友達ができない。

相談者名
おらちゃん
42歳女性です。
今更ながら、人付き合いに悩んでいます。

相談事例集の「人に好かれない自分がイヤです。」というものを読み、
似ていると思いました。
母との関係も、人との関係も。

最後尾にカウンセラーの多田先生のコメントで「これが本当に近づいてくると・・・最初に強い怒りの感情と怖れ。
そしてその後に強烈な「恥」の感覚がやってきます。
そこを超えていくお手伝い よかったらさせてくださいね。」とありました。

この先を知りたくて相談いたしました。
「恥」というのはどういうことでしょうか?

私の実例としては、心を開ける友達は一人しかいません。
あとは、夫と実母くらいです。
もっとお友達を近くに作りたくて、仕事仲間(派遣やパートさん)や、
同じ趣味を持つ知人など、友達と呼べる間柄になりたくて、個人的なおつきあいをしますが、大体3回程度、お茶や食事をして会う機会を作ると、
なぜか自然と離れていきます。
また目上の方からは可愛がられず批判的にみられているように思います。
それでも、こちらから話かけたり連絡をすれば返答はありますが・・

話し方も面白くないのだと思います。
数人で会話をしていても、相手にも気が無くなってくる気配を感じたり、
話題も人から「どうしてた?」と話をふられたり、
自分のことを聞かれるということは無くなってしまいます。

この現象は、なぜかというのを知りたいのと、
このままでは嫌(不満)なので、まわりの人と同じように、
聞いたり聞かれたり、対等の関係でつきあうには
どうしたら良いのかを考えたいと思っています。

私自身、場の話題がどうでもいいくだらないことは、つまらないと感じます。
身になるもの、情報となるものにはテンションも上がるのですが、
自分と関係ない話題を出されると、無理して聞くようにしますが、
どこか不自然な応対になり集中力が切れると相槌しか打てなくなってしまいます。

また、冒頭に書いた友達作りも、あと1人~2人くらい欲しいと思っています。

以上の内容を読み返すと、幼く今更なにを悩んでいるのかと恥ずかしく思いますが、今からでも間に合うのであれば、なんとかしたいと思っています。
よろしくお願い致します。

カウンセラー
三島桃子
おらちゃんさん、はじめまして。今回担当させていただく三島桃子と申します。どう
ぞよろしくお願いいたします。

いつもカウンセリングサービスのホームページをご覧になっていただいてありがとう
ございます。おらちゃんさんがご覧になった相談事例集の回答に関するご質問につい
て、まず書かせていただきますね。

>相談事例集の「人に好かれない自分がイヤです。」
>というものを読み、似ていると思いました。
>母との関係も、人との関係も。
>最後尾にカウンセラーの多田先生のコメントで
>「これが本当に近づいてくると・・・最初に強い
>怒りの感情と怖れ。そしてその後に強烈な「恥」の
>感覚がやってきます。」とありました。
>(中略)「恥」というのはどういうことでしょうか?

というご質問ですね。多田は現在名字が変わり、「岡崎陽子」になっております。岡
崎のコメントの中の「これ」とは、「『みんなから愛される私』を受け取ること」で
すね。自分は愛される存在だということを素直に受け入れる、ということです。

岡崎が書いているように、「自分は愛されない存在だ」と思い込んでいる人が、「自
分は愛される存在なのだ」ということを認めて受け入れようとする時、まずは怒りが
出てくることが多いのです。

それまでは、「愛してもらえないのはきっと私が愛されない人間だから仕方ないの
だ」というような自己否定や絶望などが、「なんでこんなふうに扱われなければなら
ないのだ、なぜ愛してもらえないのだ」という怒りの感情を抑えるふたになっている
のですが、「自分は愛される人間なのだ」と感じ始めた時、そのふた(自己否定や絶
望感など)がなくなってしまうので、心の中に溜めこまれていた今までの怒りが噴き
出してくるのです。

同時に、「怖れ」も感じます。自分の中で、「愛されない私」から「愛される私」に
感覚が変わるわけですが、「愛される私」として生きることは初めてなのです。すべ
てが初めてだとすると、人間はとても怖くなります。「これで本当に幸せになるんだ
ろうか?足元をすくわれるようなことにはならないだろうか?」など、大きな不安が
出てきます。

怒りも怖れも、逃げずに素直に感じていると、やがてすっと抜けていきます。その後
にくるのが「恥の感覚」です。「恥」というのは、自分にとってのタブー(決して
やってはいけないこと)を破る時に出てきます。

例えば、街中で裸になることは強烈な「恥」の感覚をともないますよね。私たちに
とってのタブーを破ることになるからです。それと同じなのです。

「愛される私」が、自分にとってあり得ないこと、タブー、になってしまっている
と、「愛される私」を受け入れる時、強い「恥」を感じます。それほどまでに、「愛
される」ということを自分に禁止してきたということです。

「恥ずかしい」というよりは、大きな抵抗感や、気持ち悪さとして感じられることも
あると思います。

この「恥の感覚」からも逃げずに感じ切ると、やがて平穏な感覚が訪れます。平和で
幸せで、でも同時にワクワクするような喜びの感覚もあるのです。ここまで来ると、
思わず笑い出してしまう方もいらっしゃいます。今までこだわっていたことが全部吹
き飛んで、楽しくて嬉しくて、みんなに愛されている感覚や、自分もまたみんなを愛
している感覚に満たされます。

どうでしょうか。おらちゃんさんの知りたいことの答えになっていたら幸いです。

さて、次に、おらちゃんさん自身の状況について考えてみたいと思います。

>もっとお友達を近くに作りたくて、(中略)個人的な
>おつきあいをしますが、大体3回程度、お茶や食事を
>して会う機会を作ると、なぜか自然と離れていきます。

とのことですが、実は、おらちゃんさん自身が「自分は愛されない」と思い込んでい
るところから起こっていることではないかと思います。3回ぐらい会うと、おらちゃ
んさん自身が、無意識にそれ以上近づかないようにしてしまうのです。

「こんな私に3回も会ってくれた。これ以上はぜいたく言えないわ。もしあなたから
ぜひというならもっと親しくなることもできるけど、私から近づいていくことは申し
訳ないし、断られたら怖いからできない」

というような感覚が出てくるのではないでしょうか。これは相手からは、「あの人は
これ以上私に近づきたくないみたいだ」というふうに見えます。相手としては、「あ
の人にその気がないものを私から無理やり近づくわけにもいかないし」と感じますか
ら、お互いそれ以上距離を縮めることができなくなります。

>聞いたり聞かれたり、対等の関係でつきあうには
>どうしたら良いのかを考えたいと思っています。

今のおらちゃんさんに「私は愛されない人間だ」という感覚があるとすると、なかな
か対等にはなれませんよね。なぜなら、おらちゃんさんから見ると、「私は愛されな
いような人間」で、他の人たちは「愛される人間」ということになりますから、自分
の方が劣っているように感じてしまうと思うのです。そうすると、相手が上、自分は
下、のような感覚になります。

対等な関係を手に入れるには、おらちゃんさん自身が「自分は愛される人間なのだ」
ということを認め、受け入れることが大切になってきます。

その他のおらちゃんさんの疑問にもお答えしたいのですが、長くなってしまいました
のでこの辺りで失礼いたします。もっと知りたいと思われるようでしたら、初回無料
の電話カウンセリングなどをご利用ください。

>友達作りも、あと1人~2人くらい欲しいと思っています。

>幼く今更なにを悩んでいるのかと恥ずかしく思いますが、
>今からでも間に合うのであれば、なんとかしたいと思っています。

いつからでも、遅いということはありませんよ。その気があれば、人間は変わってい
くことができます。変わるというよりも、本来の自分を取り戻す、と言った方がいい
かもしれません。おらちゃんさんの手の中にないものを手に入れる、というのではな
く、実はもう手の中にあるものに気付くだけのことなんです。

おらちゃんさんのことを応援していますね。
ご相談ありがとうございました。

三島桃子

この記事を書いたカウンセラー

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