「比較」や「競争」が教えてくれるもの

今週で3月も終わりですね。
そろそろお花見の計画を立ててらっしゃる方も多いのではないでしょうか。

私は桜が大好きで、3月の初めは毎日のように近所の河津桜を見に行っていました。
これからは、ソメイヨシノの季節。
はやくゆっくりお花見がしたいです。

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突然ですが、みなさんは歩く速度は速い方ですか?
それとも遅い方でしょうか?

実は私、歩くのがものすごく遅いのです。
どれぐらい遅いかというと、おじいちゃんやおばあちゃんに追い抜かれるほど。(笑)

それに気がついたのは、朝散歩をしている時でした。

私は晴れた日の朝、1時間ぐらい近所を散歩することを日課にしています。

運動のためというよりも、木々や花を見てリフレッシュしたり、頭の中を整理したり、ただ何も考えずにボーッとするために散歩をしているんですね。

何か気になったら近寄っていき、花の匂いを嗅いでみたりする。
そんな、お散歩中の犬のような散歩をしています。(笑)

ですから、歩く速度を気にしたことがなかったのです。

そんなある日、いつものように(ボーッとしながら)歩いていたら、わりと腰が曲がったおじいちゃんが後ろから歩いてきて、私を追い越して行きました。

そしてまた別の日。

おじいちゃんの時と同じようなシチュエーションで、買い物袋を持ったおばあちゃんが私を追い越して行きました。

そのおばあちゃんを見て、先日のおじいちゃんのことを思い出したのです。

「そういえば… 前はおじいちゃんに追い越されたような…」

「 … ! 」

『もしかして私、 歩くの超遅いのかもしれない… 』と。

(えぇ、気づくのが遅すぎるのは、自覚しています。)

そして同時に、「これはネタになるな」と面白がっている自分もいました。
遅いことが「恥ずかしい」ということではなくて、「面白い話」「オイシイ話」として捉えていたのです。

なぜでしょうか。
それは、私にとって「歩く速度」よりも「自由さ」大事だからです。

そのため、歩く速度を誰かと比べること必要もなく、(「オイシイ」と思うぐらいですから)自己否定もないんですね。

誰とも比べないから落ち込まないというよりは、そもそも興味がないので「比較」や「競争」という意識に結びつかないのです。

つまり。

「比較」や「競争」というのは、大前提として、” 自分が興味を持っている分野 ” や” 自分が大事にしている分野 ” で起こることなのではないでしょうか。

例えば、「安くて良いものを買いたい」と思っている人は、「自分より良いものを、自分より安く買っている人」には興味を持つと思います。その人と自分を比べて、悔しさを感じたり、嫉妬したりするかもしれません。

でも、「良いものを定価で買う」「オークションで定価以上の値段を出しても買う」ということに関しては、どうでしょう。
そこまで興味は持たないですよね。だって安く買う方が好きなのですから。

このように、「比較」や「競争」というのは、自分が何に興味があって、何を大事にしているのかということを教えてくれます。

誰かと自分を比べている時というのは、あまり良い気分を感じることはありません。

でも、「なぜ私は今、あの人と比べているんだろう?」ということを考えてみた時、そこにはあなたが大事にしているものが見えてくるかもしれないですよ。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

コミュニケーションの問題の改善、クライアントが本来持っている才能を引き出すことを得意とする。心理分析や解説など、説明のわかりやすさには定評がある。明るく親しみやすい雰囲気と、論理的な思考をあわせ持つため、幅広い世代(10代〜70代)に支持され、LGBTの方からの相談も多い。