相談者名 | チョコレートディス子 |
31歳女です。 ここ数年生きていくのが面倒くさくて仕方ありません。 死ぬと両親が悲しむので生きていますが両親が死んだら、生きてる理由などないです。 以前は仕事で認められるのが生がいになると信じてがんばっていましたが、才能がないのか思うように開けませんでした。 もがき苦しみどうあがいても状況は変わらず、 3度の失恋で大変な精神的苦痛を味わいました。 20代の頃は好きな人といつか結婚できると信じていましたが、20代最後の3度目で幻想だと確信しました。 この世にしがみつくほどの理由もないので、 (最も高い可能性の)現実として50数年の寿命を全うしなければなりません。 この長すぎる時間を思うと憂鬱でしかたないのです。 できれば健全に生きていきたいです。 | |
カウンセラー | なかつまともみ |
はじめまして、チョコレートディス子さん。 今回担当させていただきます、なかつまともみと申します。 どうぞよろしくお願いいたしますね。 チョコレートディス子さんが まず、「我慢をしないこと」。 文面から察するに、チョコレートディス子さんは 幸せだと感じるポイントが一人ひとり違うように、 「この人生は私のものである!」と さて、確かに「我慢」は幼いころの躾としては大切です。 それってワガママになること!?と でも、よく考えてもみてください。 それに、何をしたら自分も他人も傷つくか。 もし、やってみたいワガママがあって、 云うだけならタダですし、 こうやって我慢を手放すと、選択の自由が手に入ります。 完全な自由です。 何をしても構わないのです。 ………その状態になった時、 最初に車の例えを出したので、 完全な自由の状態とは、免許を取り、車を手に入れた状態です。 生きる希望に満ちる人は、 心を閉ざしてしまう人は、 そりゃ、運転していれば事故に遭う可能性はグンとあがります。 さて、どっちが生産的でしょうか? この、自由を手に入れた時に付随してくる責任を チョコレートディス子さんの周りに それはとっても勿体無い事です。 「明日の死」をありありと強く意識した人ほど どうせ明日死ぬのなら、 誰の人生でもありません。 チョコレートディス子さんの後の50年がパワフルで、 最後までお読みくださり、ありがとうございます。 |