃料が注入されたとしたら、どちらが怖いでしょう?
Aさんの方は今回注入されただけ、Bさんのは今までの量にプラスですから、当然Bさんの方が怖いと思うんです。

だから、いつも感情にオープンで怒りにしても、喜びにしても感情を上手に発散している人というのは、愚痴を言ったり、悪口を言ったりしても軽い響きになると思うんです。
でも、どちらかというと感情を抑圧していて、あまり喜怒哀楽などを表現しなかったとしたら、その人が怒りを表現したときに周りの人はびっくりしてしまうでしょう。

また、感情的にオープンな人っていうのは、客観的に見て今どんな気分なのかがとても分かりやすいと思いませんか?
普通のときは普通の顔をし、怒っている時は怒っている顔をし、悲しいときは悲しい顔をしてたとしたら、周りの人もとっても接しやすくなりますね。

僕のお勧めとしては、ももさんがどんな風に日常から感情を扱っているのか?を考えてみる事です。
押さえ気味なのかな?
比較的表現する方なのかな?

大人になるにつれ、怒りなんてのはとても表現しにくい感情ですので、喜びや嬉しいときに自分がどんな態度を取っているのか思い返してみるのもいいですよ。
そこで何か気付きが得られるかもしれません。

この部分を変えていくのも、同じく喜びや嬉しい気持ちを今よりももっと表現しようと思うところから始めてみることをお勧めしたいですね。
喜びって誰が見ても悪いものではありませんから、リスクがとっても少ない方法です。

もし、感情を抑圧してしまう癖があったとしたら、心の中に感情を出してはいけない、気持ちを表現してはいけない、みたいな禁止があるのかもしれません。
この禁止って僕たちが小さい頃から無意識的に培われたものであることも多いんですね。
ですから、少しずつのチャレンジを繰り返していってみてください。
そして、なかなか自分ひとりではうまいこといかないなあ。感情の扱い方を学んでみたいな、と思われたなら、また僕たちを頼ってみてくださいね。

表現上手な自分を目指して頑張りましょうね。
応援しています。

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