相談者名 | 日向 |
こんにちは。私は21歳の大学生です。今は福祉大学に行っており、将来は介護職に就く予定です。 私は中学生の時に不登校を経験しており、高校も通信制高校にいきました。十代の時は苦しく悩んでばかりの日々でした。自分のことが嫌いで仕方ありませんでした。感情も不安定で些細なことでも、大きく傷ついたりしていました。そんな私も2年遅れですが、大学に入りました。当初は大学でも不登校にならないかと心配していましたが、周りの人の助けもあり何とか順調に単位を取れています。でも、私は引っ込み思案なので友達もあまりできません。時々寂しくなります。孤独を感じるときもあります。 単位は無事に取れてはいますが、神経質な私は大学にいくだけで疲れ果ててしまいます。大学ではあまりしゃべらないので、おとなしい人だと思われていると思います。近寄りがたい雰囲気があるのかもしれません。でも癒し系といわれることもあり、よくわかりません。 サークルには入っていて、そこでは安心できます。でも、一年生が入っていたので、ちょっと居づらくはなりました。 最近アルバイトを始めました。アルバイトに挑戦するのは私にとってとても勇気がいりました。コンビニでのバイトです。初めての接客業でテキパキも動けず、失敗すると、すぐ向いてないのかなぁと落ち込みます。今は夏休みなのですが、大学が始まるとバイトと両立できるか心配です。 私はすぐに落ち込んだりします。先のことを心配してばかりいます。家族からは心配のし過ぎだといわれます。この心配性は治らないのでしょうか? それと、昔から比べたらかなり自分のことを好きになれましたが、まだ自信がない所があります。自信を持つにはどうしたらいいでしょうか?教えてください。お願いします。 | |
カウンセラー | 木村祥典(退会) |
日向さん、はじめまして。木村と申します。 ご相談ありがとうございます。 日向さんのまわりには、いつも不安や怖れがたくさんあるような感じですね。 心配性な性格から、怖かったり、落ち込んだり、嫌な気分でいることが多いようですが、 日向さんは、日向さんのまわりにある心配や、日向さんに向けられた心配の ここでちょっと想像してみてもらいたいのですが、もし、仮に、日向さんが これは私の想像なのですが、一つは「自分には『心配』がふさわしい」という 例えば、「ご家族の方からは心配のし過ぎだと言われる」と書いてくださいましたが、 「私がこんなに心配なのに、家族は私ほどに心配してくれない」 と感じてしまって、寂しかったり悲しかったりすることはありませんか? 日向さんほどに日向さんのことを心配していない時、ご家族の方は 日向さんが自分の価値や能力や強さといったものが見えなくて、自分の価値や 日向さんがそのように感じるのは事実ですし、それで感じる寂しさや悲しみも ご家族の方の、「日向さんには『心配』ではなくて『信頼』がふさわしい」 人からの信頼を心から受け取ることができた時、その「信頼」は自分のもの いきなり自分で自分のことを信頼すること(=自信を持つこと)は、難しい 人との関わり方で「心配」を使って関わると、心配する人も心配される人も、 もし、「信頼」を使った関わり方を選ぶのでしたら、その人の全部でなくてもいいので、 日向さんの心の中だけでの出来事ですし、信頼されて本質的に嫌な気分になる人は それともう一つ。 日向さんの持っている自己概念に関してなのですが、今、日向さんが見えている 中学校の時に不登校になったにも関わらず、それでも勉強をすること、学校に行くこと、 大学では単位も取れているし、まわりの人の援助を感じて感謝して受け取っていますよね。 とても勇気がいったけれど、アルバイト始めましたよね。 そんなふうに、がんばったこと、できていること、素敵なところ、一杯あるんですよ。 不安定な心のためにいっぱい傷ついてしまったかもしれませんが、その経験が 信頼することに関しても、自分の価値や魅力の部分を探すのも、日向さん一人だけで ご相談ありがとうございました。 |