どうすればいいのかわからない

相談者名
ウコギ
私は誰かと仲良くなれそうになったとき、いつもわかってほしい、受け入れてほしいと思い、自分勝手になり、相手を傷つけ、怒らせてしまいます。
家族は昔から私に無関心で、例えいなくなったとしてもなにも思わないほどです。
たった一人だけでも私と向き合って、受け入れようとしてくれれば、自分を押し付けないでいられる感じがします。
この先、受け入れようとしてくれるひとを待てばいいのでしょうか?それとも我慢して偽って付き合っていくべきなのでしょうか?何をすれば、どうすればいいのかなにもわからないです。
拙い文章ですいません。上手く説明できていないでしょうが、よろしければ回答お願いします。
カウンセラー
三枝みき
こんにちは、ウコギさん、初めまして。
今回、担当させていただきます、三枝みきと申します。
どうぞよろしくお願いいたします。

「愛されたい」というのは、ごくごく自然な人間としての欲求です。
それが得られないというのは、特に子供にとってはとても辛いし、耐えがたいことだと思います。

私は今回、ウコギさんのご相談を読ませていただいたて、心理学を学び始める前、とくに子供のころの私の感じていたことと、ウコギさんのご相談がとても似ているように感じました。
きっと今はとても孤独で、寂しさや辛さ、悲しさをたくさん感じているのではないかと思います。
そんなウコギさんが少しでも楽になれて、楽しく人と関わっていかれるように、一緒に考えていきましょうね。

さて、ウコギさんにはご家族はいらっしゃるとのことですが、「昔から私に無関心で、たとえいなくなったとして何も思わない」ように感じていらっしゃるのですね。
それって本当に、辛いだろうなと思います。
何故って、周りに誰もいないときに感じる淋しさよりも、繋がれるはずの人たちの間で感じる孤独とでは、後者のほうがより辛いように私なら感じるからです。

私自身もかつては、家族や学校の中で、「この人たちにとっては、私なんていてもいなくても、本当にどうでもいいんだろうな」とか、「今ここで私がいなくなったとしても、誰も私がいたことや、ましてやいなくなったことなんて気付いてもいないんだろうな」って、本気で思っていました。
ですから、私なりにではありますが、ウコギさんのお気持ちがわかるような気がするんです。

実際、中学生のころ、それを確認したくて試してみたことがあります。
塾へ向かうたくさんの同級生の中からこっそり消えてみた(別の道を通ってみた)ことがあるのですが、だれも私がいなくなったことにさえ、全然気づいていませんでした。
楽しそうに会話をしながら歩いていく彼らの中で、いつもぽつんと一人ついていくだけのそれがとても辛くて、いっそのこといじめられたり、嫌われて憎まれたほうがまだマシなのでは、と本気で思ったものです。

その後、私はいくつかいじめも経験しましたが、やはり今思い返してみて一番つらいのは、「いなくなったとしても何とも思われない」ようなあの時の感覚です。
心が泣き叫んでいるんですね、「誰か!気付いてよ。私は透明人間じゃないよ!ここにいるよ!ここにいるんだよ!」って。
ウコギさんもそう感じていられるのだとしたら、とても切ないし、悲しいですよね。

心理学を学ぶようになってわかったのですが、やはり人は生きている以上、誰かに「反応してほしい」と強く思っているようです。
自分の存在や、行動に関して、誰かのリアクションが欲しくなるのですね。
これを心理学用語で「ストローク」と言い、「人の存在を認める行為」と定義されています。
そして、ストロークには「プラス」のストロークと「マイナス」のストロークがあるのですが、人はプラスのストロークがもらえないとき、マイナスのストロークでもいいから欲しくなるのですね。
これは実は、DVやストーカー、虐待などにも通じる心理でもあるのです。

何故、このようなことを最初に書かせていただいたかというと、ウコギさんがこう書かれていらっしゃったからです。

>私は誰かと仲良くなれそうになったとき、いつもわかってほしい、受け入れてほしいと思い、自分勝手になり、相手を傷つけ、怒らせてしまいます。

「相手を傷つけ、怒らせてしまう」というのは、相手からの怒り、攻撃(どちらもマイナスのストロークですね)を自分から、引き出してしまっているということではないかなと、私は思ったんですね。

それとも、もしかしたらウコギさんは「この人が私なんかと仲良くなっても、いずれは嫌われて見捨てられる」と、自分では気づかない心の底で思っていて、その前に自分から関係を壊そうとしているのかも知れません。

あるいは、「どうせ私のことなんて、誰も気にしていない。況してや褒めてくれたり認めてくれたり、愛してくれるわけがない。だったら、怒りや憎しみ、攻撃であってもいいから、私に向けて欲しい。気付いてもらえないのは嫌」そんな風に感じていて、それを引き寄せていたのかも。

それに、どうしても欲しくて、でも手に入れられないものがあったとして、それを持っている相手を目の前にしたら、奪い取りたいという強烈な欲求が出てきてしまうこともあります。
今まで求めていた気持ちが強ければ強いほど、たとえ相手がそれをくれたとしても、「これじゃ足りない、もっと!もっと!」と欲しがってしまい、相手に嫌われてしまう、なんてこともありますね。

いずれにせよ、どのケースでも問題なのは「どうせ私はわかってもらえない、受け入れてもらえない、愛してもらえない」という、思い込みです。

「怒り、攻撃などのマイナスのストロークであっても、ないよりはマシ」というのが、ウコギさんの心の深いところで思っていることであれば、確かにウコギさんの望みは叶っているとも言えるわけですが、もしも普段から「褒めてもらえる、認めてもらえる、関心を持ってもらえる」というプラスのストロークが返ってくるなら、マイナスのストロークなんて欲しがらなくてもいい訳ですよね。
ですから、先ほどの「どうせ私は愛されない」という、この間違った思い込みを書き換えていくことが必要になります。

>たった一人だけでも私と向き合って、受け入れようとしてくれれば、自分を押し付けないでいられる感じがします。
>この先、受け入れようとしてくれるひとを待てばいいのでしょうか?それとも我慢して偽って付き合っていくべきなのでしょうか?

たしかに、たった一人だけでも心から信頼できる人がいれば、人はだいぶ楽になれるはずです。
でも、「受け入れてくれる人を待つ」ことも、「我慢して偽って付き合う」のも、どちらも相手次第という側面があり、私はお勧めできません。

私なら、先ほどの間違った思い込みを変えていくことに挑戦してほしいなと思います。
それには、面談カウンセリングで行うセラピーや、日常自分で行うアファメーションというお呪いみたいな方法が有効です。
でも、今のウコギさんの状態で、おひとりでアファメーションを続けていくのはちょっとしんどいかもしれません。
その場合は、面談カウンセリングをご利用いただくことも、選択肢の一つにしておいてくださいね。

それから、あと少し、ウコギさんにお伝えしたいことがあります。
ウコギさんの周りに、ウコギさんのことを気遣い、見守ってくれた人や、愛してくれた人は、本当に一人もいなかったのでしょうか?

人はたった一人で生まれてきて、一人で成長していける様には出来ていません。
どんな人でも生まれてきたら、へその緒を切ってもらって、綺麗にしてもらって、おっぱいをもらう、おむつを替えてもらう、そんな風にしてお世話をされて大きくなります。
そんな風にお世話をしてくれたこと、育ててくれたこと、それも大きな意味では愛の一つですよね。
ウコギさんの望んだものとは全く違うかもしれませんが、そこにはそれなりの愛があったはずです。
それを探すこと、そして受け入れることがもしもできたなら、それはウコギさんにとってとても大きな救いになることと思います。

また、心理学では「自分が欲しいものは、自分が与えに来たもの」と言われます。
「愛されたい」と願う人は、愛を与える人に、「理解されたい」と切望するのなら、目の前の人を理解すること、それが本当の意味で自分を癒すことにつながります。
今はまだ、そこまで考えられないと思いますが、私が本当の意味で楽になれた、幸せを感じられるようになれたのは、「与える」ことに本気で取り組み始めてからでした。
ですからご自分がある程度楽になれたなら、そういったことに目を向けていかれるといいと思いますよ。

以上、長くなりましたが、書き切れなかったこともありますので、よろしければ初回無料の電話カウンセリングをご利用くださいね。
この回答が、少しでもウコギさんのお役に立てれば幸いです。
ウコギさんが少しでも楽になり、楽しい毎日が送れるよう、応援しておりますね。
本日はご相談、ありがとうございました。

三枝 みき

この記事を書いたカウンセラー

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