当たり前を生きる生き方ができない

相談者名
ゆーき
31歳、現在稀に手伝いをして報酬をもらう程度の実家暮らし。

私は仕事を続けていたことがあり、いくつか話をもらったこともあるが、続けて行くと思った時点で気持ち悪くなったり嫌になって辞めてしまう。

私には思い入れがあるものが無く、趣味と言えるものも無い、そのくせ自分が辛いことだけはある。誰かのためになんて余裕があればやる程度で、そのためにがんばるということができない。
常に余裕や保険を置いてしか動けないので、何かのために自分を投げ打つことができない。
死にたいわけではないけど生きて行くために何をすればいいのかわからない。
幸いにも今まで困窮することなく生かされてきたので、危機感に疎い。そして何かを捨ててまで行動したことが無いから、本当に打ち込むことがなく趣味なんかを持てない。結果として、何かのために動けないんだろう、と自分では勝手に感じてる。こんな自己分析を他人事のようにしてしまう。

多分、自分のことは好きなんだろう。だから辛いことをしたくない。
実感もなく、理想もない空っぽのままここにいる。けれども時間は過ぎて周りからは焦りや不安は伝わってくる。
なのに動けない。働けない。働きかたがわからない。働き続ける理由が見つからない。お金が必要なのは当たり前だけど、自分の小遣いは手伝いで足りるし、足りなければ諦めてしまう。そもそも長期的な目標を立ててそこに向かうことができない。けれどいつまでその生活ができるかはわからないから今のうちに動いておかないと、というのも頭ではわかるのに。

周りの仕事をしている人が当たり前なのだけど、仕事を探せばいいと言われても、どんな仕事を探せばいいのか、その仕事でいいのか、続けていくことがいいのかと立ち止まってしまう。

ただ、少しでも納得して進みたい。進むのも周りに言われて、だけど。でも、周りに言われても動いても何も残らないから、せめて納得して動きたい。
趣味を見つけて、のめりこんで、やりたいことをみつけて何かやる。そんな当たり前が出来ない私は、どう生きていけばいいんでしょう?

カウンセラー
大谷常緑
ゆーきさん、こんにちは。
初めまして。ご相談を担当させて頂く大谷です。
よろしくお願いします。

さて、思い入れがあるものが無く、辛いことがあるだけとうのはそれ自体がとて
も辛い状況ですね。
無味乾燥の砂漠の中に住んでおられるようなイメージが湧きました。
更に言えば、砂漠の真ん中にある辛うじて生きられる程度のオアシスの中におら
れて、さてここから旅立つべきか否かを迷っておられるような感じです。
きっと、周りにはずっとずっと砂漠が続いており、この辛うじて生きられるよう
なオアシスを出ると生きられないかも知れない、でも、このオアシスを出ないと
自分が本当にこうありたい、こう生きたい人生を送れない。砂漠の先にはもっと
楽しい、豊かな世界が広がっているかも知れないという葛藤の中におられるよう
に感じます。

ところで、人の前進を阻むものは怖れしかありません。
怖れがあると、考え込んでしまい動けなくなってしまいます。
ゆーきさんは客観的にご自分の事を分析されています。ご自身と向き合っている
証であり、とても凄いなぁと思います。しかし他方、結論が出ないことを考える
のは防衛のためです。防衛のために色々考えることは、目的が防衛ですから最悪
の状況を想定することになり、良い状況は浮かびません。
ゆーきさんは、それを”意味”を考えるという側面から行っておられて、動かない
ようにされているような気がします。

人生の意味・・・それは人により様々ですが、1つだけ共通していることに絞る
とすれば、それは幸せな人生を送ることです。生物としてとか、人間としてとか
の大いなる意味は存在しません。
換言すれば、ゆーきさんがいかに人生を楽しむか、という事なのです。

ゆーきさんは、今までの人生から外は砂漠が続いていると感じられているのだと
思います。
しかし、現実はそうではありません。
思い切って砂漠を突っ切る決意をしてみてください。
そこには本当の意味でのオアシスもある広大な世界が広がっています。
本気で一歩を歩み出すと決意しない限り、その世界には到達できないのです。
もちろん、道に迷う事もあるでしょう。それが人生というものであり、成長する
為の糧でもあります。
そのときには、道を間違った自分を責めるのではなく、これも1つのプロセスな
のだと考えて受け容れていくことです。
何も失敗しない完璧な人間など世の中には存在しません。失敗は新しい自分、成
長した自分を生んでくれます。
“完璧”にこだわらず、勇気を持って進まれてはいかがかと思います。

大工さんが木を削るのに使う”カンナ”という道具をご存知でしょうか?
カンナは、木をどの厚さで削るかによってその刃の出方を調整します。
この刃を大きく出し過ぎると、木に引っかかって刃が前に進めなくなります。
刃を少し引っ込めると、また削れるようになります。
考え込むというのは、このカンナの刃を出し過ぎて前に進めなくなった状態と同
じになります。
ぜひ、「まぁこんなものか」というような気楽な気分で、「結論が出ないことは
考えない」という事を実践してください。その為には、考え始めたら「~と思っ
た。(マル)」という感じで考えを切る練習をしてください。永年やってきた癖
ですから、簡単には癖を直せないかも知れません。
でも、諦めないで続けてください。
そうするとやがてこの癖から抜けることができるようになります。
ゆーきさんは、今まで考えて、考え抜いてこられた方ですから、考えるのを止め
ることは怖い事だと思います。
でもそこは、勇気をもってチャレンジしてみてください。

最後に、必ずしも人と同じ形や方法で人生を生きる必要はありません。そう言う
意味では今のやり方でこのままを生きるというのも立派な選択だと思います。し
かし、何かご自身の中で違和感を感じるのであれば、それはゆーきさんが選択を
するときなのだと思います。

回答がお役に立てれば幸甚です。
ありがとうございました。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

恋愛や夫婦間の問題、家族関係、対人関係、自己変革、ビジネスや転職、お金に関する問題などあらゆるジャンルを得意とする。 どんなご相談にも全力投球で臨み、理論的側面と感覚的側面を駆使し、また豊富な社会経験をベースとして分かりやすく優しい語り口で問題解決へと導く。日本心理学会認定心理士。