こんにちは、平です。
先日、ものすごく久しぶりに大学時代の友人と出会いました。奥さまも大学時代の知り合いです。
痩せていたころの私を知っている二人は、いまの私を見ても、しばらくはだれなのかわからなかったようでした。
そんな二人に、私が「これでも、ちょっと前より10キロほど痩せたんだ」と言ったところで、それは目くそ鼻くそを笑うようなものだったでしょう。
二人は恋愛結婚でしたが、二人のお子さんに恵まれ、長い結婚生活を過ごしたいまは、世間によくある“同居人のような夫婦”になっているということでした。
この夫婦にかぎらず、結婚生活の年月を重ね、おたがいにいろいろなことを分かり合えるようになった夫婦に、俗にいう“倦怠期”が訪れることはよくあります。
どんなおつきあいも、最初は相手を“未知”のものとして認識するところから始まります。
その未知への興味をかきたてられると、「もっと知りたい」という欲求が生まれ、それがロマンスをつくることが少なくありません。
ロマンスにはいろいろな力学がありますが、未知への興味もその一つだといわれているのです。
そのロマンスをつくっていた未知への興味も、つきあいが深まり、結婚したりするころにはすっかり消えてしまいます。
そのころには、おたがいのことをよく知るようになっていますし、いっしょにお風呂に入ったりなんかして、ある意味、相手のことが隅から隅までわかっていますからね。
しかしながら、あなたが知りえたのは、パートナーの表面的な部分だけかもしれません。
じつのところ、長年、いっしょにいたとしても、相手の心の内面深くまでは知りえない場合が非常に多いようなのです。
それなのに、なぜ、私たちは、相手のことがわかったと思ってしまうのでしょうか?
深層心理的に見ると、私たちは知らないものに対して“恐れ”を感じます。
その恐れを克服するために、「知りたい」と思うわけです。
そして、相手のことをある程度知った時点で、「この人は、こういう人なんだ」という思い込みができると、恐れを感じることはなくなります。
すると、あなたの興味はほかのものに移っていくわけです。一般的な夫婦であれば、それは子育てであったり、家を買うことであったり、出世であったり、近所づきあいであったりとさまざまであるわけですが‥‥。
ともあれ、私たちは恐れを克服するために、いろいろなものを「わかったもの」にしたいようです。
しかしながら、人間というのは奥の深い生き物であり、そして、たえず変化する生き物でもあります。
あなたがしばらく興味を失って、目を向けていなかった間にも、パートナーはどんどんどんどん変わっていったりするわけです。
その変化に気づかず、昔、あなたが決めた「パートナーはこういう人だ」という思い込みをもちつづけていると、うまくいかない場面もしばしば出てくるようです。
自分の思い込みを間違ったものにしたくないという気持ちが働くために、その思い込みにあてはまらないことがあると、「なんだよ、あいつ、最近‥‥」などと感じたりすることもあります。
思い込んだのとは異なるパートナー像を認めたくないというわけです。
そうして、昔のイメージにしがみついていると、いま、目の前であなたのパートナーが発しているエネルギーといおうか、メッセージのようなものを、あなたはキャッチすることができません。
すると、とくに女性はご主人に対し、「この人は、なにもわかっていない‥‥」と失望し、やがて、メッセージを発することもあきらめてしまうようなのです。
波風が立つ場面もなくなりますから、多くのご主人は、「われわれ夫婦の間には、なんの問題もない」と認識してしまいます。
しかしながら、そこには奥さまの深い絶望が隠れていたりするのです。
「ほんとうは、なにもわかっていない」という‥‥。
パートナーシップが長くなったら、もう一度、まったく新しい目でパートナーを見てあげるということがとても大事になってきます。
冒頭にお話した友人夫婦とはほぼ20年ぶりの出会いでした。
そのときの会話の中で、私が彼ら夫婦について言ったことにいちばんびっくりしたのが当の二人であったようでした。
私は目の前にいた二人が発するメッセージをダイレクトに感じただけです。ものすごく久しぶりだったので、過去の思い込みにとらわれず、まったく新しい目で二人を見てあげることができたのです。
まさに、いつも一緒にいる夫婦ほど、意外とおたがいのメッセージを受け取れていないということなのでしょう。
「ほんとうは、なにもわかっていない」。
なにもかもわかった気にならず、ときには未知のものとしてパートナーを見てあげることがとても大事なことといえそうですね。
では、次回の恋愛心理学もお楽しみに!!