相談者名 | ぷよぷよ |
もう10年以上、躁と鬱を繰り返しています。夏場の躁の時は、気持ちも大きくなって何でもできるように思えてハッピーです。でも、鬱になると誰よりも情けない人が自分だなぁ・・と思えてみんなに馬鹿にされているように感じます。無気力もひどくなります。仕事も躁の時は人の分までやっちゃうし、鬱の時は単純な書類一つ満足に書けません。その時期その時期に振り回されて今日まできましたが・・・躁鬱も長くなると、こんな事を繰り返すのかしらと客観的にみれるようになり憂鬱の原因となり、今年の冬の鬱はとても深くと長いです。夫も娘も病気には比較的理解があり、2人くらいですが友人にもそんな私を理解してくれる人もいます。でも、躁鬱を繰り返していると自分自身もそれを理解しようとしてくれている周囲も非常に消耗しているように思えます。医療の対象なのかなぁ?と思ったり、どうしたら躁鬱の波を縮められるのかなぁ?とも思ったり、悶々としています。カウンセラーの先生方何かアドバイスをお願いします。 | |
カウンセラー | 源河はるみ |
こんばんは、ぷよぷよさん。 ご相談ありがとうございます。 源河といいます。> もう10年以上、躁と鬱を繰り返しています。 それは随分と長い間、振り回されてきましたね。 > 夏場の躁の時は、気持ちも大きくなって何でもできるように思えてハッピーです。でも、鬱になると誰よりも情けない人が自分だなぁ・・と思えてみんなに馬鹿にされているように感じます。無気力もひどくなります。 夏と冬という時期的な周期があるんですね。 実は、心というのは身体と同じように、季節の移り変わりや気候の変化、 ”流行”という現象は、私達が普段は意識しないような、 「サルの芋洗い」のお話をご存知ですか? が、です。 これは、心理学の世界でも広く知られている事実なんですが、 そして、これはその”揺れ”に個人差はあるとはいえ、 > その時期その時期に振り回されて今日まできましたが・・・躁鬱も長くなると、こんな事を繰り返すのかしらと客観的にみれるようになり憂鬱の原因となり、今年の冬の鬱はとても深くと長いです。 実は、くり返します。 一番いいのは、その「波」があることを自分に認めて、 > 夫も娘も病気には比較的理解があり、2人くらいですが友人にもそんな私を理解してくれる人もいます。でも、躁鬱を繰り返していると自分自身もそれを理解しようとしてくれている周囲も非常に消耗しているように思えます。 ご家族や友人は、ぷよぷよさんにとっては、その「陸地」のような存在ですよね。 > 医療の対象なのかなぁ?と思ったり、どうしたら躁鬱の波を縮められるのかなぁ?とも思ったり、悶々としています。 一般的に、医療の処方として抗鬱剤というのは身体面(神経細胞)にアプローチします。 解決策として、私からオススメしたいのは、 一緒に、目指してみませんか? | |
相談者名 | ぷよぷよ |
こんばんは・・・レスありがとうございます。 > > それは随分と長い間、振り回されてきましたね。 > とっても、しんどいでしょう? はい。でも、今までは鬱だけがしんどくって、躁はハッピーだったので、苦にならなかったのですが、最近この躁の時の行動が鬱を招いていることや躁の時にありとキリギリスのキリギリスのような行動をしているので、鬱でしんどいんだなぁ・・・ということが見えてきたら、どちらもしんどくなってきました。ニュートラルな状態というのが、年間の1/4くらいで、そのときだけが本当の意味で幸せなのかもしれません。 > > 夏と冬という時期的な周期があるんですね。 > これは、言い換えるとバイオリズムのようなものですね。 > ぷよぷよさんは、自然に敏感だとも言えます。 明らかに周期があります。たとえばここ数日の暖かい天候は鬱を和らげてくれます。それだけで、今までと考え方がずいぶん変わります。> 表面的には、躁鬱は日常の生活に支障をきたし、しいては身体の症状として現れて、 > ”病気”だと捉えることができますが、 > それは、心に起こる「波」にうまく”乗れない”ということでもあるんですね。 > > そして、これはその”揺れ”に個人差はあるとはいえ、 > 私たち誰もが、経験し日々感じていることでもあります。 心に起こる「波」にうまく乗れない・・・ぴったしだ!と感じました。 > > 実は、くり返します。 > > ご家族や友人は、ぷよぷよさんにとっては、その「陸地」のような存在ですよね。 > > 一般的に、医療の処方として抗鬱剤というのは身体面(神経細胞)にアプローチします。 | |
カウンセラー | 源河はるみ |
お返事ありがとうございました。> はい。でも、今までは鬱だけがしんどくって、躁はハッピーだったので、苦にならなかったのですが、最近この躁の時の行動が鬱を招いていることや躁の時にありとキリギリスのキリギリスのような行動をしているので、鬱でしんどいんだなぁ・・・ということが見えてきたら、どちらもしんどくなってきました。ニュートラルな状態というのが、年間の1/4くらいで、そのときだけが本当の意味で幸せなのかもしれません。 私たちは、多かれ少なかれ躁と鬱のような状態を日々くり返しながら、 > 明らかに周期があります。たとえばここ数日の暖かい天候は鬱を和らげてくれます。それだけで、今までと考え方がずいぶん変わります。 > 潜る、空を飛ぶ、陸地を目指すどれもとってもフィットする言葉です。何かこんがらがった糸の先っぽを教えていただいたような気持ちです。 その糸の先をつかみましょう。 まずは、”すべては自分の心に起こっていること” > それがもっとも強く反応するのは、娘にたいしてです。娘には変な影響を与えたくない!強く思います。自分と母との関係が絡んでいるのかもしれません。娘には、自分が娘としてイヤだったことはしないように・・と思っていますが、そこのところにこだわればこだわるほど、もっともたどり着きたくないところにたどり着くように思えます。 ここに、ぷよぷよさんがただただ波に翻弄されてしまう原因が隠れているようです。 私たちは、どんなに抵抗しても自分の両親に似てくるものです。 ここでは「お母様」やお母様との関係を見直す必要があります。 実は、これが怖いから、海の上にずっといるはめになっているんですね。 心の中では、子供の頃のぷよぷよさんが今もしっかり生きています。 > 彼らというのは、躁と鬱ですか?理解し受け入れることができたらどんなにいいだろう!と思う反面、受け入れることの抵抗になっているのは、きっとあの躁の麻薬のような爽快感だと思います。でも、この躁が自分の首をかなり絞めているのも紛れもない事実です。それをわかっていながら、10年以上やめられない、抜けれないまさにドラッグのようです。 彼らというのはご家族のことです。 躁鬱とい症状名に置き換えられている、ぷよぷよさんのそうした苦しい感情を、 そこに向き合って、ひたむきに生きる姿を見て、そしてぷよぷよさんが見出そうとする > 一緒に・・・という言葉が力強く感じられます。 娘さんも同じ気持ちだと思いますよ。 お母様との関係を見つめ直してみませんか? |