瑠奈さん、はじめまして。 勇気を出してご相談ありがとうございます。 担当させていただきます、成井です。> とにかく癒されたくなったり、怠け病です。 私も癒されたいです! そして出来ればのんびりしたいですし、煩わしいことから開放されたいです。 ”楽”な方に流れたい、と言うのは人間の自然な欲求ですのであまりストイック さを追求して自分を責めないで下さいね。 > 私は頭が固く、 > 自分や 人間に対して完璧主義になります。 > こうでないと、こうあって欲しいのに・・・って。 ”完璧主義”というのは、ある意味1つの事を探求したり、極める!と言った才 能でもあります。 そして理想を追い求める情熱と、そこに向かう好奇心、そして思い描く想像力と 言った才能もあるのです。 ”完璧主義”という言葉は多くネガティブな場面で使われることが多いですが、 そうした部分の才能自体を「柔軟でないから悪いもの」と捨ててしまわないで下 さいね。 完璧主義の中で辛い部分は、「All or Nothing(100か0か)」になってしまい、 出来ない部類に入ってしまったことは、その間の努力も、成長も、そこに向けた 思いも、全てが”無かったこと”として扱われてしまうことです。 しかし、人生に日々起こる出来事の中で私達が全てを司れる事は限られています から、おのずと”無かったこと””意味の無いこと”に分類されてしまうことが 増えてしまった時に、完璧主義であればあるほど人生に意味を見出せなくなって しまったり、自分自身の価値を見失ってしまうことがあります。 > 自分の外見は、外出ても、 > 綺麗な子 可愛い子と比べれば劣りを感じます。 以前、こんな”観念”(思い込み)を持った女の子がいました。 ・女の価値は顔で決まる ・私は美人ではない そう思い込むなりの彼女なりの理由もあった事でしょうし、この1つ1つの思い込み自体に大きな意味はありません。 例えば、 ・女の価値は顔で決まる 美しいものには誰だって憧れるものです。もしかしたら美人の友達が人気があり そう感じたのかもしれませんし、誰かにそう言われたのかもしれません。 実際に「女の価値」=「顔」だけでは成り立たない方程式ですが、しかしそうい 観念があったとしても、特別問題にはならないものです。 ・私は美人ではない 出来れば容姿が整っていたいと思うのは、素直な心情ではないかと思います。し かし自分が美人でないならそれでダメなのか?と言えばそうではなく、だからこ そメイクが上酢になるかもしれませんし、自分を綺麗に見せる髪形や服装など探 求するきっかけになるかもしれません。 そういった意味では、「美人ではない」=「不幸」とは言い切れないものです。 人には良い・悪い関係なく、こういった観念が最低1000個以上はあるものだ、と 言われています。 しかし、この2つの観念がセットで働いた時に、彼女は身動きが取れなくなって しまうのです。 ・女の価値は顔で決まるが、私は美人ではない ↓ ・美人でない女は、価値がない ↓ ・私には価値がない 瑠奈さんにとって、今四六時中頭を抱える中に、どんな観念があるのでしょうか? その観念同士がどんな連鎖を起こしてしまっているのでしょう? 私達でよければ、一緒にその絡み合った観念の糸を解きほぐしていきましょう! ご相談ありがとございました。 |