この関係をどうすれば…

相談者名
tomo
私は20歳のtomoと言います。
昨年から一人暮らしを始めたのですが、昨年9月にバイト先の先輩がうちに来て体の関係を持ってしまいました。先輩とはそれまでまともに話したこともなかったのですが、すごく年上だし憧れていた部分はあったのだと思います。しかし、当時先輩には彼女がいました。だから体の関係をもっただけで、それから半年以上何もなく普通に働いていました。
しかし今年の4月にバイトの人と飲みに行った後先輩から電話があり、またうちに来て同じことをしてしまいました。先輩は彼女とうまくいっておらず、私もずっと何もなくてさみしかったのもありました。それから今までの間、月に5~6回会ったりして、そのうち月2~3回体の関係があります。こんなのやめた方がいいのはわかっていました。私も最初はただ寂しさを埋めたいだけだと思っていましたが、何回か会ったりするうちに私の気持ちが先輩に傾いてしまいました。以前は向こうから連絡のある時に会うだけでしたが、今では彼女とも別れて多少の負い目がなくなったので、私からも連絡をするようになりました。先輩は用事がなければたいてい私の誘いを受けてくれます。けれど、それが「行きたい」から来てるのか「呼ばれた」から来てるのか、「したい」からしてるのか「私がしたい」から「してくれてる」のかがよくわからないのです。いつも何かする前には、私に「どうする?」と聞いてきます。だからいつも私だけがしたいのではないか?と思ってしまうのです。
今はまだ事情があって付き合ってほしいとは言っていませんが、先輩は私が好意を持っていることは気づいています。けれど私には「俺なんかやめた方がいい」と言います。それは「やめてくれ」ということなのかなと考えたりもします。今は誰とも付き合う気がないようなのですが、「どうせ俺と付き合うんだろ」などと期待させるようなことを言うときもあるのです。私はやはり先輩が好きなので今は好かれるよう努力をしていますが、その間に体の関係だけ持っているのはよくないとは思います。けれどそれがないと寂しいと思っている自分もいるのは事実です。私も自分がどうしたいのか、どうするべきなのかがよくわからなくなってしまいました。やはり頑張って関係を断ち切るべきなのでしょうか。。。

すごくわかりにくい文章で申し訳ありませんが、何かアドバイスよろしくお願いします。

カウンセラー
山下ちなみ
tomoさん、ご相談ありがとうございました。
回答させていただく山下ちなみと申します。

文章全体を通じて、tomoさんの葛藤や迷いが伝わってくるように感じました。
中でも私が気になったのは、tomoさんのご相談文章の中に、「さみしい(寂しい)」という発言が多いことです。
tomoさんのさびしさが伝わってきましたよ。
さびしいという感情は、時に虚しかったり、苦しかったりして、なんともやっかいですよね。
そんなtomoさんにとって、先輩と触れているときがさびしさを感じずに済む時間なのかもしれませんね。
そしてもちろん、彼のことが好きなことも本当ですよね。
なのに、さびしさの埋め合わせという罪悪感や無価値感から、ご自分を責めすぎてはいないでしょうか?

自分を責めているとき、私たちは大切なことを忘れてしまいます。
自分がこんなにさびしいのだという気持ちをそのままにして、自分を罰してしまい、そもそもの発端であるさびしさをさらに抑圧してしまいます。
感情は抑圧すればするほど、大きく膨れ上がり、やがて爆発してしまいます。
それが、tomoさんの場合にはセックスという形で出てくるのかもしません。
実は、それくらい、tomoさんがさびしいっていうことなんです。
さびしくて、自分の心がサインを出しているのに、そのことを否定したり、抑圧したりしていませんか?
そんなかわいそうなことを自分にしていたとしたら、苦しいはずですよね。

さびしいという気持ちは、そのことを自分の中で肯定してあげるだけでも暴れるのをやめます。
そしてさびしいという心の声を聴いてあげると、さびしさは自分の中でおとなしくなっていきます。
まずは、自分の心の声に耳を傾けてみませんか。

また、さびしいという感情は、実は愛されないから感じるのではなく、愛を受け取ってもらえないとき、愛することを自らがセーブしているときに、感じるものです。
もしかしたら、tomoさんは何かを愛すること、何かに打ち込むことに対して、迷ったり、躊躇している部分はないですか。

例えば、子供たちに、今日の晩御飯は何が食べたいときくと、「ハンバーグ!!」「カレー!!」と、すぐさま答えが返ってきます。
tomoさんに同じ質問をしたら、どうですか。
今日の晩御飯にはコレが食べたいっ、とすぐに浮かんできたでしょうか。
すぐには出てこなかったり、う~ん、あっさりしたものかなあ、とか、ゴハンものがいいけど……、と守備範囲が広かったり、これでいいかなあ、とこだわりはあまりないのではないでしょうか。
私たち大人は、子供たちのように、コレっ!!!、と具体的なものが出てこないことが多いようです。
子供たちにこの質問をした後で、他のものにしようかというと大ブーイングです。
彼らは、「これ」といっているとき、すでに心の中が決まっているのですね。
迷いがないんです。

好きなことを好きという、こんなあたりまえのこと。
実は、私たちはあまりできていないんですよね。
ご相談の文章だけでは判断できないのですが、tomoさんの文章を拝見していると、それは先輩のこと以外でもあるのではないかと感じました。
例えば仕事や将来のことなどでも、こういうことがしたいと言い切れずに迷いがあったり、本当はしたいことがあるのに、踏み切る勇気がない、あるところで足踏みしている、ということはないですか?
もしかしたらですが、その迷いが、そのまま先輩との関係に持ち越されているのかもれません。

そして、大切に思っている先輩ですら、まるで自分を責めるための理由に使っているようにも感じられます。
身体を重ねるたびに、親近感が増したり、好きになっていくのは自然なことですよね。
彼もまた、さびしがり屋で、二人ともさびしさで共鳴しているのかもしれません。
自分のさびしさを抑圧しつづけると、さびしさの逃げ道がないので、関わりを持とうとするたびに、反射的にさびしさの埋め合わせのようにするしかなくなってしまいます。
本当は好きなのに、何かの埋め合わせのように感じるのは、そのときはよくても、後から虚しさに襲われ、さびしくなってしまいます。
触れ合っているのにさびしいなんて、本当にさびしくて苦しいですよね。

二人の関係そのものを断ち切るというよりも、tomoさんが二人の関係の中に見ている罪悪感や無価値感を断ち切っていけるといいですよね。
そのためにも、自分の中のさびしさと向かい合うことが鍵になるようです。
自分のさびしさは、自分の心の中にあるのですから、自分の愛でしか満たすことはできません。
外からの埋め合わせでは満たされず、焼け石に水のようなものなのです。

仕事でも何でもいいので、好きなものを好きというところから、はじめてみるといいかもしれません。
もちろん、すでにできていることではなく、できていないところで、好きなのに好きといえてないものを探してみてくださいね。
意外なことに、好きであたりまえなのに、好きといえていないものもあることに気づくかもしれません。
愛する勇気を持ちましょう。
好きなものを好きということは、自分の気持ちに責任を持つことでもありますね。

tomoさんが、今より少しでもご自分のさびしさを乗り越えることができたら、二人は本当のつながりを感じることができるかもしれませんよね。
そのときに、本当の二人のあり方が見えてくるのかもしれません。
今より少しでも、自分の持つ愛で満たされるとき、tomoさんの魅力が花開き、キラキラと輝いていくでしょう。
もう、これ以上tomoさんがこんなに悲しくさびしい思いをしなくても済むように。
少しでも早く、そうなることを願っています。
ご相談、ありがとうございました。

この記事を書いたカウンセラー

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