相談者名 | オレンジ |
よろしくおねがいします。 私は人を減点法で見てしまい判断してしまいます。心理学的にいうと罪悪感とか自分を責める気持ちが強いから人にも反映して見てしまうということになるのかも知れませんが・・・ 例えば、食べ方が汚い人、挨拶ができない人、店員に横柄な人、エレベーターで最初に乗ったくせに開閉ボタンも押さず我先に降りていく人・・・ 自分だって完璧ではないのに・・・ 私は何様なのでしょうか? 人の良いところも見るようにはしています。でも食べ方とか挨拶とか仮に付き合ったとしても、付き合った相手が注意したりすることなのでしょうか。子供じゃあるまいし人としてどうなんだろうって思ってしまいます。 こんなんだから結婚もできないし、付き合うことすら出来ないと思います。 | |
カウンセラー | 松尾たか |
オレンジさん、ご相談ありがとうございます。 今回、ご相談を担当させていただく松尾たかです。どうぞよろしくお願いいたします。 オレンジさんは、人を減点法で見てしまうことで、人に対してイライラしたり、嫌な気持ちになることがあり、それがご自身を苦しくさせてしまうようですね。 >例えば、食べ方が汚い人、挨拶ができない人、店員に横柄な人、エレベーターで最初に乗ったくせに開閉ボタンも押さず我先に降りていく人・・・ オレンジさんはこのような人に対して、気持ちが冷めてしまうとのことですが、こうしたことが出来ていない人に対してイライラしたり嫌な気持ちになることって、同じように思う人もけっこういらっしゃるんではないかと思うんです。 例としてあげていただいた、食べた方が汚いとか、挨拶ができないとか、これは幼少時のしつけやルール、マナーとして教えられることが多いかと思います。 エレベーターや電車の乗り降りなども、相手を気遣うことでお互いが心地よくいられるようにとの配慮ですよね。 オレンジさんにとってこれらのことは、「やって当たり前。出来て当たり前」のこととして、育ってこられたのではないでしょうか。 もしかすると、オレンジさんのご両親は、ルールやマナーに厳しい方なのかもしれませんね。 そのルールや決まりが、自分がそうしたいと思ってしている場合はいいのですが、もし、「~しなければならない」「~すべき」「~してはいけない」と義務や禁止となっていると、苦しくなってしまいます。 「挨拶はしなければならない」とか、「食べる時はこぼさずにきれいに食べなけばならない」とか、「先にエレベーターに乗ったら、後の人のためにドアのボタンを押して待つべき」というようなルールを持ち、決してそのルールや教えから外れないように努力して努力して頑張っているとしたら、それをやらずにいて平気な顔をしている人を見たらどんな気分になるでしょうか。 きっと「なんでやらないの!」「それをしないで平気だなんて信じられない」「私はこんなに頑張って(そのルール)を守っているのに・・」というような気持ちが湧いてきて、人を判してしまいます。 実は私たちは、知らず知らずのうちに自分の中の決まりやルールを持っていて、それを忠実に守ろうと思うほど、他人がそれ(私の決まり)を破ることに対してイライラするんですね。 だけど、本当はそのルールや決まりを守りたくて守っているのではないわけです。「こうしなければ・・」という思いがあり、無理をしていることも多いのです。 そのルールを守らなかったことで、親に怒られたり、注意されたり、あるいは、それを守ることで、親にかわいがられたり、認めてもらえたりした経験から、「~しなければならない」という思いを持つようになります。 オレンジさんにとっての決まりやルールは、どれくらいありますか? 守るべきルールはどんなものでしょうか。 そして、相手にイライラすると言う気持ちの中には、「私も(出来ないのに無理して、頑張って)ルールを守ってるのよ」という気持ちがあり、本当の私はそのルールを守れない人間という思いが心の奥に潜んでいるからなんですね。 また、多くの人はパートナーに対して自分にないものを求めることがあります。ですから、私が持っていないと思う資質や要素に対して、相手にもっていて欲しい(備わっていてほしい)と思います。 自分が完璧ではないからこそ、相手に求めてしまうのかもしれません。そうすると、欲しい要素が相手にないと感じた瞬間に気持ちが冷めてしまうのではないかと では、人に対するイライラから少しラクになるために、オレンジさんにやってみてほしいことがあります。 私たちの決まりやルールは、多くは幼少の頃の体験から出来ています。そのルールによって 本来、オレンジさんは誰をも愛したいと思う心優しい方です。 ご相談ありがとうございました。 |