ご相談、ありがとうございます。 冷静にご自分を振り返るという公正な態度はおそらく、PJさんの本質なのでしょうね。 公平さ、まっすぐさを感じます。 早速、PJさん自身による分析をもとに見ていきましょう。PJさんは、パートナーができると、自分の魅力が減ってしまうような気がするのですね。 PJさんのケースとはちょっと違うかもしれませんが、例えば、お笑い芸人の女性は、恋愛をすると面白みが半減するといわれますよね。 あるいは、毒舌がウリの作家などもキレがなくなるといいます。 おなじ女性としてみたとき、この気持ちはなんとなくPJさんにも分かるのではないでしょうか。 自分を笑いのタネにしたくない、嫌な自分は見せたくない、という気持ちが働いてしまうのですね。 しかし、一方ではパートナーができるとより幅が広がったり、より深みが出たりすることもありますよね。 この違いは何でしょうか。 自分の中に、「恥ずかしい自分」「嫌な自分」があるとき、私たちはパートナーからそれを隠したくなります。 誰にでもあるのですが、「自己嫌悪」の部分を意識したときに、この抑えたくなる感覚が出るのかもしれません。 それは、恋するかわいらしい気持ちなのですが、時として、私たちからイキイキまでを奪ってしまうことにもなりかねませんね。 また、私たちは恋愛をしてパートナーに夢中になってしまったとき、自分を見失ってしまうのではないかという恐れが潜在的にあります。 恋愛というのは、感情、ハートに身をまかせて、「好きやわあ~、いいわあ~」みたいな感覚になりますよね。 このどこに行ってしまうのかわからない感覚、ときめきやワクワク感が恋愛の醍醐味でもあるのですが、自分でコントロールがきかない自分、というのが感覚的に嫌だったり、怖かったり、あまりいいイメージがもてないことがあります。 場合によっては、いいも悪いも、コントロールができない自分は想像ができない、といった感覚かもしれません。 実は、恐れとワクワク(やる気)は表裏一体のようなもので、エネルギーとしては同じなのです。 これは、先ほど出てきた自己嫌悪と大きなかかわりがあります。 自己嫌悪が大きいほど自分や自分の将来を信頼できないので、コントロールできない恐れが大きくなってしまうのです。 そうすると、のめりこまずに済むような恋愛にばかり目が向くようになってしまいます。 意識して選んでいるわけではないのですが、パートナーは必要ないという相手ばかり好きになってしまう、などですね。 冷静な恋愛、自分で自分をコントロールできる状態にしておきたいので、いつでもサイドブレーキを引ける状態にしておきたいという気持ちが、心のどこかで常に働いているのです。 さらに、自分よりも頼れる男性はいない、そんな風にも感じてしまうのですよね。 PJさんは、4歳くらいから、ご両親に頼りにされていたのですね。 くわしい状況は分かりませんが、単に頼りになる子供であったというよりは、そのことを余儀なくされたような状況だったように感じられました。 例えば、母親と一緒に料理をしたり、お買い物を一緒にして、親のそばで上手にできたわね、と状況を見計らいながら少しずつ子供が自立できるように助長されたというよりは、ご両親のうちのどちらかが病気だったり、精神的に幼弱であったなどのやむを得ないような事情から、子供でありながら大人と同じようにこなさなければならなかった、といった状況はないでしょうか。 つまり、他の子供が甘えているときに、じゅうぶん甘えることもなく、適切な見本や助けもあまりなく、自分でなんとかしてきたのではないでしょうか。 普通なら男性に頼む仕事も工夫次第で、自分でできてしまう、という知恵は、PJさんの生い立ちからは、当たり前の状況だったのかもしれませんね。 そんな状況では、そんじょそこらの男性では、自分よりも頼りにはならない、と感じるのも無理はないですよね。 さて。 恋愛をするとしたら、恋愛に身をまかせてみたい、すべてをとろかしてしまうような、メロメロでとろとろの時間をダーリンと持ちたいと、ほとんどの女性が願っています。 が、自分よりも頼りにならないかもしれない男性に対して、自分をゆだねたいと思うでしょうか? 否!!! 速攻・即決。断じて否、ですよね(笑)。 こうなると、恋愛は二つのパターンしかありません。 1)普通の男性(頼りにならない)と、「自分が主導権」の恋愛をする。 →自分のほうが頼りになりますからね。身をゆだねるはここでは考えられません 2)自分よりももっと自立的で頼りになる男性と恋愛をする。 →頼れますから、自分をゆだねられます ちなみに、常にいる理想的な異性(どっかの先生とか)は、後者のタイプではないでしょうか。 そうしたタイプは、すでにパートナーがいらっしゃるか、あるいは、独身であっても、非常に理解しあい、仲よくなれるのですが、とっても気の合う親友といった感じになってしまうような感じで、恋愛に進みにくいのかもしれませんね。 なぜ、そんな風になってしまうのでしょうか。 この二つのパターンですが、実はどちらとも根本は同じです。 「主導権争い」をしているのです。 いわば、綱引きをしているような状況です。 どっちがより甘えるか。 あなたが先にやってくれたら、私もやるわ、とか。 あなたが主導権を握ってね、おまえが主導権を握ったほうがいいよ、とか。 どっちがより頼りになるか。 どっちがより自立しているか。 どっちがよりすばらしいか。 主導権争いをしているところでは、恐れから状況や自分や相手を「コントロール」したくなります。 前に出てきた、「コントロールできなくなる恐れ」ともつながりますね。 そして、マインドの中では、なぜかどちらも男性的なのです!! 相手が男性でも女性でも、私のほうが頼りがいがあるわ(無意識で男性的な競争がある)、と思っているのです。 どっちがよりオトコマエかの項目もあるかも?! (この場合ルックスのことではありませんよ) 自立は人間の成長過程では、必要なことです。 ところが、日本の現代社会はやはり男性社会ですから、自立=男性的(自分の感情を切り離す、冷静、競争、甘えない、能動的など)という概念しか私たちに存在しないのです。 この自立の状態、当然、男性よりも女性のほうがきついんです。 女性特有のしなやかさ、優しさ、やわらかさ、暖かさ、甘やかさ、美しさが、時として否定されたり、傷つけられてしまうからなんですよね。無理があるのです。 PJさんは普段の生活の中で、あるいは恋愛をしていく中で、女性としてきついなあ、しんどいなあ、と感じたことはないでしょうか。 それとも、あまりに当たり前になりすぎて、そんな感覚もないでしょうか。 例えば、頼ることができない、守られている感じがしないというのも、女性としてはつらいものがありますよね。 あるいは、自分は女性らしくないかも、とか、女性でいることは不利とか損なんて感じたことはないですか? 心の中での主導権争いをやめにしてみませんか。 綱引き、競争をやめるということですから、ここではつながりや平和が必要になってきます。 ちなみに、今のPJさんにとって、パートナーが欲しい理由もここにあるのではないでしょうか。 単に寂しいから、とか、世間体ではなく、本当のつながりが欲しい、そんなパートナーが欲しいと感じているのだと、PJさんの文面から感じましたよ。 もう、見かけだけとか、競争するような恋愛はいい。 本当の安らぎが欲しい。 おそらく、さまざまな体験を通じてPJさんが努力してきたからこそ、今、心からそんなふうに感じられるのだと思うのです。 PJさんだからこそ、ここまできたのではないでしょうか。 つながりをもたらしてくれる最も身近で強力なツールのひとつに、コミュニケーションがあります。 自分に対する信頼、相手に対する信頼、間にあるものの信頼を持ちながら、まずは周囲のひとたちとつながってみませんか。 楽しいコミュニケーション、いろんな気持ちや感動を分かち合う、など。 たとえマイナーな感情であっても、自分が感じていること、思っていることも信頼してくださいね。 相手を信頼して、そのことをコミュニケーションしてみてください。 コミュニケーションは言葉だけではありません。 あなたの感情や気持ちは、態度や口調に表れています。 このこともコミュニケーションされています。 だからこそ、マイナーな感情があったとしても、その気持ちに自分自身が誠実であって欲しいと願います。 表面的な言葉のやりとりだけでは、本当のつながりは得られないのですから。 それと同時に、パートナーシップは力学です。 PJさんが女性的の良い面が引き出されれば引き出されるほど、男性的な魅力を抱えたパートナーを引き寄せます。 おなじ競争をするのなら、女性の側面で勝負してはどうでしょうか。 男性性で競っても(自立している私たちはやってしまうんです、男性社会の概念しかないので!!!)、女性にはきついし、第一、勝ってもむなしいだけですよね。 男性同士のよき友情、よきライバルを育みたいのではないのです。 恋愛がしたいんですもの。 それならば、女性性を高めていくというのはどうでしょうか。 しっかりと自分の感情を感じながら誰かとつながっていく、というのは基本的方法のひとつです。 こうしたことは、面談で練習も可能です。 PJさんのようなタイプは、実は恥ずかしがり屋さんで、かわいらしくて繊細な方が多いんですよね。 そのもともと持っている要素を、ご自分の中でもっともっと大きく磨き上げていけば、それでいいのかもしれません。 やわやわ~ん、とした魅力を引き出すのですから、あまりちゃきちゃき急がず、あせらず、のんびりとできるといいですね。 ご相談、ありがとうございました。 |