こんにちは平です。
最近、私は登山が大好きで、山に登ってばかりいるのですが、まわりの人々からよく「山登りって、しんどくないですか?」と聞かれます。
しんどくないかと聞かれれば、たしかにしんどいのですが、そんなときはこんなふうに答えることにしています。「ものすごくしんどいですよ。でも、ただしんどいだけだったら、だれも山には登らないですよね」。
すると、こんどは多くの人が、こんなふうに聞き返してきます。
「なにが、そんなに楽しいんですか?」。
そこで私は、私がこの巨体のみならず、大きなリュックを背負っても重労働する価値のある、その“すばらしいもの”についてのお話を始めるわけです。
それはそれはもう、うれしそうに、楽しそうに‥‥。
しんどい思いをしたのちに出会える美しい景色であるとか、心地よい体験であるとか、また、山を下りたあと、どれだけ体が軽くなるかとか、そうしたすばらしいものの話を‥‥。
恋愛や子育ても、じつは同じだと思います。
わかりやすい例をあげれば、子どもを産むときには、すごく痛くてつらい陣痛があります。
しかし、なかには何度も出産する人もいますよね。陣痛のつらさ以上の喜びがなければ、だれもそんな痛い思いを何度もして子どもを産もうとは思わないわけです。
恋愛でいえば、私が昔、うちの奥さまと神戸でデートしていた時代のことなのですが、帰り道、私はいつも、隣の明石市の端にある彼女の自宅まで車で送っていました。
そのまま神戸で別れれば、私は家まで30分で帰れるのですが、彼女の家まで送って帰ると、自宅に着くのは3時間後。10時に神戸でデートを終えると、帰宅は夜中の1時になるわけです。
しかしながら、送っていきたいのです。少しでも長くそばにいたいわけですから。
当時、サラリーマンであった私は、次の日も朝から仕事があったわけですが、そんなことよりも、いっしょにいるその時間にそれぐらいの価値があったわけです。
それぐらいの価値があるものに出会えることが、人生において、すばらしいことであるわけです。なんの苦労もないとしたら、それがほんとうに幸せなことであるかは疑わしいといつも思っています。
たとえば、子育ての間は、自分のことは脇に起き、献身的に子どもに与えていかなければなりません。それはたいへんなことですが、しかし、子どもをもったみなさんが思うのが、「子どものいない生活は考えられない」というものです。
子どもがいなければ、夫婦二人で楽しめることは、きっと多数あるでしょう。でも、その多数あるものを「すべて犠牲にしてもかまわない」と思う人の多いこと。
ここから先は、どちらがいいかという話ではなく、「それほどすばらしいものに出会える幸せがある」という話なのです。
「あの人のためだったら、どんなことでもしてあげられる」。そんな人と出会えることは、とても幸せなことなのかもしれません。
もちろん、みなさんに苦労をおすすめしているわけではないのですよ。
そんな人と出会うことにより、あなたは存分に愛のストレッチができ、そして、あなたの愛をどんどん大きくしていくことができるのです。
恋愛や結婚の相手に、条件がよく、無難なタイプの人を選ぶこともできるでしょう。
でも、もしも、冒険が好きで、インディ・ジョーンズの妻になりたいような人が安全なタイプの男性と結婚してしまうと、つまらない人生になってしまうでしょう。
恋愛とは、なぜか心惹かれるもの。
まわりからどんなに反対されようが、心がときめき、そして、どうしてもその相手のことが嫌いになれないのだとしたら、それはきっと、「ほんとうに好き」ということかもしれないのです。だって、その人とおつきあいするのはあなたであって、あなたのお友だちではないのですから。
ほかの人がどれだけイヤだと言ったとしても、あなたが心地よいのなら、それは、あなたにとって、真実の人なのかもしれません。
では、次回の恋愛心理学もお楽しみに!!