一人では幸せになりきれない人間の性
努力の末、やっと上手くいき出したところで、「こんなにうまくいくはずがない。何かおかしいんじゃないか」と疑う気持ちが強くなって、たまらずに、相手の好意を疑ってしまったり、自分の力を信じられなくなって、言わなくてもいい一言で、それまでの苦労を水の泡にしてしまうことがあります。そんな、幸せの一歩手前で出てくる、大切な人を「疑う」心理とはどういうものなのでしょうか?一人では幸せになりきれない人間の性のお話です。
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こんにちは。カウンセリングサービスのみずがきひろみです。
ものごとがちょっとうまく運び始めたときに、やたらと周りの人の優しい対応や、スムーズな状況に「疑い」をもってしまう、なんてことはありませんか?
浮気している彼に私のところに戻ってきて欲しいって思って、彼の気持ちを大切にできるようにと頑張ったし、自分磨きもいろいろやって、おしゃれにも気を使い、アファーメーションとかもやりました。
あなたの努力が実ったのか、やっと、彼が、ちょっとこちらをまた見始めて、ちょこちょことメールをくれるようになりました。家に寄りたいとか言い出すので、一緒にお酒でも飲めるようにあなたもおつまみを用意します。
そんな、少し前は、「夢」くらいに思っていたことが起きているのに、そうなったらなったで、今度は、「疑い」で心がいっぱいいっぱいになりませんか?
「今度こそ、別れ話をするつもりでくるんじゃないかしら?」
「もう二度と会えないから、最後くらいと思って優しいんじゃないかしら?」
「相手の女性とけんかしたから、私に慰めをもらおうとしているのかしら?」
(これはありうるのですが。)
ついついあなたの優しさに反応する彼の真意をネガティブなものとして疑ってしまいます。そんなときに、たまたま彼があなたからのメッセージを既読スルーしようものなら、
「ほら、やっぱり!」と大きく頷くのです。「やっぱり彼は私に対して本気ではにのよ」。
そして鬼の首をとったかのように、「そんなにイヤなら来なくたっていいのよ。あなたはそういう不誠実な人なんだから!」と切りたくもないタンカを切り、それまでの何ヶ月、何年にも及ぶ、彼とやり直すための努力をゴミ箱に捨ててしまいます。心当たり、ありませんか?
この最後の最後、上手くいき始めたときに出てくる「疑い」は、こうして書き出してみると、どれも、「そうかもしれないけれど、そうじゃないかもしれない」ことばかりです。でも、自分の心の中では、ものすごくリアリティがあるんです。これはいったいどういうことでしょう?
不思議なことですが、人は、欲しいものすべてが手に入ってしまうことに罪悪感をもつようなのです。自分「だけ」良い思いをするのが怖いんですね。なので、
「本当に?本当に彼の愛情を受ける資格があなたにあるの?」と自分の価値や素晴らしさに疑いをもつんです。そして、コンマ数秒の早業で、「私が愛されるはずがないわ」と決断を下し、「だとしたら、彼が優しくしてくれるのにはウラがあるはず」という思い込みの罠に落ちるのです。
本当は、「彼」(の愛情/優しさ)を疑っているのではなくて、自分が「愛されていいかどうか」が信じられないのです。自分の価値や素晴らしさに自信をもつのは、それほど怖いことなんですね。
そもそもそんな疑いのワナにはまるには、もう一つ大きな誤解があって、どこかで「幸せの総量は決まっていて私が幸せだと他の人は幸せになれない」というゼロサム的な発想が前提になっています。
これは、形のある物質の法則を、形のない心の法則にあてはめて考えているからで、心は形がないから、「限り」が無いということを見落としています。あなたが幸せになることで、あなたのご家族みんなが幸せになる、こともあるのですが、つい私ばっかりが恵まれてしまうのはいかがなものか、と思ってしまうようです。
あと一歩で欲しいものが手に入りそうなのに、人を疑ったり、自分の力を疑いたくなるのは、そんな「私だけ幸せになっていいのでしょうか?」という、幸せになることへの罪悪感が作り出す迷いです。
そこをかいくぐるには、「もう一度」あなたが幸せであることをとても喜んでくれる人がいることを思い出すといいですね。あなたを応援してくれる人は、あなたの幸せを自分ごととして喜んでくれる人です。
そんなあなたを心から応援してくれる人への感謝が、「疑う心」を乗り越える勇気をくれます。あなたが誰かの歓びになれることを思い出してくださいね。
(完)