こんにちは 平です。
いま、私が凝っている小説家の一人に黒川博行さんという人がいまして、とくに『疫病神シリーズ』というヤクザものの作品が大好きです。
主人公の二宮くんはカタギの人なのですが、元ヤクザだったおとうさんの解体屋を引き継ぎ、その会社を倒産させ、いまはサバキという仕事をしています。
サバキというのは、マンションの建築現場などに来ては、なにかと文句をつけ、金を取ろうとするヤクザに対する防衛策をとる仕事のことです。
ひとことでいえば、二宮くんは、ヤクザにはヤクザで対抗するための斡旋業というのをしています。
その二宮くんがコンビを組んでいるのが、“ケンカの国の王子様”と呼ばれるほどケンカが強くてイケイケの桑原というワイルドなヤクザです。
主人公の二宮くんは、事務所で小鳥を飼っているような優しい青年で、ケンカにはからっきし弱く、ちょっとスケベで、風俗大好きの独身。
ヤクザの桑原からは、いつも「おまえはヘタレやのぉ」とバカにされています。
一方、二宮くんも桑原のことを“歩く本能”と馬鹿にしているのですが、二人は名コンビで、そして、このコンビがいろいろな出来事を引き起こしてくれるという物語なのです。
二人は何度も何度も修羅場に遭遇し、半殺しの目に遭ったり、ピストルで弾かれたりと、ひどい目に遭うのですが、どんなときにもこのチーム、ユーモアを忘れることがありません。
心理学で“相補性”というのですが、人は自分にないものをもっている人に魅力を感じ、そして、その違いゆえにケンカもします。
自分にないもの、言い換えれば、自分がもつことを禁止しているその要素を平気で所有している人に、人はどうも、魅力を感じるようなのです。
「もし、自分があんなふうだったら、いまとは違う人生を歩めたのに」という変身願望のようなものを投影するようなのです。
たとえば、ヤクザが求める女性は、ソープに沈め、金を巻き上げても、自分に徹底的に献身してくれる人だといいます。
女性をただ食い物にしているだけのようですが、なぜ、そんなひどいことができるのかというと、じつは彼ら自身、親分に対してはものすごく献身的で、命のやりとりすら厭わないという価値観をもっているからです。
だから、自分も同じように扱われることを求めて、「オレがしていることを、おまえもやれ」と言っているわけです。ある意味、一貫性はありますよね。
ヤクザというと、「裏切る奴らは殺す」という側面ばかりが強調されがちですが、「仲間は守る」という側面もあるわけです。
たとえば、組のために懲役に行っている組員がいるなら、その家族の生活は組が守り、裁判費用も負担し、そして、出てきたときにはそれなりの出世もあるわけです。その点、一般企業では、会社のために献身しても、意外と冷たかったりするかもしれませんね。
だからといって、「ビバ、ヤクザ!」と称賛するつもりはないのですが、ともあれ、「裏切りには死を」という考え方の対極に、「仲間の面倒は一生見る」という関係性も存在しているわけです。
男女関係の場合も、「裏切られたらどうしよう」とか「捨てられたらどうしよう‥‥、いや、きっと私はいずれ捨てられる‥‥」などと疑ってばかりいる人は、それが現実になってしまうことが少なくないようです。
反対に「おまえに裏切られるなら仕方ない」、「あなたにだまされるなら仕方ない」と、無防備なぐらい相手を信頼することができる人は、裏切られることもそうそうないようです。
人の心はどうも、信頼や愛に対しては、同じく信頼や愛で返したいようなのです。
昔、あるヤクザ屋さんが言った言葉が心に残っています。それは、「わしらが親分に命を賭けるのは、親分がわしらのためなら平気で命を捨ててくれると思えるからです」というものです。
男女関係でも同じような関係がつくれたなら、そこには強い絆が生まれるのかもしれませんね。
では、次回の恋愛心理学もお楽しみに!!