問題の裏側にあるもの

こんにちは、平です。

私たちは子どものころ、両親に全面的に面倒を見てもらうなかで、「愛されている」と感じていきます。

この時代は子どもであるがゆえに、できないことがたくさんあります。

「不十分な自分を補完してもらい、なにかと手をかけてもらうことで、親の愛情を受けとめ、確認するわけです。

その後、幼かったあなたはどんどん成長し、できなかったいろいろなことができるようになり、自立していくわけですが、そうなってからも、精神的に「だれかに頼りたい」とか「だれかに依存したい」という思いは、当然、残っていきます。

それを満たしてもらいたいという思いが、パートナーシップに引き継がれます。

すると、当初、パートナーに望むのは「不完全で、不十分な自分を満たしてもらうこと」で、それによって愛情確認をしていきます。これは、「依存を満たしてもらう」という状況です。

一方、愛情確認について、子どもの面倒を見る親の立場で考えてみましょう。

なににつけても不十分な子どもは、面倒を見るのもたいへんです。しかし、そのたいへんさよりも、「この子を愛してあげたい」とか「なんとかわいいのだろう」という思いが勝ります。

つまり、なにかしてあげるということを重ねることで、子どもへの愛情も強化されていきます。「私にはこの子にしてあげられることがある。

そして、それをしてあげることが私の喜びである」という状態です。

子どもの立場では依存心を満たしてもらうことで「愛される」と感じるのですが、親の立場に立つと、まったく違う形での愛が存在してるわけです。

依存状態を満たしてもらうことが愛だと感じている子どもは、「欲しているのに、欠乏感が満たされない」とき、そこにものすごく大きなストレスを感じます。

親側の場合は反対に、「してあげたいことがあるのに、してあげられない」という状況のときに大きなストレスを感じます。

たとえば、子どもに買ってあげたいおもちゃがあるのだけれど、金銭的に十分な余裕がないというようなときは「与える愛がない」と感じ、大きなストレスとなるわけです。

パートナーシップの問題に置き換えると、多くの人は「彼(彼女)がちゃんと愛してくれない」というとき、大きなストレスを感じます。

しかし、よくよく見てみると、いつも面倒を見てもらっている彼(彼女)に対して、「私のほうから与えてあげられるものがない」と心の奥底で感じていて、それがいちばんのストレスとなっていることが多いのです。

つまり、表面的には、「パートナーが私を十分に愛してくれない」という問題が不平不満をつくっています。

が、その実、心の底を探ってみると、「いつも面倒を見てもらい、愛情を注いでもらってばかりいる私だが、パートナーにお返しするものがない。こんなに与えることのできない私は、いずれパートナーに見限られてしまうのではないか」という不安を抱えているようなのです。

ここでは、「与えてあげられるものがない」ということが、大きなストレスになっているわけです。

だとするならば、私たちがパートナーや対人関係で問題を感じるとき、その背後には「相手のことを十分に愛してあげられていない」という不安が存在しているといえそうです。

どうやら、人間が本質的に持っている思いとは、「だれかを愛したい」というものであるようです。

そして、自分がだれかを愛してあげられない状態にあるとき、不安や恐れがつくられるようなのです。

そういえば、私たちはしばしば「ちゃんと愛してもらってない!」などという不満をもちますが、そんな不満のあるときは、自分からも相手を愛そうとはしませんよね。だって、愛してもらっていないわけですから。

つまり、「愛してもらってない」とか「許せない」という問題の裏には、相手のことを愛していない自分が存在しているのです。

この「だれかを愛していない自分」が存在するときこそ、私たちはいろいろな問題を抱えることとなるのです。

 

では、次回の恋愛心理学もお楽しみに!!

この記事を書いたカウンセラー

About Author

神戸メンタルサービス/カウンセリングサービス代表。 恋愛、ビジネス、家族、人生で起こるありとあらゆる問題に心理学を応用し問題を解決に導く。年間60回以上のグループ・セラピーと、約4万件の個人カウンセリングを行う実践派。 100名規模のグループワークをリードできる数少ない日本人のセラピストの1人。