昨年クリスマスに母が大腿骨骨折で手術をし、現在リハビリのため入院をしています。
一人暮らしの母は85歳。 この年までほとんど病気もせず、いつも元気に動き回る人で、昔から「貧乏暇なし」と言いながら、働いていることが当たり前の母でした。
70歳近くまでパートで仕事をしていましたから、家事や仕事で常に忙しそうにしていて、あまりゆっくりすることもないような人でした。
そんな母ですから、ほんの2,3年前までは私より体力があると私は感じていました。 (私も心理学仲間には鉄人と茶化されるくらい頑丈なのですが、
その私が負けると思うほどです。)
仕事を辞めてからは、太極拳だ、歩こう会だ、と趣味を見つけては出かけて、お仲間たちと旅行に行ったりもしていました。
そんな気丈な母のおかげで、私は東京で生活することができていて、関西に住む母に会うのはお正月や法事のある時くらいでした。
一人で何でもやろうとする意欲もまだまだあり、重い家具をたった一人で動かしてみたり、
脚立に乗って庭の木を切ってみたりと、私と妹がびっくりするようなことをして、今までと同じように動きます。
とは言え、最近はひざに痛みを抱えていたりで歩くのも少し辛そうだったようで、身体は年相応に衰えがきているので、無理をして何かあったら困ると心配していた矢先のことでした。
後から聞いた妹の話では、妹は母のことを案じて公的支援をとりつけ、買い物や掃除などを週1回でも支援ヘルパーさんをお願いしようとしていたとのこと。
気乗りのしない母を、家事の負担を減らしてまだまだ元気でいるためにヘルパーさんを使おうと説得し、ようやくヘルパーさんと契約をするところまでいったのだそうです。
だけど、契約するとなったその場で、母が「私はまだ一人で出来るから、やっぱりいらない」と断ったという出来事があったとのことでした。
私は、母が誰かの助けを借りることは自分が人の迷惑になると思い、それが嫌だったのだろうと最初は考えましたが、
そのすぐ後に、「ああ、母はヘルパーを使ってもよい自分(身体)になりにいったんだ」と思い、この出来事(骨折)に納得しました。
自分からわざわざケガをしたり不幸になることを頭では到底望んでいないはずなのですが、私たちは心理学的にこのようなことを引き起こしてしまうことがあります。
きっと母は、このまま元気な身体では公的支援を受けるにはふさわしくない、申し訳ないと思い、支援を受けても良いと思えるような自分になるのがこのケガだったのでしょう。
こう考えると、この出来事が腑に落ちたと同時に、正直、愕然としました。(いつもカウンセリングではそんな話をするのにです。)
心の奥の自分では気づかない想い(意識)って、やはり凄いんですね。 そんなことを改めて感じさせられた出来事でした。
母自身、今回のケガ、入院にショックを受けており、当初はとにかく家に帰るとかなり混乱していたのですが、今はリハビリ病院に移り、1日でも早く家に帰れるようになるためにリハビリに励んでいます。
元来、頑張りやの母なので、出来ることが増えていくの楽しい様子。そして、先生に褒められて、さらに頑張る、また出来ることが増える、という好循環のようです。
先日、病院を訪ねると今月末にも退院して家に戻れるようなので、母の頑張りと同様に、妹と私も母が戻れるために家の片付けや改装、準備を頑張っています。
介護というほどではないけれど、現実的には母が今までと同じように生活をするのは難しいことを考えると、これからは私も実家に帰省して母に会うことも増えそうです。
関西に帰る機会も増えることだし、大阪での活動も始められるといいなあと思っています。
みなさんも、ケガなどしないように気をつけて毎日をお過ごしくださいね。