相談者名 | アクア |
はじめまして。いつもサイト拝見しております。 悩んだときはここの心理学講座や相談事例集などで心を落ち着かせて また頑張れるようになったりします。 いつもありがとうございます。 ところで、このサイトでも「思いやり」という言葉をよく使われて | |
カウンセラー | 向井康浩 |
アクアさん、はじめまして。向井康浩と言います。私共のサイトの御拝読ありがとうございます。責任者になりかわりまして、厚くお礼申し上げます。 「思いやり」とは、相手の立場や気持ちをいたわることとされます。(「愛」という大きなひとくくりに含めて考える方もおられます。) >内から自然に湧き出てくるのでなければ、「思いやりのある人間」とはいえないような気がします。 はい、アクアさん。まさにおっしゃるとおりです。誰かに何かをしてあげたり、同じ気持ちになってあげるって、強要されてやるものじゃありませんし、できるものではありませんよね。徹底的にこだわっていいと思います。 ということは、アクアさん。僕は、アクアさんは「思いやり」にあふれた方だと見てますよ。とは言っても、今は実感がわきませんよね。 この実感がわきづらく、欠落感のように感じるのは、ある種の誤解から来るものではないかと思います。 この辺は直接お話を聞いてないのでなんとも言えませんが、仮説として例えば子供さんの頃、アクアさんにとって大切な人と関わる時間が少なかった、ってことが考えられるかもしれません。 仕事が忙しかったとか、単身赴任でおうちにいなかった、とか、いろんな事情があったかもしれません。その人は「思いやりを大切にしましょう」と言いながら、アクアさんの前でお手本を示す機会がなかったとしたら? 口で言うことと、実際にやってることが違ってて、混乱した。 大人になって今度はアクアさんが、人にお手本を示す番になり、戸惑った。 アクアさんは、どうすればいいかわからないだけなのに、アクアさんのことを知らない周りの人から見れば、「何もしない人」とご覧になったのかもしれない。 ここにお互いの認識のギャップ、もしくは勘違いがあったんだけど、言い返せなかったとか、そのまま受け入れるしかなかったような、何かが子供さんのころにあって、今日までパターンのようになってるのかもしれませんね。 この仮説があたりなら、それで結構です。違うなら違うで構いません。詳しいことは直にお話を伺う機会があった時にお聞かせください。 アクアさんが人として欠落してるかと言えば、そんなことはないんじゃないかな?安心してくださいね。それでは失礼いたします。 |