相談者名
バムセ
こんにちは。いつも心理学講座を楽しみに読ませて頂いております。

4年前に親や友達と離れ、大学のため一人暮らしを始めてから、だんだん影の存在を感じるようになりました。影は、実際に見えたり実体を持っているわけではなく、抽象的な存在です。自分の心が明るい時は存在も忘れ、もういなくなったと思うのですが、沈み出すと、ふと影がすぐ近くにいるのに気づき、喰われるのではないかと怖くなっていました。逃げないと、と。

影は多分、私の一部です。今までに読んだ本の影響で、自分の心のネガティブな部分をそう感じているのだと思います。
今年に入って、影に喰われました。心も体も辛い時期で、ずっと戦っていた光が弱ってしまい、影に負けました。そのとき影は、「サミシイ」という名前でした。これは多分影の名前の一つでしかありませんが、私が小さい頃からずっと寂しさと戦ってきたと自分で思っていることも確かです。そして、影と一緒にいることを怖れた光が、私の体から出ていきました。私が光の中を歩きたいと思えるくらいに回復してから、光が再び体に入ってきました。光と影は混ざり合って、やっと一つになってくれたのだと思いました。

なのに、最近また遠くに影の存在を感じるようになりました。もしかしたら、光は影を再び追い出してしまったのかも知れない、と思いました。影と光は一緒にいなければいけないのに。追い出してしまったら、私はまた影から逃げなくてはならず、また、影におびえなくてはなりません。怖いです。
影に、おいで、一緒になろう、と呼びかけます。もちろん答えはありませんが。
影の存在は、端から見るとおかしな話で、理解され難いとわかっています。なので、「心配されたいだけ」と思われるのが怖く、影に喰われる前もほとんど話しませんでしたが、喰われた後は、もう相談できなくなりました。また、話すことで影が具現化されるのではないかという不安もあります。

抽象的でわかりにくくてすみません。長い話にお付き合い頂きありがとうございました。

カウンセラー
渡辺晴美
こんにちは、バムセさん、はじめまして。渡辺晴美と申します。
ご相談ありがとうございます。

バムセさんは、今年に入って、影に喰われてしまったんですね。
今までも、影と光が一緒になれるように一生懸命やってきたのに、
分離してしまったのでしょうか。

影に怯えて過ごすことは、とても恐ろしいですよね。
ひと時も心休まる時がないのではないでしょうか。
バムセさんの毎日が心配です。

せっかく、一つになれた光と影の存在が再び一つになったのだとしたら、
もしかしたら、大きな理由があるのではないでしょうか。

私が思うには、光という存在は、理由もなく無下に、
影を追い出そうとするような存在ではないように感じます。

影の方も、呼んでも答えないと言うことは、
「影が影である必要」が生じているのではないでしょうか。

もしそうだとしたら、何だと思いますか?

バムセさんを苦しめるためと言うよりも、むしろ助けるために、
一時的に光と影は分離しているのかもしれませんね。

例えば、お汁粉などを作る時に、ちょっとだけ「お塩」を入れますよね。
あれは、甘みを引き出すために入れるんですよね。

同じように、こんな風に考えてみてはいかがですか?

今、バムセさんにとって光の存在を強く感じる必要があるとすれば、
そこに、影の存在があったほうが、光の存在をより大きく感じられるかもしれませんよね。

せっかく一つになった光と影が分かれてしまって、影に怯えなければならない。
と言うよりも、バムセさんがもっともっと輝く世界に旅たつ時期がやってきてるのかもしれない。

影の方に意識を向けてしまうと、その感覚は遠くなってしまうかもしれませんが、
今、光の方に意識を向けてみてはいかがですか。
バムセさんの光は今抱えている不安をも溶かしてしまうくらいに強いものかもしれませんよ。

心穏やかな時が早く訪れることを祈っています。

ご相談ありがとうございました。

この記事を書いたカウンセラー

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