敏感すぎる自分

相談者名
けん
こんにちは、
自分はここ一年ぐらい前から自分の性格に悩んでいます。何に対しても集中出来ないんです。外出するとき、人の視線に対して敏感すぎると感じます。小さい頃とか何も気にしていなかったのに、この人が自分を見てると考えすぎちゃうんです。たまには、何も考えず、ボーッとしたいです。電車に乗ったりすると変に人を意識し過ぎます。そのせいで、胃が痛くなって、ストレスだなぁーと実感してしまいます。外出するとき、あまり意識しないようなアドバイスを下さい。よろしくお願いします。
カウンセラー
山下ちなみ
ご相談、ありがとうございます。
外出するとき、人の視線に対して敏感になってしまい、電車でも変に意識しすぎてしまうのですね。
そのことで胃が痛くなって、ストレスを感じてしまう、しんどいですよね。
外出するのが苦痛になってしまうのではないでしょうか。

それは、まるでマインドの中で24時間監視カメラを自分に向けて設置しているようなものです。
芸能人だって、24時間続けて監視され続けていては、ストレスですよね。
まして、この監視カメラは、あまり好意的には撮影していないようです。
常に、カメラが気になりますから、何かに対して自然でいられなかったり、集中しにくくなったりもします。

この監視カメラを自分から、周囲に向けられるようになれば、実はこうした意識はなくなっていきます。
今すぐにできるのであれば、それが一番の近道ではあります。
ここでは、最終的な目標を「周囲に目を向ける」ことにして、もう少しハードルを下げてみましょう。
ハードルを下げたとしても、がっかりしないでくださいね。
無理をして飛べないハードルの前でうろうろするより、確実に前進できるほうがいいですよね。

こんな感覚は、自立して大人になるときに起こり始めます。
ここ一年ぐらい前から、とあるのは、現実レベルでも自立の段階なのかもしれませんが、けんさんの意識が、一年ぐらい前から自立を意識しているのだと思われます。
それは、成長している、ということなんですよね。
小さいころには気にしていなかったのに、と思うとき、しばしば自分が退行しているのではないか、と思ってしまいがちですが、実は、大人になったからこそ、改めて意識が向くのです。
これは、大人になるためのプロセスなんですね。

新しいステージに進むとき、私たちは不安になります。
そうなると、深層心理ですが私たちは周囲のことに気が向いたり、注意散漫になってしまい、前に進むことをさえぎりたくなってしまうんですね。
そこで、思い出して欲しいのです。
けんさんは、初めからこの自立しようとする位置に立っていたのか、ということを。
もちろん、違いますよね。
子供のころ、私たちはすべてを依存しなければ生きてくることができませんでした。
お腹が空いたら泣き、うんちやおしっこをしては泣き、すべての出来事を周囲が理解して、面倒をみてもらっていましたよね。
いつしか首がすわり、寝返りを打つようになり・・・成長してようやく立ち上がりますが、最初はものすごくフラフラですよね。
何かにつかまりながらでなければ立てません。
ようやく歩けても、ふらふらっとしてはポテッと転んでしまいます。
それでも、歩けるようになるのは、なぜでしょうか。
歩いたら、好きなところにいける、自由になる、あれをもっと見たい、あそこに行きたい、そんな思いがあるからなんですよね。

けんさんにも、そんな小さな時代がありました。
あれが欲しい、あれは何かな、そんな気持ちでよちよち歩けるようになったのではないでしょうか。
さらに、現在までに、けんさんが成長したことはなんでしょうか。
けんさんのマインドの中にある監視カメラに、これまでの成長の過程を記録させてみてください。
どんな映像が浮かびますか。
受験で合格したこと、何かで褒められたり、感謝されたこと。
自分が成長してきたプロセスをもう一度、確認して受け取ってみてくださいね。

そして、これから、どんな自分をカメラに写していきたいですか。
自分だけが出演するフィルムにしたいでしょうか。
あなた以外を写すとしたら、誰を写したいでしょうか。
どんなことを撮影したいでしょうか。
感動を与えたり、面白くてハートが暖かくなるもの、ワクワクの冒険もの。
自分や、周りをそんな目線で見られるようになるといいですよね。

私たちは、過去の自分の延長線に未来を見ます。
ということは、今までの自分の成長に目を向けたとき、その延長にはさらに成長した自分を見ることができるのです。
さらにいうならば、自分の中に見えるものを私たちは他人に見ます。
「投影」といいますが、言葉をよく聞くのではないでしょうか。
自分の成長を見てみましょう。
最初は上手にできなくてもかまいません。

こうしたケースでは、しばしば、完璧にできないことはしたくなくなります。
完璧主義になってしまったり、あれもこれもと手を出したり、自分に過度に期待することで、ストレスになりやすいのです。
さらに、できるのにやらない、という意識があると罪悪感を生み出してしまいます。
つまり、留まっていればストレス、逃げようとすると罪悪感という悪循環になってしまうので、前に進むのがベストなんですね。
どんなことでもいいので、やってみよう、という気持ちが悪循環から出て行くための一歩になるのですから、意味はあります。
意欲を持ってみてください。

また、他人の視線に敏感になりすぎるひとは、つながりや親密感もテーマであることが多いようです。
よくよく話しを聞いていくと、実はずっと疎外感を感じていた、とおっしゃる方も。
逆に、問題が解決されていくと、誰かを助けたり喜ばせたりして、つながりを持つという才能が豊かだったりするんですよね。
どうか、けんさんにしかないような、すばらしい才能を見つけていってください。
ユーモア、茶目っ気、魅力的、美しさ、官能的、寛大さ、などなど。
すでにけんさんの中にあるはずの、こうした才能がキラキラ輝きだすことを願っています。

ご相談、ありがとうございました。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

退会しました。