人とうまく話が出来ない

相談者名
リーモー
こんにちは、
はじめまして リーモーです。
僕の悩みについて書こうと思います。僕は今 20歳の浪人生です。美術系の大学を目指して予備校に通っています。浪人している事や絵の成績については自分の中である程度 整理がついているので大丈夫なのですが、対人関係について悩んでいます。僕は人と話すことが苦手で、劣等感が強く、極度に自分自信を憎む事があるのです。

もともとあまり人と話すのが得意でない性格ではあったのですが、中学1年のとき、自分の声が他人より高かった事を笑われてしまい、それ以来 誰ともしゃべれなくなりました。クラスメイトはもちろん、親とも会話できなくなりました。声変わりが始まってなんとか人前で声を出せるようになりましたが、結局2年くらい誰ともしゃべれない時期が続いていました。そのせいなのか、人に話しかけることがまったくできないようになっていて(声が普通の高さになった今でも)、自分から友達を作ることができません。他人からは無口な奴だとか暗い奴だと思われて、それがとても苦痛でした。

高校のときはそれが嫌で積極的に人と話すように心がけました。友達はできました。けどみんなの話しとか感覚についていけませんでした。僕は中学のときの2年間分、ズレていました。かといってみんなにそのことを相談することもできなくて、些細な事で傷つき、いつも自分を責めていました。人と話していてもそんな事ばかりで辛く、あるとき耐えられなくなり高校のときの友人全員と別れて、また1年くらい、ほぼ誰とも話さない時期ができました。

浪人生になってからはまた少しずつ人と話すようになって(自分から話しかけることはなかなかできませんが)友達も何人かいます。ですが、人と話していても辛いのです。かと言って黙っていると、クラスのみんなが話しているのに自分だけ黙り込んで、また暗い奴だと思われたりしていると脅迫的に想像してしまい、自分がとても惨めに感じます。本当は、僕だってたくさんの人と友達になりたいです。人との交流が上手い人を見ると羨ましく思い、反面、自分が社交的でないダメな人間だと思うようになりました。

半年くらい前、予備校でとても傷ついた出来事があります。その頃 予備校でイベントがあり、その打ち上げに参加しました。日頃 あまり しゃべっていないのでいい機会なのでがんばって色んな人としゃべってみました。そこまではよかったのですが、実はそのときビデオでその打ち上げの様子が撮られていました。僕もそれは知っていましたが、後日、そのビデオをみんなと観たときに愕然となりました。クラスメイトが楽しくみんなとしゃべっている映像が流れたあと、「周りと溶けこめてない人」と題され、僕の姿が映されていました。みんなは笑っていました。ビデオを作った人も、冗談のつもりで作ったのですが、僕にはそう受け取れませんでした。僕だってがんばったのに認めてもらえない。みんなにしゃべれない奴だと思われている、と。絶望的な気持ちになり、死にたくなりました。その後、ビデオを作った人にその事を言い、そのシーンをカットしてもらいました。謝ってくれましたが、僕はまた人としゃべれなくなりました。今までの経験が一気に蘇ってきました。その事を思うと気持ちが悪くなり、(高校のときなどもそうだったのですが)手首が痺れるような感覚を受けるようになりました。手首を、カッターで傷つけることが多くなりました。今は、もうそういう事はなくなりましたが、憂鬱な気分になると急激に悲しくなり寂しくなり、すぐ「死にたい」と思うようになっています。また、自分がしゃべれないのに、そのビデオを作った人が友達と楽しくしゃべっていたりするととても憎しみを感じます。ですが自分自身の性格のせいだという気持ちが強いのか、その憎しみの矛先は自分に向けられます。惨めです。

僕は、このように、自分と人とは違っていて、自分はみんなより劣っているという観念から抜け出せません。なぜ人と人はしゃべらなければならないのかもわかりません。人と接すると常に「何かしゃべらなきゃ」という思いにつきまとわれて辛いです。

少し、話しがズレるかもしれませんが、恋愛に関しても同じです。
僕は20年間 生きていますが、今まで誰も好きになった人がいません。
女の人は、今まで大概が僕のそのような点を否定的に捉えて、傷つけてきました。母親も、僕が中学のときにしゃべれなくなった際、理解してくれませんでした。先ほど書いたビデオの件で(過失であることはわかっていても)僕を傷つけた人は女性です。はっきり言って、女の人を信用できません。逆に、今までで僕の事を好意的に捉えてくれて近づいてくる女性が何人かいましたが、どうしていいかわかりません。とても気持ち悪いです。恐いです。ですから、友人などに「好きな人はいないの?」と聞かれても「いない」としか答える術がなく、「あいつは恋愛のできない奴だ」と思われてしまいます。

僕は心を病んでいるのでしょうか。
他人と交流を絶ったせいで、普通の人はどうなのか、よくわかりません。
僕はもう声も普通だし、誰しも悩みを持っているという事も知っていますが、辛くて惨めです。しゃべれなかった何年間かがすべてムダだったと思えてならなく、言い知れない喪失感に襲われます。

長い文章になってしまい、すいません。
人にこういった事を相談したことが無いので順序良く書かれていないと思いますが、これが僕の悩みです。

カウンセラー
源河はるみ
こんばんは、リーモーさん。
はじめまして、源河といいます。この書き込みを読ませていただく限りでは、
リーモーさんは、心が病んでいるわけではないという気がします。
ただ、自分を表現することが、なんらかの理由で制限されているとしたら、
それは精神衛生上、とても辛くなってしまいます。

> そのせいなのか、人に話しかけることがまったくできないようになっていて(声が普通の高さになった今でも)、自分から友達を作ることができません。他人からは無口な奴だとか暗い奴だと思われて、それがとても苦痛でした。

2年間も誰とも口を聞かないというのは、とても辛い経験でしたね。
きっと、友達に笑われてしまったことがリーモーさんにとっては、
深く心を傷つけられたんですね。

リーモーさんは、もともと繊細な心の持ち主ですね。
それは、とっても素敵なことなのに、傷ついてしまったせいで今の苦しみがある・・・
そんな自分を一番嫌っているのは、リーモーさんご自身じゃないかな。
「ダメなヤツ・・・」
「こんなことで・・・」
と、一番その心に傷をつけているのが自分だとしたら、
誰も好きになれなくても不思議じゃありません。

> 人と話していてもそんな事ばかりで辛く、あるとき耐えられなくなり高校のときの友人全員と別れて、また1年くらい、ほぼ誰とも話さない時期ができました。

このときは、頑張ったんですね。
私たちは、こうして自分のことが、どうしても好きになれないとき、
まわりの人たちから距離をとろうとしてしまいます。
自分がこんなに苦しいのは、まわりの人のせいなんだ、って思ってしまうから。

> ですが、人と話していても辛いのです。かと言って黙っていると、クラスのみんなが話しているのに自分だけ黙り込んで、また暗い奴だと思われたりしていると脅迫的に想像してしまい、自分がとても惨めに感じます。本当は、僕だってたくさんの人と友達になりたいです。人との交流が上手い人を見ると羨ましく思い、反面、自分が社交的でないダメな人間だと思うようになりました。

人と話すのが辛いと感じるリーモーさん、
話さなきゃ、まわりの人たちに嫌われてしまうぞ、と追い立てるリーモーさん、
リーモーさんの心の中には、ふたりのリーモーさんがいることに気づいていらっしゃいますか?

実は、このどちらも本当のリーモーさんではありません。
「たくさんの人と友達になりたい」
こう思うリーモーさんが、本当のリーモーさんじゃないかな。
でも、自信のなさに漬け込んでくる、ふたつのリーモーさんがいる、っていう感じ。

> 僕だってがんばったのに認めてもらえない。みんなにしゃべれない奴だと思われている、と。絶望的な気持ちになり、死にたくなりました。その後、ビデオを作った人にその事を言い、そのシーンをカットしてもらいました。謝ってくれましたが、僕はまた人としゃべれなくなりました。

そうですよね。どれほどの思いで頑張ったのか、誰もわかってくれない・・・
これじゃあ、辛くなってしまいますよね。
ポイントはここにあると思うんです。
”謝ってくれたのに、またしゃべれなくなってしまった”こと。
リーモーさんは、謝ってほしかったわけではないでしょう?
自分が傷ついたことをわかってほしかったわけではなかったと思うんです。

「僕もみんなとしゃべりたい」
この気持ちを一番わかってほしかったのではないでしょうか?

> 今までの経験が一気に蘇ってきました。その事を思うと気持ちが悪くなり、(高校のときなどもそうだったのですが)手首が痺れるような感覚を受けるようになりました。

私たちは、”こうしたい”という気持ちや感情を我慢し続けると、
その気持ちに行き場がなくなってしまって、心の中に充満してしまうようになります。
本当は、吐き出してしまえばスッキリするんですが、
それを押さえ込んでしまっていると、その影響が身体に現れてきます。
気持ちが悪くなるのも、痺れるのも、そのせいなんですね。

> また、自分がしゃべれないのに、そのビデオを作った人が友達と楽しくしゃべっていたりするととても憎しみを感じます。ですが自分自身の性格のせいだという気持ちが強いのか、その憎しみの矛先は自分に向けられます。惨めです。

わかってもらえないことの辛さ、自己嫌悪の苦しみ、
どうしたらいいのかわからないような絶望からですね。
こんな気持ちを感じていたら、他の人が憎くなっても不思議ではありません。
でも、こんな時は「自分はあんな風にはなれない」と、
諦めてしまっているときなんですね。
大丈夫、リーモーさんは本当は、人が好きだから、
こんなにも苦しむんです。
抜け出す事はできますよ。

> 僕は、このように、自分と人とは違っていて、自分はみんなより劣っているという観念から抜け出せません。なぜ人と人はしゃべらなければならないのかもわかりません。人と接すると常に「何かしゃべらなきゃ」という思いにつきまとわれて辛いです。

人は、ひとりでは生きて行けません。
それがわかっているから、「しゃべらなきゃ」と思うんですよね。
でも、「~しなきゃ」「~しなければ」と思っていると、
そこにはどうしても抵抗感が出てきます。
「どうして、しゃべらなきゃいけないの?」と・・・

まずは、「別にしゃべらなくてもいいんだ」と思ってみましょう。
しゃべろうしゃべろうとすればするほど、苦しくなります。
”言いたいこと””伝えたいこと”が心の中にないのに、
しゃべろうとすることは、誰でもみんな苦痛に感じる事です。
まずは、リーモーさんが心の中を整理することが必要です。

> 女の人は、今まで大概が僕のそのような点を否定的に捉えて、傷つけてきました。母親も、僕が中学のときにしゃべれなくなった際、理解してくれませんでした。

ということは、理解してほしかったんですね。
この気持ちは大切です。

> 先ほど書いたビデオの件で(過失であることはわかっていても)僕を傷つけた人は女性です。はっきり言って、女の人を信用できません。逆に、今までで僕の事を好意的に捉えてくれて近づいてくる女性が何人かいましたが、どうしていいかわかりません。とても気持ち悪いです。恐いです。ですから、友人などに「好きな人はいないの?」と聞かれても「いない」としか答える術がなく、「あいつは恋愛のできない奴だ」と思われてしまいます。

もしも、一番理解してほしかったのがお母様だとすると、
そして理解してほしくても、理解してくれなかったのがお母様だとすると、
女性に対して不信感を抱くのも、不思議ではないことなんですね。

でも、いくら母親とはいえ完璧な人間ではありません。
次第に男の子らしくなっていく息子の悩みに、むやみに立ち入らないことも、
母親としては止むを得なかったことなのかもしれません。

自分が死ぬほど苦しんでいることを、その気持ちをわかってほしいと、
当時は口が裂けても言えませんでしたよね。
よく、我慢してこられましたね。
もう、我慢しなくていいんですよ。

> 僕はもう声も普通だし、誰しも悩みを持っているという事も知っていますが、辛くて惨めです。しゃべれなかった何年間かがすべてムダだったと思えてならなく、言い知れない喪失感に襲われます。

もしも芸術の道に進まれるのであれば(ま、そうでなくてもですが)、
その何年間が活きてくる時期が必ずきます。
それに、今からいくらでも取り戻すことはできるんです。

リーモーさんのことをわかってくれなかった人たちに対して、
なにか伝えたいこと、ありますか?
もしも、リーモーさんが無くしていたものがあるとしたら、
それは”望むこと”です。”望む気持ち”です。
今から、取り戻していきましょう。

お返事お待ちしていますね。

相談者名
リーモー
源河さん、
アドバイス、どうもありがとうございます。え~と、
なんだか悩み相談ってなるとどうしても暗い感じになってしまうんですが、実際は楽しい事や嬉しい事もあります。ただ、僕はよく憂鬱な気分になってしまって、そうなるとその悩みが僕のすべてであるように思ってしまう。ちょっと視野が狭くなって悩みすぎているのかなとか思ってるんですけど、それにお答え下さって少し楽になって気がします。

僕はやっぱり、自分のことを誰かに理解して欲しいと思っていると思います。それができなくて苦しかったり、失敗して傷ついたり、諦めて誰も寄せつけなかったり、今まで色々もがいてきたみたいです。人よりちょっと大変だったけど、それって結構 みんな一緒なのかもしれない。人と人とが理解し合うなんて、とても難しい事のようです。例えば、やはり僕の周りは、人と一緒にいるのに黙っていると「ダメだ」と言う人が多いです。僕が話せるようになるのか、周りの人がもっと言葉以外で察するようになるのか、どちらにせよ「僕はこういうことを考えて悩んでいる」という自己表現みたいなものがまず必要なのかもしれません(だから絵を描いてるのかも)。けど僕にとってそれはすっごい勇気いるし、イヤな思い出はたくさんあるしでなかなかできない。だから、とりあえず、むやみに自分を悪者にしないようにしていこうかな、と思います。

それと、
僕の女性不信ですけど、母親に理解して欲しかった、というのはあるかもしれません。 まぁ、父親にもですが。母親はどちらかというと何も言ってこなかったというより「なぜしゃべらないんだ」と責めたててきました。僕もいつからか しゃべらないことは異常な事なんだと思うようになってたらしいです。7年くらい経つけど、それが当たり前の事で自分も当たり前にしゃべらなきゃならないと、今まで焦ってきたのかも。僕は高校の頃、演劇をやっていたのですが、それで救われた面があります。自分がしゃべれなくても誰かを演じてしまえば話すのは少し楽です。けど人に映る自分と本当の自分は違うわけで、話すごとに人と距離ができる気がしていました。だからしゃべってもしゃべっても辛くなるばかりで、一体 母親は何を望んでいるのかわからないという気持ちがどこかにあったのかもしれません。

最後に、
僕のことをわかってくれなかった人達へ何か伝えたいことがあるか、ですが。僕は、僕のような人がどういうときに傷ついたりするのかを、少しでも解って欲しいといつも思っています。100%でなくていい、だけどこんなことをすると多くの場合、その人は傷ついてしまうという事を みんな意識して欲しいです。だからやっぱり、僕は理解することを望んでいます。

まだ不安ばかりですが
少しだけ大丈夫なような気がします。
本当に、ありがとうございます。

カウンセラー
源河はるみ
こんばんは、リーモーさん。
お返事ありがとうございます。> なんだか悩み相談ってなるとどうしても暗い感じになってしまうんですが、実際は楽しい事や嬉しい事もあります。

それは、よかった。
私たちの心は、お天気のように移り変わりますよね。
このことに目を向けることができると、どんなに雲が立ち込めたとしても、
その雲の上は快晴なんだ、って、そこを目標にすることができます。

> ただ、僕はよく憂鬱な気分になってしまって、そうなるとその悩みが僕のすべてであるように思ってしまう。ちょっと視野が狭くなって悩みすぎているのかなとか思ってるんですけど、それにお答え下さって少し楽になって気がします。

そうですね。
誰でも、みんなそうなんですよ。
でも、そんなときに自分の気持ちを我慢し続けるのではなく、そこから抜け出そうとする気持ちを持ってくれて、うれしかったです。

> 僕が話せるようになるのか、周りの人がもっと言葉以外で察するようになるのか、どちらにせよ「僕はこういうことを考えて悩んでいる」という自己表現みたいなものがまず必要なのかもしれません(だから絵を描いてるのかも)。

そうかもしれませんね。
私は昔、美術科のある高校に通って絵をかいていました。
ダンスやバレーも、歌をうたうこともしていました。
リーモーさんと同じように、何かを表現することに必死になっていたんですね。
でも、私が気づいたのは、それがどんなに強いメッセージだとしても、
そこに自分以外との対話がないときには、命は吹き込まれない、ということだったんです。

> けど僕にとってそれはすっごい勇気いるし、イヤな思い出はたくさんあるしでなかなかできない。だから、とりあえず、むやみに自分を悪者にしないようにしていこうかな、と思います。

そうですね。まずは、それが一番です。
だって、リーモーさんは悪くはないですもんね。
でも、同じように他の誰も悪くはないはずです。

> 母親はどちらかというと何も言ってこなかったというより「なぜしゃべらないんだ」と責めたててきました。僕もいつからか しゃべらないことは異常な事なんだと思うようになってたらしいです。

そうだったんですか。
何もわからない子供だった頃というのは、親の態度や言う事で、
その正誤を見極めようとするものなんですね。
そう思うようになっていたとしても、不思議ではありません。

ただ、お母様はとても不安だったんだと思うんです。
突然、息子がしゃべらなくなってしまった・・・母親としては、
「なにがあったんだろう?」
「どこか悪いんだろうか?」
「もしかしたら、私の育て方が間違っていたの?」
と、どんどん深刻になってしまうんですね。

想像してください。
すごく重い病気にかかっている人がいたとします。
医者やまわりの人たちは、手術をすればなんとかなると言う・・・
でも、当の本人が、その病気が治ることやまわりの人たちの好意を感じることが出来ずに、
手術に対する恐れを持っていて、拒否してしまったとしましょう。
この時点で、その病気が治る可能性は絶たれてしまいますよね。
と同時に、医者やまわりの人たちの希望も絶望に変わるのがわかりますか?

大切なのは、本人がその恐れに向き合う勇気を持てば、
支えてくれる人は必ずいるんだということなんです。

リーモーさんが苦しんだのと同じように、お母様も苦しんでいたんじゃないかな。

> 7年くらい経つけど、それが当たり前の事で自分も当たり前にしゃべらなきゃならないと、今まで焦ってきたのかも。

心のどこかでは、お母様の期待に応えなきゃ、と感じていたのかもしれませんね。
ゆっくりいきましょう。

> 僕は高校の頃、演劇をやっていたのですが、それで救われた面があります。自分がしゃべれなくても誰かを演じてしまえば話すのは少し楽です。けど人に映る自分と本当の自分は違うわけで、話すごとに人と距離ができる気がしていました。だからしゃべってもしゃべっても辛くなるばかりで、一体 母親は何を望んでいるのかわからないという気持ちがどこかにあったのかもしれません。

そうだったんですか。ある意味、リーモーさんはとても勇気がありますよ。
普通にしゃべるより、舞台に立つ方が、とっても勇気が要る事です。
お母様が望んでいたこと、それはリーモーさんの笑顔を見たかっただけじゃないかな。
でも、もしも自分が悪いんだとしたら?という気持ちになってしまって、
お母様も焦ってしまっていたのかもしれません。

> 僕は、僕のような人がどういうときに傷ついたりするのかを、少しでも解って欲しいといつも思っています。100%でなくていい、だけどこんなことをすると多くの場合、その人は傷ついてしまうという事を みんな意識して欲しいです。だからやっぱり、僕は理解することを望んでいます。

リーモーさんは、とても大切な経験をされたんですよ。
心が傷ついて苦しむ気持ち、今は実感として痛いほどわかりますよね。
もしも、リーモーさんと同じような人がいたら、その人の気持ちを一番理解してあげられるのは、
リーモーさん、あなたです。
これは、やさしさや強さ、思いやりに育てていくことが出きる経験なんですね。
みんなに遅れをとっているのではなく、ちょっぴり成長したのかもしれません。

誰もが傷つけあわないような世界がくるといいですね。
そのために出きること、たくさんありますよ。

自分のことをわかってくれない人のことを、私たちはなかなか理解してあげようとは、
思えないものです。
「そっちがそう出るなら、こっちだってわかってやるもんか」ってね。
でも、これではお互いが理解しあわないままになってしまいますよね。

> まだ不安ばかりですが
> 少しだけ大丈夫なような気がします。
> 本当に、ありがとうございます。

繊細な心は、本当はとても強いんです。
勇気を持ってくださいね。
辛くなったら、めげてもいいんです。
そんなときは、いつでもサポートさせてくださいね。

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