わたくしごとですが、この春、大きな手放しがありました。
父から受け継いで15年経営してきた会社を解散したのです。
創業から46年が経っていました。
法人というのはどんなに小さな会社だったとしても、けっして「自分だけのもの」ではないため、決断しそれを実行するには、関係者との調整が必要になります。
「進むべきか退くべきか」の決断は、さすがに勇気が要りましたが、できることをやり尽くし、可能な限りの可能性を考え尽くしたあとで、自ずと答えが導かれました。
幸い経営規模もいまだかつてないくらいにスリムになっていた時期だったので、決断から短期間でスムーズに進めることができました。
3月31日。
あとにも先にもあのタイミングでしかベストな時はなかったのではないだろうか?
そんな、ちょっぴりスリリングな変化の時を想定外の恩恵を受け取りながら過ごしています。
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「家族のために、取引先や従業員のために私が継がなければ!」
会社を継いだときのことを振り返って思えば、一体、わたしのどこからそんな情熱が湧き出ていたのか、自分でも驚くばかりですが(笑)
誰かを思う気持ち、利他の精神によって、この世界は循環していることが今なら良く分かります。
人は自分のためだけに生きれないようになっている。
肩書きが何であろうと、自覚があろうとなかろうと、わたしたちはそのような社会の循環の中に組み込まれて生活しています。
カウンセリングの現場で携わるクライアントさんたちとお話してても感じるのですが、本当にみんな、誰かのために自分の命や時間を使っているなと。
でも、優しすぎるがゆえに最初は好きでやっていたかもしれないことが、いつの間にか自己犠牲になって、自分をすり減らしてしまうこともあります。
意識と無意識との間で、目的と手段がいつの間にか入れ替わってしまうこともあるでしょう。
そのような時に、聞こえてくるインナーボイス。
「自分の人生、本当はどう生きたい?」
そのことに気づいて、ときどき焦りや違和感を覚えつつ、自分と向き合い、人と向き合い、無意識につくってきたものを手放していくうちに、本当の自分に気づいていけます。
わたしの場合は、当初、使命と感じていた「わたしが守る」という目的が、「もう、その必要がなくなったのだ」と言えるような流れの中で起こりました。
「そろそろ、もっと自分のしたいことのために生きてもいいんじゃない?」
見えない何かに背中を押された気もしました。
大切なものを大切にしながら、真に喜びの循環の中で変化して行けることを長い時間をかけて学んできたように思います。
『セルフ・ラブ』
自分自身を満たすことに、わたしたちはいつもどこかで遠慮してしまうものです。
「わたしだけ(良い思いをして)ごめんなさい」と罪悪感が頭をもたげてしまったりすることも。
でも、まずは自分が幸せでご機嫌に生きることが、本当の意味で周りの人を安心させてあげることだったり、さらには世界平和や社会貢献につながっている。
わたしは心理学を通じて、そのことの深い理解にようやく触れられたような気がしています。
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地続きでは進めない断層のようなものが、ある日突然、わたしたちの人生でも立ち上がることがあります。
最初は驚きふためき、悲しみ、抵抗したりしてなかなか受け入れがたいものでも、ずっとそのままではありません。
これまでもそうだったように、新しい前提での新しい取り組みに向けて、再び情熱を燃やすことだってできます。
地殻変動が見えない内部で蓄えられたエネルギーの引き起こす変化ならば、わたしたちの人生で起こるそのような変化も、ひょっとしたら、すでに次に進むために必要な何かを持ち合わせていることを教えてくれているのかもしれませんね。