不倫後の自分の気持ち

 

相談者名
ぶーこ
夫(36歳)の不倫が1年続き、発覚してから2ヵ月半がたちました。相手は会社の同僚(42歳既婚だが現在別居中)の方です。
原因はいくつかありますが、仕事、家事、育児と疲れ、夫との夫婦生活を何回か断っていました。夫はもう愛されていないのだと思ったそうです。
家庭では、子煩悩で私にも優しく、会話もあり、周りからもとても仲のいい夫婦とみられていました。
夫の趣味でもあるバドミントンチームやマラソン大会も夫から誘い、彼女と共にしています。不安感はあったけど信じていました。
彼女は人間的にもとても尊敬できる女性で、感性が似ていて運命を感じる、恋愛対象でもあり憧れの存在でもあると発覚当時話してくれました。
私のことは恋愛感情はもうないものの、もっと下の根元の部分で深い絆で結ばれている、夫婦としての愛情はあるんだと話してくれました。
私は夫を許し、また信じてやり直したいと思っています。夫のことが大好きなんだと改めて思いました。
夫は彼女のことは今でも好きだけど仕方がない、それ以上に子どもも好きだし私にもすまないと、家庭に戻ってきてくれました。彼も悩み、迷い、日々気持ちが揺れながらも私との関係修復に向けて前を向こうとしてくれています。
それでも、私の心は何故か満たされないのです。私が無理やり二人を別れさせただけではないか。現に彼女からは頻度は減ったものの毎日最低1回は何気ないメール(時に気持ちに訴えたメール)がきます。夫も我慢しつつも、たまに彼女への思いをメールで送ってしまうようです。
バドミントンも一緒に続いています。
彼は彼女と恋人ではなく、これからは友達としてつきあっていければと話し合ったそうです。
私は家庭に戻る決心をしたのなら、仕事以外での付き合いはやめて欲しい。でもそれは私のわがままなんでしょうか。家庭に戻ったことでもうこれ以上求めるのは彼の自由を奪ってしまう。気持ちを整理し彼の行動を信じる。でもやっぱりそれは苦しい、きっとまだ不信感があるのだと思います。いつもこの気持ちがせめぎあっています。
夫を信じたい、でもそれなら彼女とはきっぱり決別して欲しい、これは私のわがままなんでしょうか。自分の気持ちが、自分がどうしたいのかが見えなくなってしまいました。
カウンセラー
池尾昌紀
ぶーこさん
池尾昌紀と申します。
ご相談ありがとうございます。ご主人の不倫がわかってからの2ヶ月半、本当に大変な毎日だったのではないでしょうか。
今は落ち着きを取り戻しているといっても、この間に積み重なった心労はご自身が感じていらっしゃる以上のものがあります。
ここまでがんばってきた自分自身を誉めてあげてください。労ってあげてください。
あなたのがんばりが、あなたの家族を支えたのです。

さて、不倫のご相談は実際のカウンセリングの場でもとても多いテーマのひとつですが、
その原因を心理学的に解説すれば、多くは「不足原則」と我々が呼んでいるものになります。
簡単に言ってしまえば、奥さんや彼女からもらえないものを、他の女性からもらおうとする心理のことです。

例えば、「温かさ」が感じられないケース。
結婚して長年連れ添っていれば、段々とそばにいることが当たり前になってきます。
そこに、仕事や育児といった大変な要素が入ってくると、相手のことを構っていられなくなるのは、どんな夫婦にも起こりうることです。
ところが、自分に余裕がないために相手が近づいてきても、そんなつもりはないけど、冷たい態度になったり、適当な対応になったり、近づいてきたことそのものに気がつかなかったりといった態度にでてしまうことがります。
そうなると、相手としては拒絶されたような気持ちや、受け入れてもらえず寂しい気持ちになり、それは「温かさ」を与えてもらえないと思うようになるわけです。
すると、他の女性との関わりの中で、やさしい態度やいたわりをもって接してもらうと「温かさ」をもらえていると思い、欲しいと思っていたその思いをもらいたくて、浮気に走ってしまう。

でも、ここでの大切なポイントは、先にも書きました「そんなつもりはなかった」ということ、つまり、好き好んで冷たい態度やそっけない態度をしたわけではない、余裕がなかったからしかたなかった、ということなんです。

けれど、そうした相手への思いがあればあるほど、そんな態度を取って相手に寂しい思いをさせてしまった自分を責めてしまいます。
タイムマシーンに乗って、あの時に戻れるなら戻りたい。あの時にかえってやり直したい。
そうやって自分を責めに責めてしまいます。

ぶーこさんは、ご主人の浮気の原因として「仕事、家事、育児と疲れ、夫との夫婦生活を何回か断っていました。夫はもう愛されていないのだと思ったそうです。 」と書かれておられます。
この原因となった「私の行い」について、いったい何度ご自分を責めてこられたでしょうか。

実際のカウンセリングの場では、こうした相手が浮気をしてしまった、というご相談を受けた時、まず最初にこうしたお話をさせていただきます。
時には、周囲の友人家族が全員口をそろえて「旦那が悪い!」というようなひどいことをご主人がしてこられ、その恨みつらみをいっぱい抱えてお話くださる方もありますが、丁寧にお話を伺って、整理をしていくと、その恨みつらみの底にあるのは、やっぱり「私がいたらなかったから、こんな私だから夫はこんなひどいことをしたんだ」という「無価値観」から自分をひどく責める気持ちがあることに気がつかれる場合が多いのです。
ですから、まず、いかに自分自身を責めてきたかということ、そして、その気持ちをいかに我慢して閉じ込めていたのかということに気づいていただき、そうした自分を許し、いたわってあげるようなセラピーをして、ご自身に意識を向け、ご自身を癒すアプローチをすることを行っていきます。

どうか、こんなに自分を責めてしまっていることに気がついてあげてください。
こんなに自分を責めても、あきらめずに行動した努力が、夫婦でやり直そうという結果に結びついているのです。
本当によくがんばってきたと思いませんか?
あきらめない心こそが、問題を解決していく大きな力なんです。
本当に素晴らしいと思います。

さて、ご自身の気持ちに気づいて、いたわってあげるためにも、もう一つの視点を書かせていただきたいと思います。
それは、ご相談に書いてくださっている「それでも、私の心は何故か満たされないのです。」という言葉が何を示しているのか、ということです。

ぶーこさんは、前後の文脈から、「夫は自分の気持ちを最大限の努力を抑えてくれ、子どものために戻ってきてくれたし、私にもすまないと言ってくれるのだから、彼女とはっきり決別しろまで言うのはいいすぎかな」と思っておられるように感じます。
でも、彼女とはっきり決別してほしい、と思うのは当たり前のことではないでしょうか。
どうしてそこに遠慮や我慢が生まれてしまうのでしょう。
あなたが一番「満たされない」と思うこと、すなわち、一番傷ついているのは、彼女と決別してくれないことにあるのではないと思います。
少し想像していただきたいのですが、もし、ご主人が、彼女ときっぱり決別したら、この「満たされない」気持ちはすっきりすると思われますか?
不安がなくなるでしょうか。
恐らく、なくならないのではないかと思います。
文中にこんな表現をしてくださっています。
「私のことは恋愛感情はもうないものの、もっと下の根元の部分で深い絆で結ばれている、夫婦としての愛情はある」
「子どものために」
この言葉は、前向きなやり直しの言葉のようで、一番、あなたが傷ついている言葉なのです。
なぜなら、この言葉の中には、母であるあなたとの結びつきはあるのに、あなた自身を選んでくれた、という表現がどこにもないからです。
彼女の存在が問題なのではありません。
彼が私のことを「女性として」愛してくれないと言っていることが苦しいのだと僕は思います。
まず、そのことに気がついてあげてください。

ぶーこさんは、ご相談の中で、何度も「信じる」という言葉を使っておられます。
それは、彼を信じる、という意味で使っておられると思いますが、僕は、信じられないのは彼ではなく、あなたが自分を信じられないと書かれているように感じるのです。
ぶーこさんが、過去に彼に対して行った言動だけではなく、心の奥底に持っている「私は愛される価値がない」「こんな私では幸せになれない」という思いから来ているのではないかと思うのです。
この根本的な不安を取り戻す方法は、私は愛される価値がある、と自分の価値を認めてあげられる自分になるということです。

カウンセリングをさせていただく中で、僕がいつも痛感しているのは、どんな人にも必ず価値があり魅力があるということです。
でも、自分の本当の魅力に気がついておられない方が多くいらっしゃいます。
自分には価値がないという思いが「ふた」をして、本当の魅力を隠していたとしたら。
それを出さないように「ふた」をしてしまっているから、その魅力を出せないでいるのです。
そうした視点で、もう一度ご自身の心の中を見てみていただけたら、新しいヒントがみつかるのではないかと思います。

僕は、過去の自分のブログの中で、詩人の谷川俊太郎さんの「信じる」という詩を紹介したことがあります。
谷川俊太郎さんの詩は深く、部分的に取り出して簡単には語れるものではありませんが、その中にこんな言葉があります。

わたしは しんじる
わたしを しんじる
あなたを しんじる
せかいを しんじる

実際のカウンセリングやセラピーの中でも扱いますが、
言葉には大きな力があります。

辛い時、苦しい時、悲しい時。
それは自分を信じられなくなった時です。
そんな時に、この言葉を口に出して唱えてみましょう。
気持ちを整えることができます。

あなたは、実はたくさんの人から信じられていて
そう思えないのは、あなた自身が、自分を信じられなくなっている時なのです。

だからこそ、そんな時には、自分自身に言ってあげましょう。
わたしを信じてあげることから、周りを信じてあげられるようになっていくのです。

わたしは しんじる
わたしを しんじる
あなたを しんじる
せかいを しんじる

ぶーこさん
あなたは、ご相談の中でこう書いてくださいました。
「夫のことが大好きなんだと改めて思いました。」
カウンセラーは様々な手法で問題解決のお手伝いをさせていただきますが、結局のところ、ご自身の決意がなければ前に進むことはできません。
その原動力は「相手を愛する心」だといつも痛感しています。
あなたにはその強い心があります。
だから、ここまでがんばってこれたのです。彼もやり直そうと思えたのです。
どうか、ご自身を信じてあげてください。

この詩を紹介したブログで、僕はこう、まとめさせていただきました。

「僕も信じています。あなたを、せかいを、そして自分自身を。」

ここまでがんばってこられた、ぶーこさんのことを僕は信じています。
そして、こうして信じることのできる自分自身を信じています。

どうか、あなたも自分を信じてあげてください。
それが、ご主人をお子さんを家族を周囲の人を信じる力になります。
そしてその時、気がつくのです。
こんなにも自分が信じられていたのだということを。

ご相談ありがとうございました。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

名古屋を軸に東京・大阪・福岡でカウンセリング・講座講師を担当。男女関係の修復を中心に、仕事、自己価値UP等幅広いジャンルを扱う。 「親しみやすさ・安心感」と「心理分析の鋭さ・問題解決の提案力」を兼ね備えると評され、年間300件以上、10年以上で5千件超のカウンセリング実績持つ実践派。