ゆとりはやさしさ

こんにちは 平です。

ちょっと創造してみてくださいね。

きょう、あなたはおなかをこわしていて、いま、外出先で一心不乱にトイレに向かってすり足で近づいているところだとします。

大惨事へのカウントダウンが始まっており、一刻の猶予もないような危急存亡の時であるわけです。

そのとき、あなたの行く手を一人のおばあさんが阻みます。「すいません、品川駅まではどう行ったらいいんですかねぇ?」

見たところ、素朴で、やさしげで、これまでの人生でなに一つ悪いことなどしたことがないだろうというぐらい善良そうなおばあさんです。

しかし、いまのシチュエーションでは、このおばあさんを思いやるゆとりなど、あなたにはありません。心の中で「ババア、じゃまだ!」と叫び、蹴散らすように先を急ぐと思いませんか?

トイレに駆け込み、大惨事の危機が去ったのち、きっとあなたは、あの善良そうなおばあさんにやさしくしなかったことをおおいに反省するのでしょうが‥‥。

つまり、人というのは、ゆとりがないときは、人に優しくすることがなかなかできないようなのです。

一例が子どもを虐待する母親です。それが経済的なことなのか、ご主人との仲がうまくいっていないのか、理由はそれぞれですが、みなギリギリの精神状態の中にあるわけです。

そんなとき、子どもが「ギャーッ」と泣いたりすると、心のゆとりがないがゆえ、愛してあげることができないのです。

そして、それはあなたにも通じることであると同時に、あなたのまわりで、あなたのことを愛してくれなかった、理解してくれなかったと感じた人がいたとしたら、その人たちもじつは同じようにゆとりがなかったのかもしれません。

もしも、子どもを虐待している母親がいたとしたら、ついつい、「てめえ、母親だろ、もっとやさしくしてやれ!」とか、「あんた、人間として最低だな」などと攻撃したくなるかもしれません。

でも、そうしたところで、その母親のストレスは増えることはあっても、減ることはありませんよね。

つまり、子どもを助けたいと思って母親を攻撃したとしたら、結果的に「あんたがギャーギャー泣くから、私が怒られたじゃないの!」とさらに子どもが母親から八つ当たりされることになるのかもれません。

とすれば、子どもを助けようとしたあなたの行動は、間接的には母親を使って、あなたが子どもを攻撃したようにもなってしまいます。

ですから、こんなとき、私たちカウンセラーは「おかあさん、なにがあったのですか。なにがあなたをそんなにイライラさせるのですか」と問いかけ、そして、そのストレスをなんとか軽減させようとします。

ストレスが軽くなって、ゆとりが出てくると、「いつも子どもに八つ当たりばかりして情けないです。きょうは子どもに優しくしてあげようと思います」と、愛ややさしさも生まれてくるようです。

よく、「金持ちケンカせず」といいますが、これも、お金持ちにはいろいろな面でゆとりがあるがゆえ、ストレスをためることが少なく、ケンカも減るということがいえるのではないでしょうか。

私の知り合いの女性に、夫婦ゲンカをしたり、なにかいやなことがあったりしても、「思いっきり食べて、よく寝ると、自分でもビックリするぐらい機嫌がなおる」という人がいます。

たしかに、おなかがいっぱいになり、満たされると人は眠くなります。そして、寝ている間、人はイライラしたり、発想が攻撃的になったりすることはなくなります。いわば彼女の方法は、強制的に自分にゆとりを与えているようなものといえるのでしょう。

毎日が忙しければ忙しいほど、あえて、ゆっくりとした時間を過ごすようにする‥‥。たとえ30分でも1時間でも、そんなひとときがあなたには必要です。

そのゆっくりとした時間の流れがあなたの心にゆとりを感じさせ、ストレスから解き放ってくれるのです。

 

では、次回の恋愛心理学もお楽しみに!!

この記事を書いたカウンセラー

About Author

神戸メンタルサービス/カウンセリングサービス代表。 恋愛、ビジネス、家族、人生で起こるありとあらゆる問題に心理学を応用し問題を解決に導く。年間60回以上のグループ・セラピーと、約4万件の個人カウンセリングを行う実践派。 100名規模のグループワークをリードできる数少ない日本人のセラピストの1人。