厭世観がひどい・・・

 

相談者名
kou
 はじめまして。
一人暮らしをしている大学四年生(男)です。私は今、いろんなことに興味を持って、前向きに積極的に行動したいと思っています。
自分が当事者として、自分の人生を生きていきたいと思っています。

しかし、今まで物事に本気になれた試しがありません。
何事に対しても「やっても意味ない」「それでなんになるの?」といった厭世観が浮かんできます。

家に居るときは時間が過ぎ去るのをただ待っている、この世の出来事をただ傍観するといった状態ですごしています。
自分がやっていることでさえ、自分がやっているという実感がわかないときもあります。
自分の行動、この世界のこと、すべてを傍観したいという自分が心の中にいる感じがします。
積極的に生きている人を見ると、自分が情けなくて死にたくなります。

厭世観の原因は幼少期の家庭環境にあるのかもしれません。
昔、母と叔母と御祖母ちゃんの関係が悪く、家では常に一触即発の雰囲気でした。
私は親たちの気に障らないように行動していました。周りの大人たちには常に恐怖を感じていました。
ある日、母が泣いているのを見て「俺は何でこんなところで生きなくてはならないんだろう」と運命を恨みました。
幼稚園生になったとき、いじめ(無視)られました。親に泣きつこうかと思いましたが怒られると思い、気持ちを殺しました。
そのとき、身体の感覚がなくなり「俺このまま死ぬのかな」と恐怖を覚えました。
この他にもいろいろなことがあり、世界は信じられない。俺はこの世に要らない存在。むしろ居てはいけない存在だと感じ、幼稚園生のときに自殺を考えました。
しかし、死ぬ事を考えると、運命に負けた気がして本当に悔しかった。
このとき、自分に嘘をついてでも生き延びようと思ったと同時に世界に対する厭世観を持ちました。
おそらくこのころから自分の傍観者になり、自分の人生を生きるのをやめているのだと思います。

厭世観のほかにも対人恐怖や離人感などに困っているのですが、今の自分の中で一番大きな問題であると感じるのは厭世観です。
厭世観を持ったまま生きていける気がしません。厭世観を克服するにはどうしたらよいのでしょうか??
その他にも私にアドバイスがあれば教えてください。よろしくお願いします。

カウンセラー
三島桃子
kouさん、はじめまして。今回担当させていただく三島桃子と申します。どうぞよろ
しくお願いいたします。ご相談をいただき、ありがとうございます。Kouさんは大学4年生なのですね。私が
大学4年生の頃を思い返してみると…、実は私も厭世観でいっぱいでした。ところ
が、当時私はそのことに気付いませんでした。自分で気付けたのは、30代になって
からです。ですから、今すでにそのことに気付いているkouさんはすごいな、と思い
ます。

>私は今、いろんなことに興味を持って、前向きに積極的に行動したいと思っていま
す。
自分が当事者として、自分の人生を生きていきたいと思っています。

素晴らしいですね。「自分が当事者として、自分の人生を生きる」、これって、充実
した人生のために本当に大切なことですよね。シンプル、かつベスト、といったとこ
ろでしょうか。

でも、そんなkouさんの気持ちの前に「厭世観」が立ちはだかっているようですね。
何かをやろうとしても「意味がない」「これが何になるのか?」と感じると、行動に
移せなかったり、途中でやめてしまったりしますよね。そして、その後には大きな空
しさが残るのではないでしょうか。私にも覚えがあります。

厭世観を持つに至った事情については、幼少期の家庭環境のことがあるのではないか
というkouさんの考え、なるほどと思いました。こういった状況の中で厭世観を持つ
子どもというのは時々いるのですが、一般的に言えることは、そういう子どもは感受
性が強く、頭がいいということです。

感受性の強い子どもは、周りの人の感情をとても敏感に感じ取ります。kouさんのよ
うにお母さんを含めごく身近な家族が“常に一発触発”だったとしたら、敏感な子ど
もにとってはとてもつらかったはずです。「感情のナイフ」がいつもそばにあって、
いつ振り下ろされるかわからないわけですから。

また同時に頭のいい子どもは、早くから世の中に対していろんな矛盾を感じます。大
人は子どもに「ケンカしないで仲良くしようね」などといいながら、自分はケンカし
ます。「相手を傷つけたら謝ろうね」と子どもには言いますが、自分は人を傷つけて
もそうそう謝りません。理屈で考えれば本当に理不尽です。「世の中どうなってん
の?やってられないよ」と思うのも自然なことです。Kouさんが「世の中が信じられ
ない」と思ったのも、いろんな矛盾がよく見える目を持っていたからかもしれませ
ん。

しかも、頭のいい子ほど、「甘えてはいけません」などという大人の言葉をちゃんと
守るので、自分が傷ついているのに大人に頼ったり甘えたりすることを自分に禁止し
てしまいがちです。そうすると、ストレスを抱え込んだままになってしまいます。

そして、もうひとつ、子どもには「マジカル・シンキング」が起こりやすいというこ
とも重要な要因です。

「マジカル・シンキング」とは、「実際には無関係な物事と物事との間に、関係があ
ると思い込むこと」です。人間はこういう思考をすることがあるのですが、特にまだ
知識や経験が未熟な子ども独特の「マジカル・シンキング」があります。

それは、幼い子どもにとって「よくわからないけどつらいこと」が起こった時、「何
だかわからないけど、きっと自分が悪い子だからこんなことが起こるんだ」と思って
しまうことです。紛争地域で母親が銃撃されたような場合に、小さな子どもが「ぼく
が悪い子だからお母さんが死んじゃった」と話すことはよくあるそうです。切ないで
すね。

もっと日常的なこと、kouさんの育った家庭のように家族の仲がうまくいっていない
場合などでも、幼い子どもは「よくわからないけど自分のせいなんだ」と思ってしま
うことがよくあります。やっかいなのは、幼いだけに、成り行きなどは忘れてしまっ
ても、「自分のせい、自分は悪い子」という思い込みは心に刷り込まれ、やがて「自
分は悪い存在だ」という強い罪悪感を抱えてしまうこともあるのです。

このように、いくつかの要因が重なって、今のkouさんの感覚ができあがってきたの
ではないでしょうか。kouさんの強い厭世観には、罪悪感も関わっているかもしれな
いと、私は感じます。「悪い存在」である自分が「何をしても意味がない」と感じる
のは自然なことです。罪悪感が厭世観を強化しているのかもしれません。

さてでは、どうしていけばいいでしょうか。

こういった心理が起こることは状況次第で誰にでもあり得ることなので、「強い厭世
観を持つ自分」を、まずは許してあげてくださいね。「許す」というのは、「そうな
んやなあ、自分はそういう状態なんだなあ」という感じで受け止めればOKです。そ
して、そんな自分をねぎらってあげてください。「オレって、今まで大変やったな
あ、これからぼちぼちラクになろうな」と、こんな感じの言葉を自分に対して、一日
一回は声に出して言うようにしてみるといいと思います。

この言葉を口にすることは、kouさん自身を認めるということです。自分を認めない
ということは、「オレなんか…」と自分を否定することであり、心が苦しくなって、
罪悪感や厭世観をよけいに強くしてしまいます。まずは自分を認めてあげてくださ
い。誰かにありのままのkouさんを認めてもらえたらほっとするのではないでしょう
か。それと同じように、自分で自分を認めることができた時も、人はほっとするので
す。結果的に心に余裕ができて、厭世観はじめ、ネガティブな気持ちは弱くなってい
きます。

Kouさんは、実際よくがんばってこられていると思いますよ!ぜひ自分のことをねぎ
らってあげてください。

>厭世観を持ったまま生きていける気がしません。

それぐらい、今は行き詰まった感じがあるのでしょうね。厭世観を持ったままでも生
きてはいけると思いますが、厭世観が今より小さくなった方が、kouさんが人生を
もっと楽しめるという面はあると思います。

自分の心に向き合う作業を続ければ、厭世観を小さくしていくことができると思いま
す。ただ、少し時間はかかると思います。まずは、厭世観を持ったまま、とりあえず
行動してみてください。「意味がないように感じるな~」と心に思いながらでいいの
です。厭世観は嫌だ嫌だと思いながらも行動してみてください。動くと、当然ながら
何かしら新しいことや変化が起こります。そしてそのことが、厭世観を小さくしてい
くことに役立つと思います。

そして同時に、カウンセリングなどをご利用していただいて、心のしこりになってい
る部分を直接取り扱っていくことも、よかったらやってみてください。

ご相談の文面から、私はkouさんの強い生命力も感じました。応援していますね!

三島桃子

この記事を書いたカウンセラー

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