榛名さん、こんばんは。高橋と言います。 ご相談ありがとうございました。> 「おかしいと思うこと」というのは、少しでも体調が悪くなると > 「○○さん助けて!」と独り言を言ってしまうことです。 > この「○○さん」というのは、前に一緒に仕事をして大変お世話になった > 派遣先の会社の方です。その方は1年半ほど前に転勤されました。 > かなり年上で私にとってとても尊敬できる方でした。その方だけは、 > 自分のことを理解してくれる、その方には > 本当の自分を出してもいいと思えました。 > 仕事のことで大喧嘩したこともありましたが、その後、考え直して > 自分の気持ちを忘れて、その人のために頑張って仕事し、 > そのころから恋愛感情を持つようになりました。今は連絡をとろうと > 思えば取れますが、重い気持ちを押し付けたら迷惑だと思い、 > 連絡は取っていません。 榛名さんはその方をとても信頼していらっしゃったみたいですね。 榛名さんにとって、心から分かり合える人だったのでしょう。 それがよく伝わってきます。 頼れる存在。心を許せる存在。かなり年上だけど分かり合える人。 まるで父親のように大きくて暖かく、受け入れてくれる人だったのかもしれませんね。 そんな風に感じました。 子供の頃、分からないことがあったり、して欲しいことがあったり、助けて欲しい時、 みんなお父さんかお母さんに言いますよね。それは自然なことです。大人になっても 子供の頃ほどストレートではありませんが親に頼ることもあります。「親のすねを かじる」という言葉があるぐらいですからね。 榛名さんにとってその方は、まるで家族であるかのように心がつながっていたのかも しれませんね。 そして彼が転勤してしまった今、彼の体は遠くにあり、かつて彼と感じた心のつながり だけが榛名さんに残ってしまっているのかな?何か、榛名さんの心の時間が止まって しまっているように感じます。 > その方が転勤してからは毎日さみしく、友達とけんか別れしたことや > 昔の失恋のことを思い出したり、家族が病気になったり、辛いことが > たくさんありました。何もかもやる気がない時もあるし、常に人とあまり深く > 付き合わないでおこう(もうけんかするのは嫌だし、いい関係でも > 別れるのはいやだから)と思っています。 > なんとなくだるくて頭がすっきりしないとか、微熱があるとか、胃が > 痛いとか、どうしようもなく憂鬱なとき「○○さん助けて!」と > 言ってしまいます(自分ひとりのときだけですが) > そんなことを言ったって、その人が助けてくれるわけではないことは > 分かっているのに、勝手に口をついて出てきます。 > そしてそういうことがあるたびに、自分のなかに、 > 「何を馬鹿なこと言ってるのだろうそんなことだと一生不幸なままだ」 > という気持ちと「いや、本当に私はあの人と一緒にいない限り、 > 私の人生は成り立たない」という気持ちになります。 > > 頭のどこかでは、自分はその人に依存しているから、今は一緒にいられなくて > 且つ、他の人に心を開いていないからとても辛いんだと分かっているけど、 > 「いや、本当に私はあの人と一緒にいない限り、私の人生は成り立たない」 > 「あの人と一緒にいない限り他の誰にも心は開けない」という気持ちからは > 逃れられません。 心の中に彼が住み、榛名さんの心の時計が時を刻むことなく、過去から進まない 状態であるとしたら、まるで重い枷を心につないでいるようなものですよね。 体の中心である心が重いと、体全体が重くなってだるくなったり、頭の回転にも 影響が出るかもしれませんね。でもそれは、例えば風邪をひいた時のように表だって 体に現れることも無く、なぜだろうという気持ちが榛名さんを憂鬱にさせてしまう かもしれません。 今の状態を変えるための鍵は彼だということに対して僕も同感です。 でも僕は、彼と一緒にいないと榛名さんの心が開かないとは思いません。 なぜなら、彼は「鍵」だからです。 枷をはずすには鍵が必要ですけれど、はずれた枷と鍵は手放さないとなりません。 そうしないと心を開くことができないからです。 > > 私は新たにその人のように本当の自分を出せる人を探せばいいのでしょうか? > でもそれだったらまた別れる可能性もあるし。だったら人をあてにしなければ > いいのでしょうか? 重い枷であった彼への気持ちを手放すって、とても怖いことです。 もしそれをしてしまうと、心にポッカリ穴が開いてしまったような感じになって しまうかもしれませんよね。でもそこは、いっぱいいっぱいだった榛名さんの心 にとって「余裕」になると思うんです。その余裕という隙間に、他の誰かの気持ち がすぐに入ってくるでしょう。自然は真空を嫌うから。 仮に、自分自身の意識が今の現実を作っているとすれば、別れる可能性を考えながら 人と出会うと、望んでもいないのに人が離れてしまうかもしれませんね。例えば、 「この人、怒ってる!」って常に思いながら一人の人と常に接していたとしたら、 怒っていなくても「俺は怒ってねえよ!」と怒りたくなりますよね?それと同じです。 今榛名さんが感じていらっしゃる痛みや不安、疑いは、とても辛いものでしょう。 でもそれは誰かへのやさしさに変えることができますよ。それを望めば。 自分が自分であることを望めば、榛名さん自身を求めている人が必ず現れます。 それを信じてみてくださいね。 > 自分が別に誰に愛されてなくても自分を嫌いにならないでいられる方法って > あるのでしょうか?世の中に「自分を愛せる人」っているとしたら何を根拠に > 愛してるのでしょうか? > それは、まず人を愛することにあると思いますよ。 自分の痛みや辛さよりも、誰かの痛みや辛さ、助けを求める声を優先させることが できたとしたら、そんな自分を愛せませんか?それだけのことをできる人が、誰かに 愛されないわけがないと僕は思います。 > 「過去のご相談事例集」をいくつか読ませていただきました。それぞれのご相談に > 丁寧にお返事を書かれている感じがしました。「無料で匿名でいきなり自分の憂鬱 > をずらずら書いて相談に乗ってください」なんて図々しいですが、甘えてみようと > 思ってしまいました。すみません。よろしくお願いします。 甘えてくださってありがとう。 榛名さんのその勇気が、この掲示板を見て、とても辛いけど相談するのが図々しい と思っている人に投稿する勇気を与えているかもしれませんよ。 進んでゆく道のりに光がともり、さらに周りの人たちへ光を与えることができるよう、 祝福と感謝を共に願っています。 ありがとうございました。 |