こんにちは平です。
最近、「失恋して、傷ついた心を救ってほしい」というご相談が多いようなので、きょうは失恋をテーマに書いてみたいと思います。
失恋について、多くのみなさんは、「パートナーが愛してくれなくなったから傷つく」と捉えがちです。
しかし、そのときの心をよく見ていくと、パートナーが愛してくれないことよりも、「私の愛をパートナーが受け取ってくれなくなった」という“拒絶感”を感じることのほうが、大きなダメージになっているようなのです。
失恋を端的にいうと、大好きな人からあなたが拒絶されたということになるのですが、そこにはさらに、いろいろな物語が付加されがちです。
それは、たとえば、大好きな人に嫌われてしまったということから、「自分自身がどうしようもなくダメな存在だ」という物語です。
それによって、あなた自身があなたの心をますます傷つけてしまい、一つの失恋が立ち直れないほど大きなダメージとなっていくことは少なくないのです。
また、失恋をしたときは、それまで、あなたのパートナーがあなたの心に与え続けてくれたものが急になくなってしまい、あなたは苦しみます。
あなたはこれまでパートナーに依存しており、そして、その依存をパートナーが満たしてくれていたということですね。その度合いが大きければ大きいほど、それを失ったとき、あなたの心には大きな穴が開いてしまうというわけです。
言い換えると、本来ならば、失恋とは、それだけたくさんのものを与えてくれていたパートナーに感謝すべきときであるのかもしれません。
しかし、私たちはそれが「なくなってしまった」と嘆き悲しむわけです。
じつは失恋の痛みや傷は、ほとんどの場合、パートナーとおつきあいを始めるときからもう存在しているようなのです。
あなたは自分に自信がなく、孤独で、淋しい思いをしていた‥‥、そのすべてをパートナーが帳消しにしてくれるような体験を、おつきあいしている間にしていたわけです。
そして、パートナーができたおかげで、あのひどい状況からやっと抜け出すことができたのに、失恋すると、「また一からやりなおしか‥」、「期待して損をした‥‥」という思いが湧いてきます。
それによって、「恋なんかしたって、私のことを好きになってくれる人なんていない‥‥」とか「はじめはだませても、ボロは隠しきれない‥」などと、みなさんそれぞれに自分を責めることになるようなのです。
また、依存性が強くなっているときは、心のどこかで「だれかの助けなしには、自分は生きていけない」などと思います。するとパートナーというものを、まるで自分の面倒を見てくれる人のように扱ってしまうことがよくあります。
本来なら、恋愛をしたとき、パートナーを愛してあげたり、パートナーに与えてあげたりして、相手を喜ばせることができた度合いだけ、あなたは自信をもつことができます。
そして、「自分は多くの人を喜ばせることができる」と実感することによって、あなたは自分の存在理由を作っていきます。
ところが、依存が強いばかりにパートナーを利用してしまうと、心の中で「自分はパートナーの足手まといではないか。迷惑な存在ではないか」と思い、そして、「いつか、そんな私はパートナーに見限られてしまうのではないか」と怯えるようになってしまいます。
すると、「パートナーをどう愛してあげようか」と考えるよりも、「いつ見限られるのか」というおそれを感じるばかりで、パートナーに対してできることも、しがみつくことだけとなってしまいがちです。
もちろん、本来のあなたなら、さまざまな方法で、パートナーを喜ばせてあげることができるのです。しかし、依存的になっているときは、そんなことが自分にできるということに気づいていません。
あなたがパートナーを喜ばせることができればできるほど、あなたの魅力はあふれ、それがあなたの自信になります。
そして、自信がついていたとしたら、失恋したとしても、ものすごく大きなダメージにはなりません。
しかし、「自分はしがみつくばかりで、パートナーになにも与えることができていない」とあなたが自分を責めていると、まるで罰であるかのような失恋があなたを待っていることになります。
心の奥に「自分には愛される資格がないのではないか」という疑いが強くあるときほど、失恋を経験したときに、「ほら、やっぱり」という思いがあなたをひどく苦しめるのです。
「私は愛されるにふさわしい」とあなたが思えるようになればなるほど、失恋体験は「傷つく体験」から「この人じゃなかったんだという気づきの体験」に変わっていきます。
そうなれたとしたら、それはさらに、「真実の人と早くめぐり逢いたい!」と思うような体験にも変わっていくでしょう。
では、次回の恋愛心理学もお楽しみに!!