りんごさん、こんばんわ。根本です。 ご相談ありがとうございました。りんごさん自身、辛いことやしんどい場面を何度も経験されているのではないでしょうか。 「そんな事はないよ」っておっしゃられるかもしれないけれど、そんな状況を一人で頑張って 抜けてこられた、そんな感じがします。頂いたご相談のメッセージを読ませて頂いても、頭の良さや意志の強さなども感じることができます。 人間的にも誠実で、かつ、信頼の置ける人として回りから評価される事も多いのではないでしょうか。 > 昨日、親しい友人と遊びに出掛けたのですが、友人が感情のコントロールを出来ず、 > 散々な一日となりました。とても楽しみにしていたものなので、私は今でもショックから抜けきれません。 それは大変でしたね。 今は少し落ち着かれたでしょうか? (皆さんに回答をお待たせしてしまって申し訳ないです) > そもそも、私は友人の考えが理解できません。 > 自分の欠落した部分を、安易に、動かしがたい運命のせいにしてしまい、 > どうして、もっと本当の自分を追求し、しなやかな自分でいられるような努力をしないのかと! > そのための協力なら、私は惜しまないつもりです。 何か自分とその友達は正反対の人間のような感じはしませんでしたか? 自分ならこうするのに、自分ならこう考えるのに、、、、いらいら・・・イライラ・・・きぃーっとなってしまうかもしれません。 もし今その怒りや惨めさから少しでも解放されているのでしたら、ちょっとそのお友達との関係を振り返って見ましょう。 なぜ、彼女(?)を友達と思っているんだろう・・・。 どうして放っておけないんだろう・・・。 どうしてこんなにイライラしてしまうんだろう・・・。 どうでもいい人に対しては何も感じませんよね。どうでもいいことだから。 でも、友達という大切な人であればこそ、その人の態度に腹を立てたり、放って置けないという愛情を感じてしまうものです。 そして、友達と感じていて、一緒に遊びに行くことをを楽しみにしているわけですから、きっとりんごさんには彼女に価値を感じているところも少なからずあるでしょう。 りんごさんにとっては、その愛情が既にどこかで犠牲になってしまってたのかもしれませんね。 犠牲があるってことは我慢してることがあるってことでもあります。 もう一歩踏み込めば、なぜ、彼女は運命のせいにしてしまうんだろう?とも考えてみましょう。 もし、それが理解できないとすれば、りんごさんにはそこで学ぶことが何かあるのかもしれません。 > 私は、人によっては、合理的すぎて冷たいのではといわれるくらいの性格です。 > が、残念なことに、自分の考えは結構好きです。 > 例えば、「それがどんなに痛みを伴なおうとも、自分を見つめる。」 > 「人が思いがけない、私への評価を行っても、それも私の一部分と受け入れる。」 > 「不幸や哀しみも自分を確認させ、成長させるものと信じて、その中に埋没しない」等。 > しかし、このような考えは、時として友人に、厳しく辛いと感じさせたようで、 > 今までに幾人かの友人を失ってもきました。 僕はこのりんごさんの考え方は好きですよ。 僕も似たような考えを持ってますし、お話を読む限り、僕と似てるところもたくさんあるんじゃないかなあ?なんて感じてたりもします。 でも、それを表面に出してしまうと人は去っていきますね。 僕もそんな考えで人を遠ざけてしまっていたように思います。 > 初めは一緒に感じることにしています。「大変だったね。」と。 > 本当に大変だったと思うから。 > でも、そうしたら、その人達は、半年過ぎても、一年過ぎても同じ事を繰り返すのです。 > 「再生」する考えは露ほどもない。 > そうなると、私も、いろいろ言い始める訳なのですが、 > 結局、あなたには私の不幸は分からない、みたいになっていくのです。 難しいですよね。 僕たちカウンセラーもよく経験することですが、その人が苦しい状況から抜け出そうと自分で思わない限り、実際にそこを抜け出すことってないんですよね。 でも、その人にはその人なりに、そこにいる意味を感じているものです。 言葉では「早く楽になりたい」というけれど、本心がそう思っているかどうかはまた別のこと。 「楽になりたい」のではなく「楽にしてもらいたい」とか「甘えたい」というときだってあるものです。 りんごさんもきっとそんな気持ちを汲み取って最初は「大変だね」って寄り添うようにしてらっしゃると思います。 でも、なかなかそれがうまくいかないことも多いんじゃないかな。 その人が「再生したいのかどうか?」というところ。 そもそも「再生」って誰にとっての「再生」だろうか?というところ。 そこを抜けて楽になればいいのに、というのは実はその人を見ている僕たちの傲慢さである場合も意外に多いものです。 不幸にしがみつきたい人もいます。不幸を使って誰かを攻撃している場合もあります。 楽になることが怖い人もいます。 例えば、「今はしんどい状況だからりんごさんが傍にいてくれるけど、楽に元気になったらいなくなっちゃうんじゃないか?」って真剣に思う人もいます。 実際はその逆なんだけど、その状況しか知らなかったら、変化することも怖くて仕方なくなるのかもしれません。 そんな部分を受け入れてあげられたらいいですね。 もちろん、叱ってあげたり、愛情から厳しい態度を取ることも大切なことです。 これはとても難しいですけどね。 でも、その人のためにしていることであれば、必ずいつかは通じます。 自分が相手の人にしていることが愛情なのか、欲求なのか、その境目は非常に見分け難いものだけど、最後は自分を信じられるかどうか?にかかってくるのかもしれません。 > ここで、私は、母のような大きな愛は持てずにきました。 > どちらかと言えば、父親のように裁いてきました。 > そうでないと、私自身の人生も壊れてしまうようだから。 だとしたら、りんごさん自身、今もけっこうしんどい思いをたくさん抱えていらっしゃるんじゃないかな? その友達を背負って歩いてあげる必要はないと思うんです。足になる必要はね。 彼女も自分の足で立って歩ける日がやがてくることを信じてあげることもできるでしょう。 その日を思って、それまでただ傍にいてあげる、場合によっては少し先に進んで待ってあげることもりんごさんにならできるでしょう。 でも、どちらにせよ、自分を大切にすることも大切ですね。 > また、その繰り返しでいいのでしょうか。 > 悩んでいます。 > 私もなにか変わるべきなのでしょうか。 りんごさんのお話を読んである話を思い出します。 少し長いですが、企業研修などでよくする話です。 参考になれば幸いです。 それでは。。。 ———– もしあなたが優秀な成績で、その頑張りが認められて部長になったとしますね。 でも、その時部下たちはどんな人たちで固められているでしょうか? あなたが一番優秀なわけだから、あなたから見れば欠点ばかりの人たちが部下になっていることは想像に難くないでしょう。 だから、今までのやり方ではきっと部下達には厳しすぎてついてこれないし、あなたに対して劣等感を常に感じている彼らは反発的にもなるでしょう。 「優秀なあんたには俺たちの気持ちは分からんよ」とそっぽむかれてしまうかもしれません。 ではそこであなたは何を学ぶべきなのでしょうか? それはあなたが今までのやり方を変えるときだということ。 今までは自分のやり方で、優秀な成績をあげるめに、強く生きてこられたとしたのならば、今度はその反対の弱さを受け入れるときでしょう。 その弱さを受け入れた分、理解を示した分だけ、部下の信頼や協力を得ることができます。 なぜなら彼らにとってあなたは味方だと感じられるから。 あなたが自分のやり方をその人のためと思い伝えたとしても、それはあなたの成功体験であってその人に本当にあっているのかどうか分かりません。 自分が優秀でないと分かっている人たちには、全員自己嫌悪があり、劣等感があります。 そこを優秀なあなたが彼らを信頼する事は、逆に彼らにとっては励みになります。 部長から目をかけられている、という気力になります。 だから、あなたに必要なのは彼らの弱さを受け入れ、そして、彼らの価値を信頼していく事です。 そのためには彼らが成果をあげるまで、辛抱強く待ってあげる忍耐力を学ぶ必要があるかもしれません。 それは自分の成績のためではなく、彼らの将来、会社の将来のためにする忍耐です。 その忍耐を学ぶためには、常に彼らの中にある価値の部分を見つめてあげる努力が必要です。 しかも、その価値は多く彼ら自身すら気付いていない事。 だって自分はダメだと思っているから、価値などあるわけがないと感じているのです。 それぞれの部下の中にある未発掘の価値を見つけてあげることが実はあなたの一番の仕事なのかもしれません。 そして、同時にあなた自身が今まで見なくても済んできた弱さと対面するときです。 部下の弱さを受け入れるということは、すなわち自分が今まで見てこなかった弱さを知り、受け入れていくことになります。 そして、自分の中にある弱さに気付けた分だけ、部下を身近に信頼できる存在としてあなたが感じられるようになるでしょう。 あなたが強すぎたり、優秀でありすぎれば、部下はその分弱く、優秀ではなくなります。 そうして心はバランスを取ろうとするのです。 あなたが弱さを見つめ、彼らの価値を見つめたとき、そのバランスはより楽なフラットなものへと近づいていくでしょう。 |