ラクガキングさん、ご相談ありがとうございます。 夢に向かって、努力されているラクガキングさんの一生懸命さ、ひたむきさが伝わってきましたよ。 一方で、なかなかやる気が湧き上がらなくて、気持ちが行き詰まっているような感じなのでしょうか。 自分ではこうしたいと思っているのに、なかなか思うようにいかない、おつらいですね。 もう一度、自分の心の中を整理して、再び自分の心や気持ちと上手につきあっていけるといいですね。ラクガキングさんが絵を描こうと思ったきっかけは、転校先で認められた、褒められたことですが、これは嬉しいですよね。 嬉しくて、もっと絵を上手に描きたいと思いますよね。 こうして、また絵を描けば褒められ、嬉しいのですが、繰り返すうちにだんだんと気持ちが変わってきます。 期待に応えるために、今度はもっといい作品を完成させなくては、もっと技術力や表現力をアップしなければ、という気持ちになってきてしまいます。 また、誰でもそうですが、いつも褒められるばかりではありません。 ライオンキングさんが書いてくださったように、自信のあった作品が認められないという出来事も起こったりして、ますます焦りが出てきてしまいますね。 いつの間にか、自分が好きでやっていたというよりは、周囲からの評価を得るための手段のようになってきてしまっているような感じではないでしょうか。 これでは、いざ描こうと思っても、周囲から認められるような作品にしなくてはという気持ちの上での負担が出てきてしまい、楽しめませんね。 ひとつは、ラクガキングさんが絵を始めるきっかけにもなった、「評価されたい」「承認されたい」「褒められたい」と思っているという気持ちをクローズアップしてみましょう。 もちろん、これは私たちが誰しも持つ欲求のひとつですから、そう思ってもいいんですよ。 逆から見れば、それくらい、(絵に限らず)自分が評価されていないように感じている、承認されていないように感じている気持ちの表れでもあります。 私たちは自分で認めているものでなければ、受け取ることはできません。 つまり、自分で自分の価値を認めていなければ、どんなに他人が褒めてくれても自分で認められないし、受け取れないのですね。 ですから、自己承認が必要となってきます。 また、自分を承認するための手段が、今のラクガキングさんは「絵」に大きく偏っていないでしょうか。 言いかえれば、自分の価値が絵を描くことにしかない、と感じているようなものですね。 もちろん、これは誤解で、それ以外にもラクガキングさんの価値はたくさんあるのですが、自分がこう感じてしまっていると、「絵を描くこと」で失敗してしまったら、まるで自分のすべてがダメと烙印を押されてしまうような気持ちになってしまうのですね。 これでは、ちょっとした絵を描こうと思うときでも、「失敗してはいけない」「ちゃんとできなくては」「これしかないんだ」といった切羽詰った気持ちになってきてしまいます。 誰でもこんな風に追い詰められた状況では、ペン(筆かな?)を取る手も、重く鈍くなってきてしまいますよね。 まずは、自分を承認することから始めましょう。 承認を追い求めるとき、私たちは完璧主義者になってしまいます。 あれもこれもできなくては認められないと思い、一度にあらゆる技術を習得できなければ、できるはずだと思って自分を追い込んでしまいますので、まずは、小さなことから。 例えば、「調べものをしようと思った」ことを承認し、「実際に調べた」ことで自分を褒めてあげましょう。 後でもお話しますが、絵のことでなくてもかまいません。 例えば、机の上を整理する、本棚の一部をきれいにするといった、小さなことでも「できている自分」を、意識的に認めてあげて欲しいのです。 これは、やる気をもって始めるものではなく、自分の意思で意識的に始めてみてください。 やる気が出ないとき、私たちはなんとかしたいと思うあまりに、無理をして空回りしてしまいます。 焦れば焦るほど、ずぶずぶと深くハマってしまい、抜け出るのが困難になってしまいます。どんどんエネルギーが消耗されてマイナスになりかねません。 ですから、現状を維持できるだけでもよし、と思うことを基準にしましょう。 小さなことであっても、少しずつやって自らを承認していくことが、プラスの積み重ね、つまり心にエネルギーを充電しているのだと考えてください。 充電されていくにつれて、「やってみよう」という気持ちが出てくるはずですよ。 そして、絵以外のことでも、自分のことを承認していくようにしましょう。 例えば、友達との関係、日常の生活のことにも、自分の注意を向けて、承認したり褒めてあげてください。 就職を探そうと思ったこと、それだけでも褒めるに値するのですよ。 今は、どんなことも気持ちをこめて向かい合うことが、ラクガキングさんの作品をより深みのあるものにしていく材料になると思います。 また、芸術とは、常に美しさを表現するだけではなく、作者の心の中の葛藤や苦悩をぶつけたり表現することで、作者自身もこうした行き詰まり感を乗り越える手段となりうるものであり、同様に見るものに深い共感をもたらすものでもあると思いますが、いかがでしょうか。 ラクガキングさんは、自己表現の手段として、絵を描くというものをお持ちなのですから、こんな風に、今の言葉に尽くせない葛藤を、絵という媒体を通して乗り越えてゆくことができるのではないでしょうか。 言葉にすると「虚しい」という三文字でしかないことも、ラクガキングさんなら、もっと広がりゆくような表現があると思います。 ラクガキングさんは、新しいやりたいことを探すのも考慮しておられますが、これは目指すものが、絵ではなくなったとしても、きっと役に立つはずです。 絵でやっていくかどうか、というよりも、大切なのは自分が成長していくこと、自分を表現していくというプロセスにあるのですから。 あなたが変化し、成長していく過程で、あなたが大好きな絵と関わっていけるのであれば、そのこと自体が喜びになるのではないでしょうか。 あなたが愛したものは、人でなくても、そのことに応えてくれます。 それはきっとあなたに寄り添いながら、成長を助けてくれることでしょう。 喜びも悲しみも、楽しさも苦悩も、自分の美しさも愚かしさも。 自分の内なるものの表現の媒体として、絵を使えるといいですね。 ラクガキングさんの、さらなる成長を応援していますね。 ご相談、ありがとうございました。 山下ちなみ |