やる気がおきない

相談者名
ゆき
 34歳、小学校教員です。子どもはいません。子どもの頃から何をするにも自信を持てないでいます。どうしても足りないことばかり目についてしまいます。ものごとが思うようにいかないと、「私はだめな人間だ」と思います。なぜか、だめだと思ったときに「やっぱりそうなんだ」と少し安心感を覚えます。
そんな私が教員を目指したのは、小学校時代の先生にあこがれ、先生みたいになりたいと思ったからです。しかし、教員採用試験に受かって、落ち込みました。あんなに教育実習の時、授業が上手で子どもに人気のあった人が落ちて、何で私なんかがと。いいアイデアなんか浮かばないし、人を笑わせるのは苦手だから、なっても困るなあ、できるわけないと。そうはいっても、学年1クラスの規模の学校でクラス担任を任され、子どもたちと学習を進めていくのは、大変ではあるけれど、楽しかったことの方が多かったです。できないことや至らないことはたくさんありましたが、教員になれてよかったなとも思いました。

学年2クラスの学校に移動してから5年、自信のなさが増大していってしまいました。隣のクラスと自分のクラスをくらべること。我が子の問題に感情をあらわにして自宅にまで電話をかけてくる保護者に的確に対応できないこと。子どもの気持ちを引きつけられない自分は、周りの先生と比べ、至らなさが目につくこと。「・・・やっぱり私は問題教師なんだ。最近いわれる不適格教員の一人として、いつか呼び出される」という不安でビクビクしていました。
そんな時、勤務校で学校事故が。自分は、そんなミスをしてはならないという気持ちがいっそう強くなってしまい、子どもたちに小言を言うことが多くなってしまいました。度重なる小言に、曇っていく子どもたちの顔。罪悪感。「まじめなだけで子どもが疲れてる」との指摘。以前はその度ミスを指摘されたのに、今は何事にも無反応な保護者。同僚の何気ない言葉「子どもがいない人には分かんないよね」仕事をがんばれない自分・・・やっぱりだめ人間なのか?最近では、2時くらいに目覚め、寝ようと思っても寝られず、食欲もなくなり、やる気がでません。起きあがるのがとてもつらいです。家事も放棄していて家の中は荒れています。なんとかこの迷路から抜け出すヒントがいただけたらと思います。よろしくお願いします。

カウンセラー
成井裕美
はじめましてゆきさん。
勇気を出してのご相談ありがとうございます。
お返事を担当させていただく成井です。
よろしくお願いします。

小学校時代にあこがれた職業に今はついていらしゃるのんですね!
素敵ですね(*^_^*)
私も今、子供の頃になりたいな~。と思っていたカウンセラーの仕事に
ついています。
昔、夢のように感じていたものを実現する!って本当に素晴らしいとい
うか、ある意味奇蹟的なことなのではないかな~?と思うんです。
それくらい、本当は人間だれでも「こうなりたい!」と思ったものにな
れるのかもしれませんし、その自分の自己イメージに引っ張られるかの
ように、人生を進んでいくのではないでしょうか?

そして、これは「夢」や「憧れ」のような「こうなれたら・・・」とい
う”より素晴らしい自分の姿”に導かれるように自分自身が成長して行
く。というものだけでなく、逆に、「自分は全然なってない!」と自分
を責めてしまったり、「どうせ私はこうだから・・・」と自分の自己評
価を下げてしまった場合にも、その”自分の姿”に導かれていくように
人生が進んでいく。ともいえるかもしれません。

心理学にこんな法則があります。
「私たちは”自分にふさわしい”と思うものしか手に入れられない」

全く話が変わるのですが、私いつもジャンボ宝くじを買うんです。
といっても10枚なんですけどね。
でも、毎回いつも「当たったら3億で何しようかな~?」と考えてはむ
ふふ(*^_^*)となります。
でも・・・、いつも当たらないんですよね。
といっても宝くじですから、いつか誰かには当たる訳です。
そして中には、何故だか高額当選を繰り返す人もいます。
その人と私といったい何が違うのか?
買う枚数なのか?買うお店の方角が風水的に何か間違っているのか?
・・・もちろん色んな意味づけは出来るかと思います。
でも心理学的に見たときに、「それくらいの幸せが自分にはふさわし
い」と受け取れているかどうか?なんですよね。
私は、「3億当たったら・・・」なんて妄想しては楽しんだりはするの
ですが、どこかで「3億の価値が自分にある」とは思えていない部分が
あります。
実際、そんなお金持ったら、どうしたらいいのか分からない・・・。と
か、それで一生分の運を使ってしまうのではないか?なんて感じていた
りもします。
だから「当たればいいな~」と言いながらも、どこかで「まぁ、どうせ
私には当たらないけどね」と思っているんですよね。

でも、宝くじは当たりませんが、「最低これだけは欲しいよな~」とい
うものは結構手に入っているんです。
「せめてケータイの料金を滞納するなんてことにはなりたくないな」と
か、
「せめて、これくらいの服装を着ていたい」とか、
「せめて、これくらいの評価は人からもらいたい」とか・・・。
「せめてこれくらいはなんとか・・・・」というものは大抵手に入って
いることが多いのです。
この「せめてこれくらい・・・」と思うことは「それくらいは自分にふ
さわしい!」と思っているものなんですよね。

さて、これをゆきさんのお話に戻すと・・・。
ゆきさんはいったい自分自身に対して「私はこれがふさわしい」とどん
な評価をしているのでしょうか?
そしてそれはゆきさんにとって本当に欲しいものですか?
もしかして、ちょっぴり自分に厳しい方法ではないでしょうか?

「私は怒られるようなことをするに違いないわ。
私はそんな評価をもらうのにふさわしいんだわ。」
ともしゆきさんが心の奥底で思っていたとしたら、何か自分が行動する
たびに「また怒られないかな?」とびくびくしてしまって、そちらに気
を取られる分余裕がなくなるのでゆきさんの実力が出せなくなってしま
うし、「それが私にはふさわしいんだわ」というものが、欲しくも無い
のにまんまと手に入ってしまいます。
これはとてももったいないし、苦しいやり方ですよね?

ゆきさんはそんなにしんどい状況がふさわしい人なのでしょうか?
ゆきさんは本当に自分で書かれていたような「ダメ人間」なのでしょう
か?
「不適格教員」なのでしょうか?

私はそうではないと思いますよ。
子供のことをゆきさんは、こんなにも自分を責めてしまうくらい大切に
思っていらっしゃる方なのですから、とても素晴らしい先生なのだと思
います。
そしてそれくらい思いやりのある人だと思います。
本当はゆきさんには、もっともっと「幸せ」がふさわしいと思います
よ。

このちょっぴり自分の自己評価を低く感じてしまう。というのは、お話
を読ませていた抱いた中で感じる限り、何も「先生になってから」とい
う訳ではなさそうで、もう少し前からこの感覚を持っていらっしゃるみ
たいです。
「どうしてそう思うようになってしまったのか?」という、ついついそ
う考えてしまう心理パターンの部分、心の中で絡まってしまった糸をほ
ぐしつつ、「もっとよりよいものが自分にはふさわしい!」と思えるよ
うな自分になって行きませんか?
私たちでよければ、一緒にやっていきましょうね(*^_^*)
応援しています。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

恋愛、対人関係、自己啓発、ヴィジョン、ビジネス心理を得意とし、”少しでも楽に・簡単に・シンプルに”をモットーに、分かりやすい心理分析と日常的に無理なく取り組める提案を行っている。 その人本来の輝きや、問題の先にあるヴィジョン(幸せな未来や才能)を引き出すカウンセリングが好評である。