相談者名 | あこ |
貧困妄想が強くそれがコンプレックスとなって対人関係で卑屈になる傾向があります。夫は会社員で、極端に収入が多いわけでもないですが、平均より少ないということもないと思います。でも、漠然とした言い方ですが「裕福な人」を見ると、「私はお金がないから駄目だ」というような事を思ってしまい、能力的には私の方が優れているというようなことを引き合いにだしてバランスをとったりしてしまいます。でも、それでも必要以上に相手に対して遠慮し、卑屈な態度で接してしまうことが多いです。何故私はこんなに謙っているんだろうと思うことがたびたびです。経済的なことで自分より恵まれている人を見ると、うらやましいと同時に妬みのような気持ちが生まれ、そのことばかり考えてしまって卑屈になり、惨めな気持ちも出てきて、自分の長所といったことが全部吹き飛んで、「お金がないから駄目だ」という思いだけにさいなまれます。「駄目だ」ということの意味は、「馬鹿にされる」とか「価値がない」とかそういう感じです。資産などで人の価値が決まるわけではないとわかっていても、結局お金があればなんでもできるんだというような思いに囚われてしまったりします。学生時代に実家があることから多額の負債を抱え、以来いつもお金で苦労していました。そのことが関係あるのでしょうか。そのことで両親を少し恨んでいるようなところもあります。お金の問題はお金がたくさんあれば解決する部分もあるかとも思いますが、極端にお金もちじゃなくても、幸せな気持ちで暮らしていくこともできるはず・・という思いもあります。もっと簡単に言えば、「貧乏だって幸せであることはできるはず」という風に思う部分もあります。あまり詳しく書いていないので判断しようがないということもあるでしょうが、どういった部分を改善(?)すれば、私のこの妙な感覚がなくなるでしょうか。お金がないからと卑屈になることで、自分の能力や長所を活かせずにいるような気もしています。思い込みかもしれませんが、何をするにもお金が必要だと躊躇してしまい、いろんなチャンスを逃しているような気もしています。まとまりませんが、何かご助言いただければ嬉しいです。よろしくお願いいたします。 | |
カウンセラー | 原裕輝 |
はじめまして、あこさん 原といいます。 ご相談ありがとうございます。 よろしくお願いします。 極端にお金もちじゃなくても、幸せな気持ちで暮らしていくこともできるはず・・ 学生時代のお金での苦労が関係しているのかもしれませんね。 その痛みの経験が感覚的なものとして、尾を引いていると思うんです。 今のあこさんをお金もちじゃなくても、幸せな気持ちで暮らしていくこともできるはず その前に、学生時代のあこさんの痛みを吐き出すことや、その痛みを分かってあ そうしていくとお金=○○といった感覚を変えていくことができると思います。 痛みを癒していきお金=○○といった感覚を変えていけるといいですね。 |