寂しくなったときの対処方法

相談者名
さつき
時々、突然とてつもない寂しさに襲われ、胸がしめつけられて苦しいです。
そんな時、誰かに電話できたらいいんだろうけど、出来ません。
カウンセラーの皆さんは、寂しさに襲われることなんてないのでしょうか?
今は、なやんだ末にここに書き込みすることで気持ちを落ち着かせてみました。
寂しくなった時、どうすれば越えられるか教えていただけたら嬉しいです。
カウンセラー
源河はるみ
こんにちは、さつきさん。
はじめまして、源河です。
お返事少し、お待たせしてしまいましたね。> 時々、突然とてつもない寂しさに襲われ、胸がしめつけられて苦しいです。
> そんな時、誰かに電話できたらいいんだろうけど、出来ません。

その寂しさ、普段は気になりますか?気になりませんか?
さつきさんの中では、なんだかず~っとある感覚のような気がします。

電話すればいいんだろうけど、できない・・・
そうなんですよね。
「こんな気持ちで、電話しても迷惑をかけるかもしれない・・・」
「自分が寂しいだけなのに、なにを話せばいいのかわからない・・・」
「こんな暗い気持ちのままだと嫌われてしまうかもしれない・・・」
こんな風にいろんな気持ちが、受話器をあげることを抑えさせてしまうんですよね。

でも、少し注意してみてくださいね。
その胸がしめつけられるような苦しさ、恋をしたときに感じるキュ~っていう感じと、
どこか似ていませんか?
恋は、相手が明白なので、恋だとわかりますが、
その寂しさ、相手が明白ではないので「う~っ、苦しい」になっちゃいますよね。

この寂しさ、さつきさんの心が、大きく外に向かって開こうとしている合図でもあるんですよ。

> カウンセラーの皆さんは、寂しさに襲われることなんてないのでしょうか?

もちろん、人間ですからありますよ。
こうして皆さんとお話することが楽しみでもあるわけですから、
裏を返せば、究極の寂しがり屋さんなのかもしれません。笑

でも、平気なんです。
それは、ただ我慢をし続けているのではなくて、その寂しさを感じながら、
さつきさんがおっしゃるように、電話をしたり、友達に会ったり、ということを繰り返してきた結果、そうなったんですね。
寂しいときは、ハートの中に誰もいない時です。
誰かの事を思ったり、気にかけたり、そんな気持ちがもてなくて、
”ひとりぼっち”だって感じるから寂しいんですよね。

でも私たちは、ひとりぼっちではありません。
自分が寂しいと感じる時、必ず同じように寂しさを感じて、それでも我慢している誰かがいるんです。
そんな友人や、家族や大切な人たちを、自分の心の中に招き入れてあげると、
その寂しさは、大きく心を膨らませるための促進剤になるんですね。

おなかが空いたら、グ~っとお腹が鳴るように、寂しさは、心が”人とのつながり”を求めるサインでもあります。

> 今は、なやんだ末にここに書き込みすることで気持ちを落ち着かせてみました。
> 寂しくなった時、どうすれば越えられるか教えていただけたら嬉しいです。

こう感じているのは、私だけかな?と、ちょっとまわりの人たち、
さつきさんが大切に思っている人たちに、心の目を向けてみましょう。
自分の心の空腹感を満たすためだけに連絡をとるのは、なんだか気が引けますよね。
でも、ごはんを食べなければ、倒れてしまうように、心は”人とのつながり”を感じる事ができなければ、とってもしんどくなってしまうんです。
それは、「誰かのことを思う事ができる、やさしい気持ち」が育たないからなんですね。
寂しさは、さつきさんの心が「もっとやさしくなりたいよ~」と叫ぶ声でもあります。
やさしさを貰いたい、ではなくてね。

「やさしさをあげよう」というつもりで、電話をしたり、会って話したりしてみる、
勇気を持ってみましょう。
すると、今のさつきさんと同じように、寂しさを抱えて辛い気持ちでいる人までも、
包んであげられるぐらい、大きな心の持ち主になることができますよ。

また、お返事お待ちしていますね。

相談者名
さつき
源河さん、お返事ありがとうございます。>>時々、突然とてつもない寂しさに襲われ、胸がしめつけられて苦しいです。
>>そんな時、誰かに電話できたらいいんだろうけど、出来ません。
>
> その寂しさ、普段は気になりますか?気になりませんか?
> さつきさんの中では、なんだかず~っとある感覚のような気がします。

そうですね。普段はたいしては気にならないですが、ずっと寂しいという気持ちは持っているような気がします。

> この寂しさ、さつきさんの心が、大きく外に向かって開こうとしている合図でもあるんですよ。

この私の心が大きく外に向かって開こうとしている合図というのがいまいちよくわかりません。寂しさと何の関係があるのでしょうか?

> もちろん、人間ですからありますよ。
> こうして皆さんとお話することが楽しみでもあるわけですから、
> 裏を返せば、究極の寂しがり屋さんなのかもしれません。笑

そうなんですか。なんか少し安心しました。
私だけ寂しがりの気持ちが強すぎて変なんじゃないかと思ってましたから。

> でも、平気なんです。
> それは、ただ我慢をし続けているのではなくて、その寂しさを感じながら、
> さつきさんがおっしゃるように、電話をしたり、友達に会ったり、ということを繰り返
してきた結果、そうなったんですね。

どうして、我慢をしていなくて、平気だと思えるのか不思議です。
私は我慢しないと寂しさに潰されてしまいそうになります。

> 寂しいときは、ハートの中に誰もいない時です。
> 誰かの事を思ったり、気にかけたり、そんな気持ちがもてなくて、
> ”ひとりぼっち”だって感じるから寂しいんですよね。
> でも私たちは、ひとりぼっちではありません。
> 自分が寂しいと感じる時、必ず同じように寂しさを感じて、それでも我慢している誰かがいるんです。
> そんな友人や、家族や大切な人たちを、自分の心の中に招き入れてあげると、
> その寂しさは、大きく心を膨らませるための促進剤になるんですね。
>
この部分は、今の私には難しくて理解できません。
自分の心の中に招きいれる?どういうことなんでしょうか?

> 「やさしさをあげよう」というつもりで、電話をしたり、会って話したりしてみる、
> 勇気を持ってみましょう。
> すると、今のさつきさんと同じように、寂しさを抱えて辛い気持ちでいる人までも、
> 包んであげられるぐらい、大きな心の持ち主になることができますよ。
>
なんか、源河さんが一生懸命に書いてくれたことが私は理解できないでいます。
でも、最後のやさしさをあげようという部分はなんとなくですが、分かったような気もします。
なんか、見当違いのお返事になってたら、ごめんなさい。

カウンセラー
源河はるみ
こんばんは、さつきさん。
お返事ありがとうございました。> そうですね。普段はたいしては気にならないですが、ずっと寂しいという気持ちは持っているような気がします。

なにか、心の中でその寂しさを我慢してきた部分が、慢性的に根を下ろしているんですね。

> この私の心が大きく外に向かって開こうとしている合図というのがいまいちよくわかりません。寂しさと何の関係があるのでしょうか?

私たちの心は、「感情」や「感覚」でできています。
そして、寂しさをさつきさんは「感じる」んですよね。

人と人とのつながりや、あたたかさを感じることができるとき、
というのは、自分の心が相手に対してオープンになっていたり、
知らず知らず、興味を持っているときだったりするんです。

想像してみてくださいね。
ひとつの部屋があって、さつきさんはその部屋の中にいるとします。
部屋には、ドアがひとつ、窓がひとつあります。
私たちは、生まれて間もない無邪気な子供の頃、
このドアも、窓も開きっぱなしでした。
でも、成長するにつれて、無邪気なだけではいけないことを学びます。
親に叱られたり、傷ついたり・・・
そして、ドアや窓を閉じる事も同時に学びだすんです。

大人になると、窓から外の様子を覗いながら、
出て行くべきか、やめるべきかを判断するようになります。
仕事なんかでは、心を開くことなんかよりも、集中したり、こなすことを重視しますよね。

でも、その部屋には自分がいるだけなんです。
大人になっても、オープンだった頃の人のやさしさを感じたり、愛情を感じることの喜びは覚えていますから、
ひとりでいることが苦痛に感じ出すんです。

これが、寂しさです。

子供と大人の違いは、子供は待っていることしかできないんですよね。
でも、大人は、自分からその心の部屋から一歩を踏み出して、
外に出なければ、誰とも出会うことができません。(心がですよ)
要するに、つながりや愛情を「感じる」ことができない状態が、
寂しさでもあるんです。

> そうなんですか。なんか少し安心しました。
> 私だけ寂しがりの気持ちが強すぎて変なんじゃないかと思ってましたから。

さつきさんの心の中に、まるで子供のように、ずっと待ち続けている部分があるのかもしれませんね。

> どうして、我慢をしていなくて、平気だと思えるのか不思議です。
> 私は我慢しないと寂しさに潰されてしまいそうになります。

きっと、心の中の子供の部分は、寂しさを乗り越える方法が、
我慢すること、になっているんですね。
でも、さつきさんは子供ではありませんよね。
他に方法があるんです。

> この部分は、今の私には難しくて理解できません。
> 自分の心の中に招きいれる?どういうことなんでしょうか?

心のドアを開けて、誰かのことを思ったり、やさしさをあげたり、
そして、その人と話したり、元気付けてあげることで、
自分の心の部屋のなかに、招き入れることになるんです。

大切な人が亡くなったとしますよね。
その人は目の前からいなくなりますが、その人を思い出したり、
その人のいいところを思って、ありがとうって感じたり、
っていうことが、心はできるんです。
そんなとき、よく「私の心に、あの人がいるんだ」なんて言いますよね。

> なんか、源河さんが一生懸命に書いてくれたことが私は理解できないでいます。
> でも、最後のやさしさをあげようという部分はなんとなくですが、分かったような気もします。
> なんか、見当違いのお返事になってたら、ごめんなさい。

いいえ、とんでもないですよ。
わかりにくくて、ごめんなさいね。
さつきさんが、なんとなくわかったような気がするとおっしゃってくれている、
「やさしさをあげよう」という気持ち、
この気持ちがなかったら、私たちの心のドアは開かないんです。
実は、内側からしか開かないドアでね。

その気持ちで、心のドアを開けて、
誰かに会ったり、話したり、電話をかけたり、手紙を書いたり。
そして、その相手のくれるやさしさを受け入れることが、
招き入れることでもあります。
そうしていくと、寂しさは自分の背中を押してくれる感情だったんだ、
っていうことに気付くかもしれません。
ひとりぼっちで、自分の心に閉じこもっているときには、わからないんですけどね。

勇気を持って、人と心と心のコミュニケーションをしていける自分を目指してみましょう。

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