このままではいけない、と強く思います。

 

相談者名
ナポレオン
はじめまして。私は、芸術家(ピアノ奏者)になりたい30代主婦です。
幼いころから表現することに喜びを感じていて、特にピアノを専門的に弾いてきました。そこで本格的に奏者の人生を歩もうと思うのですが、これが全然行動が伴いません。
それどころか、

・ピアノの演奏を他人や世間に認められている妄想
・ピアノをやめることへの恐れ

この2つにず~っと、とりつかれています。
行動にうつせないので人生がすこしも動き出さず、妄想と悩むことだけで漠然と時間がすぎていくことにとても焦っています。

前者は、もうこれを考えない日はないくらい『こうなったらいいなあ』と思うものです。それを考える暇があるなら行動にうつせばいいのに妄想するばっかりで、現実は全然動けていない自分が居ます。実際は、演奏家への道のりや地道な活動などちょこっと聞いただけで『無理に決まってる…』と強烈にくじけてしまいます。以下、惨めな気持ちになる→それでも奏者になろうと決意する→くじける の繰り返しです。
後者は、これだけ行動にうつせない私なのだから、向いていないのでは?辞めたら、楽になるのでは?『もしピアノを手放したらどうなるだろう?』と考えるとものすごく憂鬱な気分になることです。怖いのです。手放しが幸せをもたらす、と心理学講座に書かれているのをよく拝見しますが、苦しくてとても無理なのです。辞めるという選択肢は、つらすぎて怖すぎて選べないのです。

実際には、もう、ピアノを弾くとき「もういいや…」と投げやりな虚しい気持ちになって一曲まともに弾き終えられないのが現実です。奏者としてやっていけるだけの最低限の技術や経験はあるのに、自分の演奏や、音楽そのものにさえ価値を見失いそうになる日々です。正直、自分が本当は何を望んでいるのかすらわからなくなってきました。

このまま何にもなれずに終わってしまうことだけは避けたいのですが…。
何かアドバイスをいただけるとありがたいです…。
よろしくお願いいたします。

カウンセラー
山下ちなみ
ナポレオンさん、ご相談ありがとうございます。
とても正直にはっきりとご自分を表現していらっしゃいますね。
きっと演奏も、ナポレオンのようにまっすぐで、モーツァルトのように素直なのでしょう。
きっと、相談するのに、勇気がいったと思うんですよね。
その勇気と才能を形にしていけるといいですよね。ナポレオンさんの今の状況・心理状態は、依存か自立かと言えば、自立にあたります。
自立の中でも「砂漠」に例えられるような、最もストレスが多くエネルギーだけを消費しやすいところです。
前に進みたい気持ちはあるのに、いろいろと考え込んでしまい、進むだけのエネルギーが残っていない、そんな感じではないでしょうか。
ともすると自立をやめて依存したくなりますが、それは罪悪感(もしくは無価値感)を伴います。

この「砂漠」では、期待が大きすぎること、そのあまりに完璧主義になったり、ゴールが多すぎたり、ファンタジーに逃げ込みたくなるが特徴です。
抜け道は、ナポレオンさんのおっしゃっている通り、「手放し」もしくは「(目標の)フォーカシング(焦点を定める)」「選択」になります。
心のお話なので、抽象的な表現ですが、ぼんやりとだいたいで捉えていただければと思います。
ちなみに、「手放し」も「選択(フォーカシング)」も物事を違う側面からみた、同じことです。

心理学でいう手放し、そもそも何を手放すのでしょうか。
手放しは、必要のない過去や、しがみついているこだわりを手放すのであって、好きな気持ちや夢をあきらめるということとは違います。
ちなみに、「しがみついているこだわり」があると、夢や目標がハードワークと結びつきやすく、楽しいはずなのにしんどいことのように感じてしまい、結果として、やりたいのにやりたくない、という心理を生み出すのです。

ここでは、ピアノ奏者がこだわりというよりは、ピアノ奏者になることで手に入れられるもの、と考えたほうが分かりやすいかもしれません。
「他人や世間に認められること」ですね。
ナポレオンさんの目標は、単なるピアノ奏者ではありませんね。
他人や世間に認められる「べき」「はずの」ピアノ奏者、つまり、認められなければ意味はないと感じてしまいます。
するとプレッシャーが強くなるんですよね。

また、「しがみついているこだわり」は、抽象的なのに完璧主義で際限がありません。
つまり、「他人や世間に認められること」というのも、どの程度か具体的に設定しにくく、にもかかわらず、手にいれたとしても、もっと、もっと、と際限なく大きくなる可能性があります。
そして、ますますプレッシャーが強くなります。

これを達成するためには、と考えるだけでも気が遠くなりそうです。
また、なった後も、その承認と名声を保つためにどれだけの努力やがんばりが必要でしょうか。
そうなると、ピアノの練習という一歩は、まるで砂漠での一滴の水のように、際限のないことのように感じて、無気力になってしまいます。
意識的には、ステキなピアノ奏者、という感覚で夢を追い求めていますが、その裏ではこんな感覚があるのではないでしょうか。
明確な目標に感じますが、実際は、雲をつかむような感覚です。
何をしたらいいのか、何からはじめたらいいのか、明確な指針がないため、心は戸惑います。

この「しがみついているこだわり」は、実は、過去にナポレオンさんが過去に手にいれたかったのに、手に入れられなかったものでもあります。
心理学では執着といいます。
この表現はあまり私は好きではありません。
というのも、このこだわりがあったからこそ、過去に手に入れられなかったハートブレイクをモチベーションに変えてこられたという側面を持つからです。
このこだわりがあったから、これまで自分を保てた、やってこれたと感じています。
だからこそ、手放すのが怖いのです。
なくなってしまったら、何が自分を支えてくれるのだろうという気持ちや、今まで自分がしてきたことはなんだったんだろう、という気持ちが出てくるからです。

でも、これはやってもやっても、手に入れた満足感を得ることはできません。
なぜなら、本当は「過去」に欲しかったものの埋め合わせであり、実際の対象となるものや相手が別にいるからなんです。
ナポレオンさんは、誰かにピアノ演奏を認めてもらいたかったのではないでしょうか。
感覚としては、認めてくれる「べき」はずだったのに、認めてくれなかったひと、という感じがするでしょう。
あるいは、ピアノ演奏を通じて何かを証明したい、という感覚かもしれません。
証明したいという気持ちの裏にあるのは、自分への疑いです。
自分は認められるべき存在である、と思いながらも、どこかで自分には才能がないのではという疑いがあります。
本当のこだわりは、ここです。
手放すのは、この部分なんです。

それは、お父さんやお母さん、過去のピアノの先生や彼かもしれません。
彼らに認められるために、こんな大きな目標をかかげて、しかも成功しても満足感はないとしたら、それは文字通り、「砂漠」のようです。
それよりも、そもそもの「過去へのこだわり」を見直していくほうがずっと早いんですね。
そのできごとを自分の中で完了したとき、ようやく過去を過去のものとして、手放してゆけます。
これが手放しの正体です。

そうなれば、今のあなたに入る承認や賞賛は、素直にあなたの中に入ってきます。
文章でも、表現力豊かで素直なナポレオンさんのこと、今でも、ピアノ演奏で褒められることはあるはずです。
それを額面どおり、受け取ることができるようになります。
すると、もっと、もっと、という乾いた砂漠のような感覚がなくなり、満ち足りた感覚が広がっていくのです。
そうなれば、本当に望んでいるものは何か、ナポレオンさんのなかで明確になっていくことでしょう。

ナポレオンさんにとって、手放すべきもの何でしょうか。
心当たりや思い当たるものがなくても、手放しはできますので、心配する必要はありませんよ。
ただ、その場合では、こうしたメールでは限界があります。
このメールでは、一般論中の一般論で書いています。

手放せば、もっといいものが入ってくる、と言います。
ナポレオンさんにとって、過去のこだわりよりも、もっといいもの、というのは何でしょう、楽しみですね。
きっと、すばらしいものが手に入ることでしょう。

勇気を出してのご相談ありがとうございました。

山下ちなみ

この記事を書いたカウンセラー

About Author

退会しました。