こんにちは陽菜さん。 小川のりこといいます。よろしくお願いいたします。>私は、友人たちと頻繁に連絡を取ったり・相談にのったりしていると >きには、自分は友人たちとつながっているという安心感が得られるの >ですが・・・連絡がなくなると途端に不安になるんです。私はもう必要 >ないんじゃないか・もう飽きたんじゃないか・見捨てられたんじゃないか >・・・など。そうなると、気持ちが不安定になりどんどんマイナス思考に >なっていきます。どうしてこんな風になってしまうんでしょうか。 こういう状況になると本当に苦しいですよね。まるで自分がひとりぼっち になってしまったようで、とても寂しいと思います。 >人それぞれの時間があり、常に連絡を取ることなんて不可能だし、 >自分自身も出来ないと感じています。頭では分かっているのですが、 >どうしても気持ちがついていかなくて辛いんです。 こうして陽菜さんが書いていただいたように、陽菜さんには頭ではちゃんと 分かっている部分ってあると思うんです。だけど気持ちがついていかない・・。 私たちは頭で分かってて・・・っていうときは、頭とこころが一致してないとき ですよね。人は頭(思考)とこころ(感情)が一致していなければ、それは 強いストレスになりますから、楽に行動することは出来ません。 だとしたら陽菜さんのこころではどんな感情があって、どんな言葉を叫んで いるのでしょうね。 私は父親の暴力で育ち、友人の作り方を知らず、いじめに遭い、 人は信用できないと子供の頃から感じました。 だから人との接し方は私にとって恐怖のなにものでもありませんでした。 その当時を思い出すと、まさにこんな感じ。 だからバイバイって言った後、 「彼女は私に合わせてただけなんじゃないだろうか・・・」 「本当は私を友達とは思ってないのではないか・・・。」 「私は影でどう思われているんだろうか・・・。」 こんなことをいっぱい考え、愛されていない証拠を自分の中で必死になって 探していたんです。 陽菜さんはどうなんでしょうね。そこをお聞きしたいと思いました。 友人とつながれない。 私たちは原因もなく、生まれたときから 「ママー、人とつながれないんでしゅー」とはいいませんよね。 子供時代は無邪気で、どんな人にでもわらいかけることのできる時代。 だとしたら、私が幼少の頃父といじめで強化された人への不信感のように、 陽菜さんなりの子供の頃、もしくは成長していく過程で、人とつながることで 出来る安心感をどこかで無くしてしまわざるを得ない経験があったはずです。 不安になるのは、その経験が多分にあると思うんです。 そして、 >連絡がなくなると途端に不安になるんです。私はもう必要 >ないんじゃないか・もう飽きたんじゃないか・見捨てられたんじゃないか >・・・など。そうなると、気持ちが不安定になりどんどんマイナス思考に こんなとき、どこかで陽菜さんご自身が、 「私は必要とされなくて当然。」 「私は飽きられて当然の子だ。」 と、自分が今の自分のことを受け入れることができず、自分自身を 見捨てているのかもしれません。 「私は私を嫌いなのに、誰かが私を好きになったりはしない!」 こんな悲しみが陽菜さんにはあるのではないでしょうか。 本当にとても悲しい気持ちになってしまうし、苦しくなって当然だと思います。 だけどね、陽菜さん。 対人でお困りになる陽菜さんは、きっと友人のことがとても大事で大切に 思っているのでしょうね。人との関係を大事にする方は、包容力もあり、 それだけ人に対する優しさも半端じゃないと思われますが、陽菜さん はいかか思われますか? 私はそんなふうに感じます。 そして実際に友人に相談されることがあるとすると、その相談した友人の方 は少なくとも陽菜さんに対して安心感や信頼をお持ちだと思います。 信用出来ない人に相談事は持ちかけたりしませんからね。 人との距離や接し方は、その人本人が人にたいしてどんな感情を持っている のか、人と会話したり接したりするときのご自身の価値観を、特に カウンセリングでは、ここを徹底的にお話を聞きます。 そして自分の言葉で感情に我慢することなく、怒りや悲しみを吐き出すこと で、今の自分の状況を理解し、受け入れることができるんです。 これを「感情の解放」と私たちは言ってるのですが、解放できず、我慢して らっしゃることが多いように思いますよ。 そんな思いをいっぱい話してみてくださいませんか? カウンセラーは喜んで協力させていただきますよ。 ご相談ありがとうございました。 |