視線

相談者名
りんご
43歳の女性です。最近人の眼がとても気になるんです。なぜか道を歩いているとすれ違いざまに見られることが多いい様に思います。私の住んでいる地域は普通の住宅街ですが都会ではそれがあまり感じられない様に思います。私の気にし過ぎでしょうか・・・特に中年の男性から見られる感じです それが嫌な感じなのです
カウンセラー
向井康浩
りんごさん、はじめまして。
向井康浩と言います。御利用ありがとうございます。

りんごさんにどんなことがあったのか、地域性の違いや、また中年の男性から見られることがなぜ嫌なのか、詳しいことがよくわからないので、文面を読んで感じたことをお伝えします。それを読んでりんごさんも一緒に考えていって下さいませんか?よろしくお願いします。

見られてることへの嫌悪感って、りんごさんはどんな感じがしますか?例えば「私は変な目で見られてる。」あるいは「どこかで誰かに噂されてるかも。」とか「私って、~な人に思われてるに違いない。」など、必要以上に用心深く、臆病になることはありませんか?

まるで、人から見て間違いや失敗と思うようなことをしないようにする。それは人目を気にしながら同時に、自分に対して目を離さず見張り続けるようなものだと思いませんか?

仮に「私って、~な人だと思われてるに違いない。」と感じるとしたら、周りの方はりんごさんのことをどのくらい御存知でしょうか?

もし、りんごさんがすれ違う人、出あう人がりんごさんのことを知らない場合には、おっしゃる通り気にしすぎではないかと思います。

でも、どうしてそんなに気になるんでしょう?

もし「悪いことをしてしまった(罪悪感を感じるようなことをしてしまった)。」ようなことがあるとしたら、それはいつ、どこで、誰に対して、どのようなことがあったのでしょうか?

多分、すぐには浮かばないでしょう。でも、その出来事はりんごさんにとっての「見られることへの嫌悪感」と何らかの関係があるような気がします。

例としてたとえば、りんごさんにはりんごさんにしかない才能があった、しかも千人に一人いるかいないかくらいの素晴らしいものだった・・・ところが、その才能に嫉妬した人たちが「出る杭を打つ」のごとく、攻撃したり、「アイツは変わったヤツや」と奇異な目で見た・・・。

結果として疲れ果てたりんごさんが、才能を活かして秀でるのではなく、周囲にあわせてしまった。本当は「ああ、悔しいかった、残念だった。」と思いつつ、持てる才能を横に置き去りにしてしまった。一番りんごさんを攻撃してしたのは、中年の男性だった・・・。

才能を活かして秀でることは、身近な誰かを置き去りにして、見捨てて自分ひとり別世界へ行く孤独の道を行くようで私も寂しい・・・。

ならば、そばにいて同じ目線にいることが、その人を喜ばせてあげたり元気にしてあげられるような(不安や怖れから守ってあげたり、助けてあげられるような)気がした・・・。

秀でることは、誰かを傷つけてしまうような、同時に自分を傷つけてしまうような、いけない・悪いことなんだ、だから周りにあわせよう(犠牲して癒着しよう)と決めた。

それは、昔のお勤め先の出来事だった・・・なんてことも考えられなくはないんですよ。

このように、りんごさんが自分の内面を見つめて掘り下げれば掘り下げるほど、原因がわかっていくと思います。

りんごさんが自分自身と向き合えるようになりましょうね。

それでは失礼いたします。

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