恋愛依存克服について

相談者名
s-yamachan
相談お願いします。

今まで付き合うたびに恋愛依存的な付き合いになり、
何人も付き合っては別れてきました。

本やカウンセリングによって、
何年も自分の心には向き合ってきました。
今度こそ!という思いで新しい人と本気で付き合っていこうと毎度思うのですが、やはりお互い好きなのに激しくぶつかり合ってしまい
くっついたり離れたりを繰り返してしまいます。。

こんなに自分に向き合っているのに、一向にぶつかり合ってしまうのはなぜでしょう?

一体いつになったら恋愛依存的でない恋ができるのでしょうか?

そもそもACや恋愛依存症や回避依存症である人たちというのは、
完全にインナーチャイルドが癒されないと誰ともいい付き合いができないのでしょうか?

もしそうだとしたら、
世の中の多くの人たちは結局くっついては別れるの繰り返しか、
依存的な関係に目をつぶって騙しだまし付き合っているということになるのでしょうか?

この人でよかった!と互いに思いながら人生をずっと過ごしていきたいものですが、
そのためには、自分が完全に癒されないとそんな相手はできないのでしょうか??
また相手も完全に自分を癒した人、または傷のない人が相手でないと
付き合ってもダメだということなのでしょうか?

ACの回復の途上にいる者同士で、
互いにぶつかり合っても別れずに付き合っていく中で、
いい仲になっていく方法はないものでしょうか?
やはり別れが必要なのでしょうか?
また恋愛依存を回復したら回避依存の相手に対して魅力がなくなってしまうのでしょうか?
質問だらけですみません。
いろんな本を読んでも、結局恋愛依存症を克服して、
ぴったりな相手を見つけているという話をあまり聞かないので気になっていました。
よろしくお願いいたします。

カウンセラー
池尾昌紀
s-yamachanさん、こんにちは。
池尾昌紀の申します。ご相談ありがとうございます。

「この人でよかった!と互いに思いながら人生をずっと過ごしていきたい」という強い思い。
だからこそ、「今度こそ!という思いで新しい人と本気で付き合っていこう」と決意するのに
その思いが強いからこそ、それが叶わなかった時の苦しさは本当に大きい。
s-yamachanさんの苦しみは、あまりに大きく、辛く、ご相談を読ませていただいた時、胸が痛みました。

恋愛依存を克服したいとのご相談ですが、最初に恋愛依存は自立ともいえる、という点について書かせていただきたいと思います。
恋愛依存という言葉は、恋愛なしではいられないという表現に代表されるように、「恋愛」に「依存」してしまうことを表す言葉として使われますが、別の見方をすると「依存」と正反対である「自立」であるとも言えるのです。
依存という状態は、その代表選手としてよく言われるアルコール依存をはじめとして、恋愛、セックス、仕事(ハードワーク)など、いろいろな形があると言われます。どの場合も、その対象がなければ生きて行けないといったものですが、
その一方では、その対象にしか依存できない自分がいるという、強い自立性があり、その自立性が強ければ強いほど、依存状態は強くなります。?つまり、アルコールにしか頼れない自分がいる、セックスでしか感情を感じられない自分がいる、恋愛でしか生きていることを感じられない自分がいる。
恋愛にしか頼りどころがない、というのは恋愛依存症とも言える一方で、恋愛以外のものには頼れない“自立症”として見ることができるわけです。
そう考えてみると、恋愛依存というのは、弱音を吐きまくる甘えてばかりの自分というイメージがあるかもしれませんが、一面では、誰にも全く頼れない心を持っているとも言えるのではないでしょうか。
もしそうなら、感情的でありすぎるように思える恋愛依存が持っているのは、感情を感じられることが苦手という一面であると言えないでしょうか。

そもそも感情を感じるというのはどういうことでしょうか。
以下の説明は、一般論になってしまいますが、ご容赦ください。
私たちは、感情を感じるということ、また、出てきた感情をどのように扱ったらいいのかをほとんど学んでこないで大人になっています。我慢すること、周りの期待に応えることがいいことだと幼心にしみ込んでいるから、感情の出し方がわからないのです。

例えば、小さな子どもが両親とともに新幹線に乗って家族旅行にいくとしましょう。子どもは初めて乗る新幹線にウキウキで、運転席から車掌室、食堂車と大冒険に出かけたくてワクワクしています。
ところが、親からは「じっとして座ってなきゃだめ!」と叱られるので、しかたなく我慢して座席に座っていたとしましょう。
すると、目的地について新幹線から降りた時には、頭をなでられながらこう言われるのです。
「よく我慢したわね。えらいかったね。」

これはわかりやすく簡単に例にしたものですが、単純なものから複雑なものまで、こうしたことの積み重ねが「我慢したり期待に応えることが良いことだ」という心理を心の奥底に形成していきます。

この感情を感じる、ということと感情的になる、ということとは違います。
例えば、「すぐにキレて怒ってしまう」というのは、感情的にケースです。確かに感情を表現していますが、それは感情の出し方がわからずに爆発している状態です。
また、こうした人ほど、悲しみといった別のジャンルの感情については、普通の人よりも頑に表現できないという一面を持つことが少なくありません。
ここでの感情とは、ありのままに自分の気持ちを素直に感じる、ということを指します。素直に感じることができれば、それを無理にコントロールする必要はないので、うまく扱うことができます。

本当の気持ちを解放していくためには、この「感情を感じる」ことが不可欠になります。

例えば、カウンセリングでは、セラピー等を使って感情を動かすアプローチを様々な方法で行っていきます。
具体的にいえば、目を閉じて、想像力を膨らませて、雲の上のベッドにのってゆらゆらゆられているイメージを持つ。音楽にあわせてこうしたイメージを膨らませることで、心がリラックスしてきます。
また、自分自身の幼い頃にタイムスリップしたところを想像して、幼い自分に声をかけたり、近づいて抱きしめたりするセラピー(インナーチャイルドワーク)や、辛い思いをした人物を思い起こして、言いたいことを言葉に出したり、その人物に近づいたりします。

しかしながら、長い間、感情を感じることを禁止してきた場合、こうした本当の感情を感じていくことはとても抵抗があることですし、また、とても怖いことです。
ですから、時間をかけて取り組むことが向き合っていく必要がありますが、「何かに依存してしまう」心のどこかには、こうした本当に解放するのが怖いほどの感情が眠っていて、けれども、その本当の感情は、外に出たくて出たくて、出て行けないことが苦しくて、暴れていることが根本的な原因になっているとは言えないでしょうか。

もしそうであるなら、自分の心の中には何か眠っている解放されたい思いがある、という視点を持ってみることが役に立つと思います。

恋愛依存の問題は、デリケートな心の奥底を見ていくことになります。ですから、時間をかけてじっくりと向き合って行く必要がありますが、大切なポイントは表に見えている部分が問題の本質ではない、ということです。?どうして恋愛に依存してしまうんだろう?という問いをさらに進めて、そのことで何を求めているんだろう?、さらに、そのことで隠している本当の気持ちがあるとしたら何だろう?と進めていきます。?そうした視点で向かい合って行くと、行き着く先は、恋愛に対して感じているのだけではない、自分が生きていく上での「寂しさ」や「居場所がない」といったところにたどり着くことがあります。?ですから、表面的なサポートよりも、心の奥底にある、何が隠れているのかをきちんと見出して処理してあげ

ところで、先の感情を感じるところでも書きましたように、感情の抑圧は、「苦しいことを我慢する」ことから始まったものですが、「苦しさ」も「喜び」も同じ感情です。苦しい感情を抑えることは、喜びや楽しさといった良い感情も制限するようになってしまいます。
つまり、苦しみを感じないということは、喜びや楽しみも感じることができないということです。

自分と向き合って、本当に苦しかった心を感じてあげるということは、その一方で、本当にうれしい「喜び」や「楽しさ」を感じることができるということでもあります。
自分と向き合う事の目的は、苦しむことではなく、楽しみ喜ぶために行うものなのです。

s-yamachanさんのご相談を読ませていただき、僕が一番心に残ったのは次の文章でした。
「恋愛依存を回復したら回避依存の相手に対して魅力がなくなってしまうのでしょうか?」

恋愛依存を克服したい方が、どうしてそんなことを思うのでしょうか。
まるで、傷を持っていないと同じ傷を持っていない人を救えないと言っているように僕は感じました。
もっと言えば、救いたい人を助けるために、あえて私は自分の傷を癒さないでいるのです、と言われているように感じたのです。

もしそうであるとしたら、それはすごいことです。
確かにそのやり方は、自己犠牲的です。
自らを犠牲にしても相手を助けるというやり方はうまくいきません。

けれども、そうまでして誰かを助けたいという強い思いは、あなたが本質的に持っている意志の強さのように思えるのです。

犠牲をしないで、自分を大切にしながらも、誰かを助けていく道は必ずあります。

そのために、s-yamachanさんは、今までご自身と向き合うことを懸命にされてこられたのではないでしょうか。
でも、それは苦しむためにやるのではありません。
自分と向き合う事の目的は、苦しむことではなく、楽しみ喜ぶために行うものなのです。

どうか、苦しみを感じるために自分と向き合う作業をやらないでください。
楽しみや喜びを感じるために、自分と向き合おうという視点を持つだけで、方向を変えることができます。

あなたが持って生まれた力を使うためにも
そして、その力で助けることになる誰かのためにも

ご相談ありがとうございました。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

名古屋を軸に東京・大阪・福岡でカウンセリング・講座講師を担当。男女関係の修復を中心に、仕事、自己価値UP等幅広いジャンルを扱う。 「親しみやすさ・安心感」と「心理分析の鋭さ・問題解決の提案力」を兼ね備えると評され、年間300件以上、10年以上で5千件超のカウンセリング実績持つ実践派。