maruさんこんにちは。初めまして。 ご相談を担当させていただく大谷です。よろしくお願いします。「明日はあれをしよう」「ここに行こう」などと考えることはとても楽しいことですね。 私は小学生の頃の遠足に行く前日を思い出します。 でも、翌日になると動けなかったり、外に出るのが嫌になったりするのはつらいですね。 せっかく楽しみにしていたのに、それが実行できないなんてとても嫌なことです。 動けなかったり、せっかく楽しみにしていた外出が嫌になってしまったりするのは、気持ちの問題ではないかと思います。 動けないというのは一見体調によるものとも思えますが、ご相談全体から考えると、心の問題ではないかと思います。 心と体は互いに影響しており、気持ちが体の反応に出ることもよくあります。 動けなかったり、外出が嫌になってしまうということは、計画したことを実行したり、外出そのものが嫌ということではないようです。 計画したことを実行したり、外出したりした時に感じる何かが気分を悪くさせるようですね。 ご相談を拝見していて気になったのは、”まるで自分で自分にプレッシャーを与えているみたいです。”というくだりです。 ご本人がそうおっしゃっているのですから、ご自分でご自分にプレッシャーを与えておられるのではないかと思います。 人がプレッシャーを感じる時は、やらなければいけないことがうまくできないと思えたり、実際にうまくできない経験をたくさんしている時です。 やらなければならない、というのがプレッシャーになるのですね。 このプレッシャーを取り除くには、やらなければならないという気持ちを横に置いてしまうことです。 言い換えれば、やらなければいけないという深刻さを手放すということです。 物事は、決して計画通りには進みません。 私事で恐縮ですが、中学生や高校生の頃に苦手科目を克服するために勉強の計画を立て、 その計画に従って2〜3日は勉強をするのですが、まさに三日坊主で、その後は、立てた計画はどこ吹く風という感じで勉強をしなかったものです。 あるいは、計画を立てただけで、やったような気分になってしまうことも日常茶飯時でした。 計画を完璧にこなさないといけないとストイックになってしまうと、私なんて生きていられなかったかもしれません。 計画通りに進まないことで自分を責めるときには、「計画はあくまで計画だ。実際とは違うぞ」なんて言い訳をして心のバランスを保っていたものです。 maruさんが、計画を立てれば立てるほどプレッシャーを感じるとすれば、それは計画通りに行わなければならないという、完璧さを追及されているからではないでしょうか。 おそらく、明日の予定だけではなくて、日常生活の中にある他の事柄についても同じように完璧にやり遂げることを意識されているのではないかと思います。 心理学ではこれを完璧主義と言います。 完璧主義は、自分が不完全だと思う心の奥底にある気持ちから生じます。 不完全さを感じないために完璧主義に陥るのですが、私たち人間は完璧に物事ができないですから、かえって自分の不完全さを感じることになります。 一般的に考えられている完璧主義者は、何でも完璧にこなす人というイメージかもしれませんが、実態はそうではなくて、不完全さを感じないためにできることは行うけれどもできないことは行わないという行動パターンになります。 できることだけやっているので、周りから見ると、やること全てができているように見えるのですが、実際はそうではないのですね。 さて、maruさんに魔法の言葉を一つ差し上げます。 それは「まぁいいか」という言葉です。 やろうと思ったことをやれなくても自分を責めるのではなく、自分を許すということ、さらに言えば、私たちは自分が神様ではなく人間であることを認めるということです。 こう言ってしまうと、何か負けたような感じになったり、いい加減な自分になってしまうような感じがしたり、自分が自分でなくなってしまうような感じがするかもしれません。 しかし、決してそんなことはありません。 気持ちが落ち着いてくると、楽な毎日に居心地が良くなって、頑張らない自然体の中であなたらしさがどんどん出てきます。これが本来のmaruさんの姿なのです。 ぜひ、「まぁいいか」の言葉とともに、無理をして頑張るmaruさんを解放してあげてください。 回答がお役に立てれば幸甚です。 ありがとうございました。 |