相談者名 | ぽぽい |
はじめまして。こんな年齢になって今更、相談も恥ずかしいのですが、母のことですが 母自身は愛情の欠片も無い祖母(母の母)から他の兄弟とも差別されて育ち学校も行かせて貰えないと云うか昔の奉公のような感じで親戚のお店をしてる叔母さんの家に預けられたとそう云う話を物心つくかつかない位の年齢からズット母から聞かされて来ました。その時に母の話を聞いては涙を流しました。母が可哀想な存在で、そのように思わないと 母自身も納得しなかったのだと思います。しかし母は結婚も失敗だったと父の悪口ばかりを毎日、私に聞かせました。父が少しでも私に優しくするとか、我が家は自営業でしたから従業員の男性が30名くらい勤めていましたし、その人たちが、【可愛いね、女の子は】 って社交辞令でも私にキツク叱り付ける母でした。【いやらしい子だね・・・】って嫌な目つきで、そう言うのです。体罰も毎日のように何を叱られたのか覚えては居ませんが? ただ、カッ!となったら、すぐに私の弟も殴られたり括り付けられたり、骨折や脱臼も しました。それは、父には絶対に言ってはいけない事でした。階段から突き落とされたり あざを作って学校に行っても自分で落ちたという感じでした。 結婚前も結婚後も母は結局、私に干渉しては、離れてはくれないのです。何でも母の言いなりでなければ、母は酷く怒ります。私の出産後2年もしない間に母は父を置いて家でを それまで私が高校へ行くまでは我が家はかなり儲かっていたのですが、母は貯金なども 父は半身不随になって母は籍も抜かず他の男性と一緒に暮らしています。その父の介護は 私は今年の夏まで看護婦をしていました。癌になって辞めました。その時に母は何か他の 私がそれで、母のあまりなので注意したら、私が正しい事を言い過ぎるという感じでまた しかし母はその再婚相手と一緒に近所に引っ越して着いて来るのです。 | |
カウンセラー | 根本裕幸(退会) |
ぽぽいさん、こんばんわ。根本です。 お返事お待たせしました。 ご相談ありがとうございます。45年間、ずっと強い悲しみや寂しさと戦ってきたような感じがしますね。 理解されることもなく、でも、お母さんに認めて欲しい日々だったような感じもしてしまうかもしれません。 ぽぽいさんにとって人生ってどのようなものなのでしょうか。 楽しみ、喜びを感じるというよりは、常にお母さんの影に怯え、自分を殺してしまうもののようになってしまっているのかもしれません。 でも、同時に、お母さんへの深い愛情も持っていらっしゃるようですね。 もしこのような状況を乗り越えて行くことができるとしたら、きっとぽぽいさんの生まれてきた目的・使命のようなものをきっと見つけていけると思います。 そんな自分の心の持つ、本当の力を見つけ出していきたいですね。 > 母自身は愛情の欠片も無い祖母(母の母)から他の兄弟とも差別されて育ち学校も行かせて貰えないと云うか昔の奉公のような感じで親戚のお店をしてる叔母さんの家に預けられたとそう云う話を物心つくかつかない位の年齢からズット母から聞かされて来ました。 そして、ぽぽいさん自身も同じなのかもしれません。 > ただ、カッ!となったら、すぐに私の弟も殴られたり括り付けられたり、骨折や脱臼も それは本当に苦しいことだと思います。 > 結婚前も結婚後も母は結局、私に干渉しては、離れてはくれないのです。何でも母の言いなりでなければ、母は酷く怒ります。私の出産後2年もしない間に母は父を置いて家でを ちょっと信じられない出来事ですよね・・・。 また、どうしてもお母さんに従うしか無かったんですよね・・・。 > 我が侭で、もうしないとか、もう行かないとか、その相手の方が気を使ってしまうし お母さんにとっては、常に自分が一番下の世界で生きてこられましたよね。 引越しをするたびについてくるのも、内心、自分を一番に考えてくれる(そう躾けてきた)ぽぽいさんの傍でないと生きていけないような気持ちを感じているのかもしれませんね。 > 私はむしろ15歳で家を出されて良かったのかも知れませんが、自分を確立できずに ぽぽいさんのお話を聞いていると、言葉にすることがためらわれるような気がしていました。 お母さんに対して、封印してきた気持ちがこれからのぽぽいさんにとっては今の状況を抜け出る鍵になるでしょう。 ぽぽいさんがお母さんから本当に自立し、自分を確立して行くために、自分自身の本音ともう一度向き合って行く必要があると僕は感じています。 僕はぽぽいさんが冷たいとは感じていませんよ。 ありがとうございました。 |