相談者名 | えぬ |
私にとっての<セックス観念>は「相手に対しての自分の武器」「セックス=自分の体をあげる」というもので「セックス後=相手は自分に対して飽きていくのだ」とかなり卑屈になっています。本来、人がセックスをするということにどんな効果があるのでしょうか? 愛を深めるためのものではないだろうか、もしくはそう願う自分がいます。私は今の彼と安心してセックスを楽しみたいです。そしてもっと彼と愛し合いたいです。でも、怖くて出来ません。 | |
カウンセラー | 桃井裕子 |
えぬさん、はじめまして、桃井裕子といいます。この度はご相談ありがとうございます。 <セックス観念>についてのご質問ということですね。 内容から考えますと、えぬさんは、今までの恋愛でセックス後につらい経験をされてきたのでしょうか? どちらにしても、現実問題としてえぬさんはセックスに関して卑屈になっていて、セックスを楽しめないということですよね? >本来、人がセックスをするということにどんな効果があるのでしょうか? 愛を深めるためのものではないだろうか、もしくはそう願う自分がいます。 セックスとは、相手とつながり、コミュニケーションするための方法です。セックスの本質とは愛するパートナーとできうるかぎり深くつながり、かかわりあい、その人の本来の姿を最大限に知るということです。 えぬさんの願っている通り、愛を深めるためのものですよ。 では、怖くてできないのはどうしてでしょうか? セックスとはコミュニケーションともいえます。えぬさんのご質問の中の「セックス」をコミュニケーションに置き換えてみてください。 >セックス後=相手は自分に対して飽きていくのだ 「飽きられた」と感じるのは実は自分から遠ざかった時だけに感じることです。 えぬさん自身の中で抱えている感情、思い、全て彼に打ち明けてみてはいかがでしょうか? 彼にはどうしても話せない、どうしたらいいかわからない、無理だわ、 ありがとうございました。 桃井裕子 |