誰かの辛さと引き換えの楽。

相談者名
はじめまして、高校一年(16歳)の女です。
私には、A(19)という、ネット歴一年と十ヶ月中、
一年と五ヶ月ほど付き合ってる友達がいます。
何度か会ってますし、泊まりに行く事もしばしば、という仲のよさです。
そんなAは、鬱病患者が嫌いです。
原因はN(29)と、Hさん(26)の喧嘩の相談を請負ってしまった事。
2人共鬱病患者で、Nに至っては、死にたいとまで言ったそうです。
そんな二人の間に居て相当きつかったんでしょうね。
Aは私になら、という事なのかは知りませんが、
たまっていたものを吐き出すように私に愚痴ってきました。
私としては、いうだけでもストレス解消になる、
という自分の経験から、話を聞いていたのです。
その時は平静を装って少し明るめの態度で聞いてあげていたのですが、
実際Nから喧嘩していたと聞いたことはなかったし、
少々ショックなものがありました。
それはまた別問題で、私がNに依存してる所があるためだと思われます。

ともかくAは鬱病は病気じゃないと思う、これだから鬱病は嫌いだ!
等自分の考えをこと細かに話してくれました。
病気だろう、という突っ込みは水をさすようだったので控えましたが。
(会話ログとってあるので誰かに見せれたら楽だったかもしれないが;)←見せれるわけない

ここまでで、何が言いたいかと言うと、
私も鬱病なんじゃないか?と思う事があるからです。
思う、というより、たまに鬱病の症状がある気がする、程度なのですが。
鬱病患者の苦しみはこんなもんじゃないと思いますしね。
実は上記で述べた中に「Nに至っては死にたいとまで言った」とありますが、
これを聞いたときは自分も死にたい衝動にかられたぐらいです。
そんなに辛かったのに、何で言ってくれないの。
私にはやっぱりそこまで言う価値はない?
と、自己中な苦しみを覚えました。
手首を爪でがりがり傷つけて、こんな簡単な事で死ぬ事ができればいいのに、と思ってましたね。
幸い理性がまだあったので、夏服=リスカは駄目という考えが働いたおかげで
手首を切る、とまではいきませんでした。
何でそんな事で死にたくなるのか今自分でも不思議でしょうがないです。
もっと苦しんでる人なんかゴマンといるのに。

そんなわけで、どうしようもない変な辛さがあるのですが、
もちろんNには相談できないし(ただでさえ鬱病という点で、
相談すると重いかもしれないと思い最近は相談するのを避けています。)
Aにだって言えません。
NとHさんの事をあまり良く思ってない上に鬱関連は嫌いっていうんですから。
外面がいいAを慕ってるNとHさんの関係にも少し嫉妬してるかもしれません。

Aとの鬱病嫌いだののメッセンジャーのログにこんなのがあります。
「一人がいるとして、その一人が辛い時、誰かに辛いことを言わなくちゃ耐えられないのね。
でも、それを聞き続けることによって、聞いてる誰かは辛くなる。でも、一人は楽になる。」
(Aの発言)
まったくその通りで、NとHさんの事を洗いざらい話したAは
多少すっきりしたんじゃないかな、と思います。
その代わり私は逃げ場がなくなってしまった感じがします。
リアルの普通の高校生の友達に、こんな重たい相談はできないし、
またネットがそこまで普及してないのでわかってもらえません。
ネット上の人でも、相談できる人間とできない人間がいますし、
今回の事で言える人間がふさがってしまって、どうしようもない状況です。
どっちにしろ、Aの誰かの辛さと引き換えに楽を得るという発言で、
誰かを辛くする楽なんて怖くて得れない、と思ってしまい、どうにもなりません。。
Aに言わせたらいつも心に窮屈さを感じるというか、苦しみ感が生まれるのは
甘え、なのかもしれないと思うし。

文章がぐちゃぐちゃでゴメンなさい。
病院に素直に行けたらいいんですが、親に思い込み激しすぎ、と思われてそうで
怖くて、ここに頼ってしまいました。長々と失礼しました…。それでは。

カウンセラー
根本裕幸(退会)
酸さん、こんにちわ。根本です。
ご相談ありがとう。

ここに書いてみていかがでしたか?
少しは気分も落ち着かれたでしょうか。

酸さんにとって、今とても大切なのはAさんからもらった苦しい気持ちを何とかして外に吐き出すことなんじゃないかな。
頭の中で色んな事がぐるぐるぐるぐる回ってしまっているのかもしれません。

その苦しい気持ちというのは、やがては誰かのところで燃やしてもらえます。
それがカウンセラーだったり、酸さんが安心できる人だったり、そんな場所でね。
だから、苦しい思いがあるのであれば、今の自分には重たすぎるということであれば、こうして僕たちにお話してください。
もう一つの掲示板を使ってもらってもいいですし、無料の電話カウンセリングを使ってもらってもいいですよ。
一人で思い悩むことだけはさけてくださいね。

> その時は平静を装って少し明るめの態度で聞いてあげていたのですが、
> 実際Nから喧嘩していたと聞いたことはなかったし、
> 少々ショックなものがありました。
> それはまた別問題で、私がNに依存してる所があるためだと思われます。

確かに依存しているところや、恋心ににた嫉妬のようなものもあったかもしれませんね。
でも、それ以上に今の酸さんには重たすぎる荷物だったような気もします。
「平静を装わねば」「聴いてあげることが大事」というのは、おっしゃるとおりとても大切なことですが、ちょっと頑張りすぎてしまったのかもしれません。
それは酸さん自身のAさんへの思いゆえのことかもしれません。

> 私も鬱病なんじゃないか?と思う事があるからです。

だとしたら、Aさんに嫌われてしまう、、、という恐れもあるのかもしれませんね。
そしたら、一層頑張りすぎてしまうかもしれません。

> そんなに辛かったのに、何で言ってくれないの。
> 私にはやっぱりそこまで言う価値はない?
> と、自己中な苦しみを覚えました。

酸さんは彼の役に立ちたいって気持ちが強いのかもしれませんね。
Aさんがぎりぎりまで話してくれないことから、自分への不信感や自分の無価値さを感じてしまったのかもしれません。
それはとても悲しいことです。
でも、最後は話してくださったんですよね。
そのことに「ありがとう」と思ってみることもいいですね。
Aさんにとっては、最後の砦のような気持ちもあったのかもしれません。

それから、自立した考え方をしていると大切な人程後回しにしてしまうものです。
Aさんが酸さんに迷惑をかけたくない、大切にしたい、と思えば思うほど、そんな自分の苦しい気持ちを隠していることも多いのです。
もちろん、助けたい酸さんからすれば、それは不満なんだけど、Aさんの中にそんな配慮があったと考えることもできると思いますよ。

> 何でそんな事で死にたくなるのか今自分でも不思議でしょうがないです。
> もっと苦しんでる人なんかゴマンといるのに。

苦しみは比較することってできない、と僕の経験が教えてくれました。
「もっと苦しんでいる人がいる」と思ったときに、楽になるのであればまだいいでしょう。
でも、酸さんはそれを自分を責める道具として使っていませんか?
「もっと苦しい人がいるのに、この程度で弱音を吐いて!」と自分に不満を感じてしまうとしたら、それは自己攻撃になってしまいます。

> どっちにしろ、Aの誰かの辛さと引き換えに楽を得るという発言で、
> 誰かを辛くする楽なんて怖くて得れない、と思ってしまい、どうにもなりません。。
> Aに言わせたらいつも心に窮屈さを感じるというか、苦しみ感が生まれるのは
> 甘え、なのかもしれないと思うし。

甘え、でもいいと思いますよ。
苦しみを背負ってかっこいいわけではありません。
もちろん、それを乗り越えていけるのは強さです。
でも、乗り越えることが目的であったとすれば、どんな方法を使ってもいいと僕は思うんです。
一人で頑張るもよし、誰かの手を借りるも良し。
もちろん、酸さんの年代では、まだまだ自分の力で達成できる事も限られてしまうのかもしれません。
でも、そんな中でもできることってたくさんありますね。

誰かに辛い思いをさせたくないっていうのは、酸さんの優しさでしょう。
それはあなたの宝物ですから、大切にして欲しいと思いました。
そして、そんな風に色々な人の気持ちや態度を考えられる酸さんは、もう大人の部分があるのかもしれません。
文章もとてもしっかりしていらっしゃいますしね。

今の自分に素直になってみましょう。
もししんどい気持ちがあるのならば、こうして僕たちに頼ってみることは大切な勇気です。
そして、元気な自分になることを第一の目標にしましょう。
酸さんの元気がAさんをも元気にしてあげることができます。
少々しんどいことがあっても、どんと受け止めて上げられるようになります。
でも、自分がしんどくて、辛くてどうしようもないときは、ちょっとした刺激で自分も倒れてしまいますね。

頑張ることも大切だけども、ほどほどにね。
自分の心をどうやって元気にしてあげようか?って考えてみましょう。
そこからが始まりです。

ありがとうございました。

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