はーぶさん、はじめまして。 ご相談ありがとうございます。 お返事を担当させていただく成井です。 よろしくお願いします。> これからは、誰にもビタ一文与えたくない気持ちでいっぱいです。 > そういう生き方も悲しいけど、そうしかできないのが今の状態です。 今は本当にへとへとに疲れ果ててしまっているはーぶさんがいらっしゃ るようですね。 でもそれは逆に言えば、こんなにへとへとになるくらいまで、一生懸命 取り組んだり、こだわりを持ち続けて来られた。という事になりますか ら、本当は誰よりもはーぶさん自身が”幸せ”の求めていたり、また” 欲しい幸せの形”がしっかりイメージできている人なのではないかな? と感じました。 今はその「未来に思い描いた理想の自分像」と「今の自分」との” ギャップ”の中で、がっかりしたり、自信を失ってしまたりして、身動 きが取れないように感じていらっしゃるのではないでしょうか? はーぶさんが身に付けた沢山の「自分を幸せにする方法」が、今は少し 「自分を責めるもの」に変わってしまっている部分はありませんか? もしそうだったとしたら・・・? はーぶさんが1番欲しいものが、今ははーぶさんに1番受け取れないも のになってしまうのですから、これは少し自分に厳しい”やり方”かも 知れませんね。 「燃え尽きる」という言葉があります。 がむしゃらに頑張っても頑張っても、その頑張りに見合う配当が自分に 入ってこないときに、私達は疲れ果ててしまいます。 あしたのジョーのように(例えが古いですか?(笑))完全燃焼で 「まっしろ」に燃え尽きるのであれば、OKかもしれませんが、入って くるものよりも、出て行くもののほうが何倍にも多い訳ですから、お金 に例えるとどんどん借金だけが増えていく・・・という自転車操業のよ うな感じですね。 なのでとても疲労感が出てきますし、常に何か得体の知れない大きなも のに追いかけられているような感覚になりますから、心が焦り余裕がな くなりますし、とにかく必死!になりますから「今」を楽しむことも、 受け取る事も出来なくなってしまいます。 今、はーぶさんにとっては 「今のこの”やり方”より、はーぶさんにはもっといい”やり方”があ りますよ」 という、神様から作戦変更を提案されている時期なのかもしれません ね。 今まで、とにかく「与える!」というのが上手だったはーぶさん。 きっと、自分がもっているものは何だって与えよう!と頑張ってこられ たのではないかな?と感じます。 与えるものがなくなれば、それこそ、体の中からエネルギーを搾り出す ように頑張ってこられたこともあるかもしれません。 でも、今はもうそれでも、自分からは何も出てこないように感じれるく らい、自分には何もないように感じていらっしゃるようですね。 はーぶさんは「幸せな王子」の童話をご存知ですか? 街の真ん中に、王子の像がありました。 彼の体は数々の宝石で飾られ、街の人の自慢のシンボルでした。 しかし王子の像は、街を見下ろし、貧しい人たちの為に自分の体に散り ばめられた宝石をはずし、貧しい人たちに配るというお話です。(王子 は像なので動けないので、運ぶのをツバメさんに頼みます) 王子の体から次々と宝石は消え、最後には彼はただ石の像になります。 そして街の人は誰も王子の像に見向きもしなくなりました。 (宝石を運ぶ役目のツバメさんは、越冬できずに凍死してしまいます) 一見すると、この上なく悲しい話です。 子供の頃の私は本気で「救いの無い話だ!特に王子の手助けをしたツバ メさんには更に救いが無い!!!」と怒っていました。 でも、この話のタイトルは「幸せな王子」なのです。 どうして王子とツバメさんが「幸せ」だったのでしょう? 今、はーぶさんにとって、今までの自分の頑張りを「幸せなはーぶさ ん」という物語に書き換える時期が来ていらっしゃるように感じます。 よければ一緒にはーぶさんの物語を書き換えていきませんか? よければいつでもお話を聞かせてくださいね。 お待ちしています。 |