幼い頃のトラウマでしょうか。

 

相談者名
はなはな
はじめまして。私は30歳2児の母をやっています。10歳上の夫は包容力のある優しい人で、何の不満も感じません。二人の子どもたち(6歳男児と4歳女児です)も、元気で明るく育っているし、誰が見ても、自分でも、私は幸せな人間だと思います。

ただ、私の心の中にずっともやもやしていることがあります。
それは、すごく満たされているはずなのに、ちょっとしたことで
「寂しい」気持ちになることです。

それは、幼い頃の気持ちを今でも引きずっているのかなと自己分析しています。

4歳違いの弟と二人姉弟の私は、両親から、常に「姉」であることを求められていました。両親は、私を「お姉ちゃん扱い」することが、私にとっていいことだと思っていたのだと思います。でも、私は、友達の前で「おねえちゃん」と呼ばれることが、ホントにイヤでした。物心ついてからいままで、名前で呼ばれたことはありません。「名前で呼んで欲しい」と何度もお願いしましたが、「弟が姉を名前で呼ぶようになったらよくない」と一点張りで、いまだに「お姉ちゃん」と呼びます。

「お姉ちゃん」と呼ばれることで、甘えたいときにも甘えられず、弱音を吐きたいときにも吐けず、何でも自分で解決する子どもになりました。
だから、今でも両親は私のことを「しっかりした子」「心配しなくよい子」だと思っているようです。

でも、ホントは、今でも大人になりきれない子どもっぽい自分が、ホントの自分だってわかっていて、心理的に甘えて自立していく段階を踏んでいないからかな~と心配になったりします。

ホントは自立した大人の女性になりたいのに、付き合う相手によって、子どもになったり、大人になったりします。例えば、夫にはあり得ない我がままを言ったり、子どもと真剣に喧嘩したりしてしまいます。

私ってなんなのでしょう。自分の思っている自分と人の思ってる自分が、全く違うタイプのような気がしています。

カウンセラー
高橋大
はなはなさん、はじめまして。高橋 大と申します。
ご相談ありがとうございます。寂しさには、誰もいない時に感じる寂しさと、周りに人がいる時に感じる寂しさ
の二種類があると僕は思うんです。

どちらも辛いけれども、誰もいない時の寂しさは誰かのところに自ら赴けば解決
するかもしれないのに比べ、周りに人がいるにもかかわらず感じる寂しさは深い
孤独を感じさせることでしょう。そしてはなはなさんは、その種の寂しさを感じ
ているのだと思います。
そこには、本当の自分をわかってもらえてないという気持ちが強くおありなので
しょうね。

自分にはちゃんとした名前があるのに、「おねえちゃん」という関係性、あり方
で呼ばれることは、「私」という個性を全然見てもらえてないように感じさせる
部分があると思います。そしてはなはなさんの心はもしかしたら、求められてい
るものは「私」ではなく「おねえちゃん」なんだ、と強く思ってしまったのかも
しれません。
だとしたら、「おねえちゃん」という役割をしようと自然に思ったとしても、不
思議ではないですよね。

役割としてそれらをやると、仮に褒められたとしても「それは私のおねえちゃん
の部分であって、私を褒めているわけではないんだろうな」などと感じてしまう
かもしれません。

そして、本当の私が求めている気持ちと、周りの人が求めている自分との差を強
く感じてしまうことでしょう。変なことではないんです。

幼い頃を乗り切るために、そうせざるを得なかったんですよね。
自分の事も見て欲しいという気持ち、上に見られる立場を通して出てくる弱音、
そこにある思いと現実とのギャップを埋めるために、そう考えざるを得なかった
のではないでしょうか。

もしもはなはなさんの心の中に幼い頃の「私」がいたとしたら、きっとこう言う
でしょう。「私のこと、わかってよ!」って。

この気持ちを誰よりもわかるのは、はなはなさんですよね。それを理解して意識
的に受け入れるプロセスはとても大切です。なぜなら、それをしないと我がまま
という形で表現してしまいたくなるからです。
でも、大人だからこそできる満たし方も、ありますよね?

自分の気持ちと向き合い、癒していく方法としてカウンセリングやセラピーは効
果的だと思いますので、よかったらお試しくださいね。

ありがとうございました。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

自己イメージの変革・男女関係・人生の目的 を探す、などの分野を得意とする。 心の力学をわかりやすく説明する理性的な側面と、多くの臨床経験を通して培った直感的な把握能力をもってするカウンセリングに定評がある。 長期的な支持を受けることも多く、長い目で見守るスタンスを重視している。