劣等感に追いかけられています

 

相談者名
くるる
結婚16年目の子供も三人いる主婦です。
私は自分に全く自信が持てず、常に何かに追いかけられている感じがしています。
何かをしなければ、本来の自分はこうではないはず、と、迷い、あせり
いろいろと手を出してみては、まわりから「自分磨きが好きよね」と言われます。
常に人の目が気になり、人と比べてしか自分を認められません。
世の中は優れたところを持った人がたくさんいるので
当然劣等感ばかりが、幅をきかせます。
そんな劣等感をテレビで見る女優さんや著名人に対してさえ持ってしまい、
かんばってるひとを見ても、「よし私も!」ではなく
「どうせ私にはできない」と思ってしまいます。幼い頃から両親が父の浮気が原因でいつも喧嘩していました。物を投げ合うことも・・

そのせいか、他人と言い争うことが怖くて出来ず、もめる位なら自分が我慢しよう
と思ってしまい、いつもにこにこと笑い「うんうん」と人の話を聞く
優柔不断な八方美人になっていると思います。
直接自分に関係のないテレビの中でさえ人が言い争う場面や
物をガチャガチャと壊したり,なぎ倒したりする場面が、
すごく怖いような不安な気持ちになります。

また、離婚して私と弟を育ててくれた母は、とても苦労をして育って来たせいか、
人一倍気が強く、いつも頭を押さえ付けられている感じがしていました。
ただ、私たちをすごく愛して可愛がってくれていたことは、感じていました。
朝から夜まで働いていた母を手伝うつもりで家事をすると
「あんたは仕事がのろいから余計時間がかかる」と言われ、やらずにいると
「何様のつもり!手伝いくらいしなさい!」と言われ、
どうしたらいいのか分からず、おろおろしていました。
(今、すごく胸が苦しいです・・・)
また、同じことをしても褒められる日と、叱られる日があって、
母親の顔色を見て暮らすようになっていました。

「おまえは今までものすごく苦労してきたと思う。
だから、これからは自分が幸せにしてやりたい」と言ってくれた人と
4年付き合って結婚しました。
付き合ってるときは気づかなかったのですが、主人も気分がそのまま顔に出る人で、
家族は主人の顔色を見ながら暮らしているところもあります。
嫌われたくない一心で、うんうんと言って来た私にも非があるとは思います。
愛されていると思いますし、家族で出掛けるのが趣味と言う、
一般的にはすごく良き父親であり夫であるかもしれません。
ただ、それはみんなが自分の手のひらの中で、思惑道理に動いた時、です。
思い込みが激しく、よかれと思ったことは、相手もそう思うはず、
と、いう感じですので、まさか相手が迷惑に思っているなどとは夢にも思いません。
一度、必死の覚悟で(!)異論を唱えたことがありました。
その時、主人は私に手を挙げることができないので、
自分で自分の顔を何度も何度も殴りました。とても、怖かったです。
それ以来、ますます自分の意見を言うことができなくなりました。

あるきっかけで、まともに生活ができなくなるくらい苦しくなり
友人にとうとう助けを求めました。
紹介されたセラピーの先生のお陰で、なんとかもちなおし
主人にも自分の苦しい気持ちをわんわん泣きながら訴えることができました。
それから、主人は随分と変わってくれました。
「言えば分かってくれるんだ」そう思いました。
ところが、随分よくなったとはいえ、いまだにほんのちょっとした
「自分の意見」を言うのが怖いのです。
機嫌のよい時にはたいていの事は言い合ったり出来るのですが、
いつ、機嫌が悪くなるかと思うと、ドキドキしてくるのです。
言った後に、反対されるのが怖いのです。
先日あることで「じゃあ、そうすれば」と投げやりに言われたことがあり
それだけで、涙が出るほど悲しくて、声を殺して気づかれないように
泣き続けました。自分でも驚きました。
他人の気持ちにこんなにも左右される自分の気持ちが情けなかったです。

また、小五の娘が最近友達のところに入り浸りで、
たまには泊まって来たり、やたら行きたがります。
そこの母親は、「うん、大丈夫大丈夫、それくらいなーんでもないよ!!」
と、すごく大らかで、「子供を信じてやるのが一番。しめつけるとよくないよ」
と、いう育て方をしています。(彼女も人知れず悩みもあるでしょうが)
娘がそこにばかり行きたがるのは、うるさく言う私が煩わしいからかな、
と、そこでまた人と比較して落ち込んでしまい、とうとう子供の前で
泣いてしまいました。子供もそのことは気づいたようです。
自分がうるさく言われて育ち、言いたいこともいえず、
ずっと我慢してきたので、子供にはそんな思いをさせたくないと
ずっと思って来たのに、やはり母親と同じように叱っている自分がいて。

好きな人が出来て(!)綺麗になりたくて
自分にお金をかける喜びを知り、今までコンプレックスの固まりだったのが、
少し自信が持てました。(カードの上限をあっと言う間に使い切りました)
でも、綺麗になってみて、今度は中身の無いことに愕然としました。
語る言葉をもたなかったのです。
・・・・何をしてみても、次から次に劣等感が押し寄せて来ます。

今、勉強したいことがあります。
主人の手伝いにもなることだとは思うのですが、
主人は、「自分の補佐をしてくれ」と言います。
今回に限らず、私が勉強して新しいことを始めようとすると
最初に「なんで?」と言います。「必要ないだろう」と。
「自分の夢は自分の仕事をお前が補佐してもり立ててくれる事だ」と、言います。
そこで「じゃあ、私の夢は?」と聞き返せればいいのですが、
主人の一言で、ぐっと詰まってしまい、しゃべれなくなります。
また、喧嘩してまで押し通すほど価値のある事だという自信や
やる気もたりないのでしよう。

自信がほしいです。人に左右されない自分と言うものがほしいです。
軽い躁鬱を繰り返し、たまにある躁気味のときは、
「だれも私の悪口を言う人はいない!!」と、視界が例えではなく
ほんとうにぱーっと開けてきます。頭の上の重しがなくなった気がします。
こんな気分で暮らして行けたら幸せだろうと、ほんとに思いますが・・。
繰り返し襲って来る劣等感、自分の存在価値への疑問。
苦しくて苦しくて、たまりません。
でも、いつもどうり「元気で悩みなんかないみたい」な私で
暮らし続けています。

カウンセラー
根本裕幸(退会)
くるるさん、こんにちわ。根本裕幸です。
ご相談ありがとうございました。今までも一人で、時には人の手を借りながらも、一生懸命頑張って来られたようですね。
見方をちょっと変えると、自分が頑張って手に入れてきた色んなものがきらきらと輝いて見えるところにいらっしゃるのかもしれません。
その光をさえぎる障害物(大抵は、心の痛みですね)がたくさんあるのかもしれませんから、それを癒して、手放して視界を広げてあげることが今は一番大切なことかもしれませんね。
諦めずに、でも、一人で頑張る必要も今は無いと思いますから、誰かの手を借りながら、少しずつ自分を楽にしてあげて欲しいな、と感じています。

> 私は自分に全く自信が持てず、常に何かに追いかけられている感じがしています。
> 何かをしなければ、本来の自分はこうではないはず、と、迷い、あせり
> いろいろと手を出してみては、まわりから「自分磨きが好きよね」と言われます。

それは辛いですよね。
焦りや不安がいつもどこかにあり、いつも緊張の中で生きているようなところもあるのかもしれませんね。

> 直接自分に関係のないテレビの中でさえ人が言い争う場面や
> 物をガチャガチャと壊したり,なぎ倒したりする場面が、
> すごく怖いような不安な気持ちになります。

それくらいいつも不安だったり、恐れを身近に感じていらっしゃったんですね。
小さい頃の感情が今もくるるさんの心の中にたくさん存在してしまっているのかもしれないです。

ご両親の喧嘩というのは、娘としてはとても痛い思い出になっているのではないかと思うんです。
そして、その痛みと共に、色んな場面で我慢や抑圧を繰り返してきたのではないでしょうか。
ついつい「自分さえ我慢すれば」という気持ちになってしまったり、どこか自分自身を隠してしまうところもあったのかもしれません。

> 朝から夜まで働いていた母を手伝うつもりで家事をすると
> 「あんたは仕事がのろいから余計時間がかかる」と言われ、やらずにいると
> 「何様のつもり!手伝いくらいしなさい!」と言われ、
> どうしたらいいのか分からず、おろおろしていました。
> (今、すごく胸が苦しいです・・・)

その気持ちを感じていくと、その苦しみも徐々に解放されていくものかもしれないです。
でも、一人で頑張るのは辛いと思いますから、誰かの手を感じながら進められると良いんじゃないかな。

頑張ってるお母さんに迷惑かけちゃいけないってたくさん思ってきたのかな、という気もします。
だからこそ、反抗することも出来ずに我慢したり、顔色をうかがう他無かったのかもしれませんね。
それはきっとお母さんへの愛情から出た行為なのではないでしょうか。

> 付き合ってるときは気づかなかったのですが、主人も気分がそのまま顔に出る人で、
> 家族は主人の顔色を見ながら暮らしているところもあります。

まるで、お母さんの顔色をうかがって生きてきた時代が再現されてしまったような感じでしょうか?
また、お父さんがまだ家にいらっしゃるときの雰囲気を感じさせることもるのでしょうか。

> ところが、随分よくなったとはいえ、いまだにほんのちょっとした
> 「自分の意見」を言うのが怖いのです。

ご主人も頑張ってくださったんですね。
でも、それだけでは足りないくらい長いこと心の中に「自分の意見」を封じ込めてきてしまったのかもしれませんね。

> 自分にお金をかける喜びを知り、今までコンプレックスの固まりだったのが、
> 少し自信が持てました。(カードの上限をあっと言う間に使い切りました)
> でも、綺麗になってみて、今度は中身の無いことに愕然としました。
> 語る言葉をもたなかったのです。
> ・・・・何をしてみても、次から次に劣等感が押し寄せて来ます。

中身が何もない、と感じるときって本当に何もないことって少ないんですよ。
外見がきれいになるのも、内面から出る輝きが手伝わないと“馬子に衣装”状態になってしまうものですからね。

何もない、のではなく、見えないんじゃないかな?と思ってみるといいかもしれないですね。
もしかしたら、心の目に色の濃いサングラスをかけてしまっているのかもしれませんし、自分では大した物に思えないかもしれないですしね。

> 今、勉強したいことがあります。
> 主人の手伝いにもなることだとは思うのですが、
> 主人は、「自分の補佐をしてくれ」と言います。

これを一つの目標にされてみたらいかがでしょうか?
自分の変化を表すいい指標になると思います。
心の色眼鏡や痛みを解放していくと、土台が固まるように自信もついてくることでしょう。
そして、いつか、ご主人にこの気持ちを伝えられる自分になることをゴールにしてみましょう。

> でも、いつもどうり「元気で悩みなんかないみたい」な私で
> 暮らし続けています。

それが本当の私、って言える日を作っていきましょうね。

お母さんとのこと、ご両親の不仲のこと、色々と心に痛みがたくさんあって、雁字搦めになってしまっているところもあろうかと思います。
だから、そんな束縛から自由になることを最初の目標としてみましょう。

機会があれば、またお話しましょうね。

ありがとうございました。

この記事を書いたカウンセラー

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