相談者名 | まめ |
30代の既婚女性です。 2年前に流産し、待望の赤ちゃんだったので、立ち直るのに1年以上かかりました。 夫が大きな支えでした。 未婚で私を産んだ母は事あるごとに「あなたのために私は強くならなくてはならなかった」「あなたのために私は人生を犠牲にしなければならなかった」と子供の私に言いました。 当時は父親は死んだと聞かされていたので自分のために苦労をしてる母に申し訳ない気持ちで一杯で、一生懸命いい子に振る舞い、愚痴の聞き役もし、母の「母親役」に徹していました。 ひどい言葉もたくさん言われましたが我慢しました。 本当に辛かった。 結婚してやっとの思いで母から逃れ、自分の意志を少しずつ言うようになりましたが、依存して来る母に「もういい加減解放して」と言うと、今度は「あなたも子供を産めば分かる」の一点張り。 じゃあできなければ私は人として出来損ない?子供を産むってそんなに偉いこと?何しても許されるの?私に暴言を吐く母に「お母さんも寂しいのよ。 もっと愛をあげて」と言う人たち。 私だって寂しい。 優しい夫がいるけど、誰にも迷惑をかけないように、自分の醜い心の闇を埋めようと必死なのに。 頭がおかしくなりそう。 母にはここ数年会っていません。 会いたくないです。 今また暴言を吐かれたら、私はどうにかなってしまいそうです。 この心の整理の仕方を教えてください。 今も涙が出てきます。 | |
カウンセラー | 根本裕幸 |
まめさん、こんにちは。根本と申します。 ご相談ありがとうございました。ほんと苦しい時代を過ごされてきたのですね。 そのような関係であったのならば、なかなか心の中からお母さんの影響力を払拭するのは大変かもしれません。 言葉は悪いですが、それこそ“亡霊”に取り付かれるかのごとく、その存在に怯えてこられたのではないでしょうか? お母さんのこと、数年お会いしていないようなのですが、流産される前からなのでしょうか?また、「子どもを産めば分かる」と言われたのは、流産された後なのでしょうか?前なのでしょうか? もし、何年も会っていなくて、そして、流産という辛い経験が重なり、そこで、お母さんのことを思い出されたのでしょうか。 今までの人生の中で、まめさんにお母さんという存在は、良くも悪くも中心にあった存在のようです。 でも、考え方や感じ方、価値観などで多大な影響を受けたとすれば、まめさんにとっては会ってない数年も、その実、それほど距離が空いた間隔は持ち得ないのかもしれません。 だから、数年会っていないのに、感覚上ではまだ数日距離を置いただけのように感じられたりするのです。 まめさんにとっては、お母さんが常にあなたを“感情の捌け口”のような存在として、“自分を受け止める親のような存在”として見てきたところにあろうかと思うのです。 お母さん自身がとても依存的な部分を持っていて、それを持て余し、娘であるまめさんのところに向けてしまったようですね。 幼少の頃から、母の母役をやるのはほんと大変だったろうと思いますし、また、まめさんもとても愛情深い方ですよね。 そして、燃え尽きてしまった・・・。 そういう感じではないでしょうか。 そんな中で、ご主人の存在はとても際立っていますね。 でも、僭越ながらそこで注意が一つ。お母さんがまめさんにされたように、まめさんがご主人に接していないかな、という危惧を感じます。なぜなら、こうした連鎖はよく起こりうることだから。 さて、漸く本題ですが・・・。 だから、まずは、心の中でお母さんと向き合うこと、そして、その怒りなり、理不尽なり、満たされなかった思いなりを思い切り感じること・・・そんなセラピーが浮かんできました。 その感情を燃やし尽くしてしまうのです。 感情は感じてあげれば抜けていくことができます。 だから、感じる・・・感じてみる・・・。 そういうところから始めてみてはいかがでしょうか? あとは、別角度からですが、ご主人に対して、より深い感謝と愛情の気持ちを持つことも、実はこの問題の解決策でもあります。 まめさんの幸せを願っています。 |